スージー鈴木のロックンロールとしての日本文学 第22回

第22回 井伏鱒二『山椒魚』とさだまさし『吸殻の風景』

スージー鈴木

 

  • 謎が謎を呼ぶ『山椒魚』のオチ

 

連載第8回「江戸川乱歩『人間椅子』とさだまさし『風に立つライオン』」に続いて再度、さだまさしの歌詞の「オチ」の話をする。今回のお手合わせは、井伏鱒二だ。彼の『山椒魚』は1929年の作品。とても有名な短編小説である。

 

谷川の岩屋から出られなくなった山椒魚。その岩屋にカエルが紛れこんでくる。お互い岩屋から出られず、口論をしながら、2年の日々が過ぎてしまう。とうとうカエルは自分の死を悟る。そこで「お前は今何を考えているようなのだろうか?」と聞く山椒魚にカエルは「今でも別にお前のことをおこってはいないんだ」と返して、終わる——。

 

というよく分からないオチ。読者は谷川ならぬ路頭に迷う——「え? どゆこと?」。話はさらにややこしくなる。井伏鱒二自身が、その後、このエンディングを改訂したのだ。1985年の自作選集では、先に紹介した、よく分からない、でも山椒魚とカエルの和解が示されるオチが削除され、以下のように結ばれる。

 

——更に一年の月日が過ぎた。二個の鉱物は、再び二個の生物に変化した。けれど彼等は、今年の夏はお互い黙り込んで、そしてお互いに自分の嘆息が相手に聞こえないように注意してゐたのである。

 

つまりは2者の対立のまま、岩屋の中で物語が閉じられるのだ。そして読者は、また路頭に迷う——「え? どゆこと?どゆこと?」

 

私が思うのは、山椒魚とカエルの和解すら剥ぎ取られてしまったら、いよいよ、この作品の意味自体が、シュールになっちまうということだ。この改訂、かなりの議論を呼んだらしいが、そりゃそうだろう。という、有名な割には、何とも謎な作品なのだ。『山椒魚』は。

 

あっ、さだまさしがたたずんでいる谷川の中に山椒魚が!?

 

  • 小5で出逢った『吸殻の風景』の謎なオチ

 

今回、『山椒魚』と対照させる、さだまさし作品は『吸殻の風景』(77年)である。

 

当時、小5の頃にリアルタイムで聴き、4曲入りシングルも買っているので、私の『吸殻の風景』歴は、年季が入っている。タイトルの「吸殻」が読めなかった。「きゅうこくの風景」と読んでいたことを白状する。どんな風景だよ。

 

かつて付き合っていた(であろう)2人が再会する。一人称は女性。さだまさしの得意技。こういう設定の場合、大体が男性の方が未練を持っていて、女性の方がサラッとしているものだ。

 

『吸殻の風景』もそうで、女性の側が、久しぶりに会う男性を、サラッとカラッと、距離感を持ったまなざしで見つめている。さらには新しい愛に出逢ったことまでほのめかす。そして1番の最後と2番の最後で、こんなオチが炸裂するのだ。

 

——「だからそんな風に 悲しい顔今夜だけは止して頂戴 わかるでしょ 雨の日には誰だって傘をさすものよ」

 

——「だからそんな風に 自分の事いじめるのは止して頂戴 わかるでしょ風の日には誰だって目をつぶるわ」

 

「え? どゆこと?どゆこと?」——小5にはまったく分からなかった。そして還暦を前にした今でも、分かるようで、でも分からない。つまりオチのシュールさという一点において、『吸殻の風景』は、私にとっての『山椒魚』なのだ。

 

  • 山椒魚とカエルは岩屋から出たのか?

 

話はここで終わらない。実は、井伏鱒二とさだまさしは対談しているのだ。さだまさし『やばい老人になろう やんちゃでちょうどいい』(PHP研究所)には、1988年の暮れ、ある出版社の企画で、さだまさしが井伏鱒二の自宅にうかがい、対談をするシーンがある。

 

井伏鱒二が、『山椒魚』のエンディングを削除して、文学界に大議論を巻き起こしていた時期だ。しかし、文壇事情に疎いさだまさしは、さらっと「先生、何故ご自身であの名作に手を入れられたことにされたんですか?」と、さらっと聞いてしまう。

 

対して、井伏鱒二はすごく恥ずかしそうに「だって、あれだと出られないもの」と、さだまさしに言う。 そこからのやりとり。

 

——「え? 何がですか」

「だって出られないだろう」

「山椒魚と蛙のことですか?」

「そうだよ。出してあげるのは僕しかいないんだもの。あれじゃ可哀想だもの」

 

ちょっと待てよと言いたくなるではないか。だって、井伏鱒二の「出してあげるのは僕しかいないんだもの」という発言に沿えば、先の、

 

——更に一年の月日が過ぎた。二個の鉱物は、再び二個の生物に変化した。けれど彼等は、今年の夏はお互い黙り込んで、そしてお互いに自分の嘆息が相手に聞こえないように注意してゐたのである。

 

は、山椒魚が、谷川の岩屋から出た後だというのか? いやそんなこと、どこにも書かれていないだろうが。え?「鉱物」が「生物」になったのが、岩屋から出たこと表すのか。いやいや「お互いに自分の嘆息が相手に聞こえないように注意してゐた」ということは、山椒魚とカエルは、まだ岩屋の中だろうが——。

 

などと、疑問が疑問を呼ぶのだが、もう、ここで終えてしまおう。なぜなら、分かるだろう。雨の日には誰だって傘をさすものだから。

 

[ライタープロフィール]

スージー鈴木(すーじーすずき)

音楽評論家、小説家、ラジオDJ。1966年11月26日、大阪府東大阪市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。音楽評論家として、昭和歌謡から最新ヒット曲までを「プロ・リスナー」的に評論。著書・ウェブ等連載・テレビ・ラジオレギュラー出演多数。

著書…『日本ポップス史 1966-2023』(NHK出版)、『沢田研二の音楽を聴く1980-1985』(日刊現代)、『大人のブルーハーツ』(廣済堂出版)、『サブカルサラリーマンになろう』(東京ニュース通信社)、『〈きゅんメロ〉の法則 日本人が好きすぎる、あのコード進行に乗せて』(リットーミュージック)、『弱い者らが夕暮れて、さらに弱い者たたきよる』(ブックマン社)、『中森明菜の音楽1982-1991』(辰巳出版)、『幸福な退職 「その日」に向けた気持ちいい仕事術』『サザンオールスターズ 1978-1985』『桑田佳祐論』(いずれも新潮新書)、『EPICソニーとその時代』(集英社新書)、『EPICソニーとその時代』(集英社新書)、『平成Jポップと令和歌謡』『80年代音楽解体新書』『1979年の歌謡曲』(いずれも彩流社)、『恋するラジオ』『チェッカーズの音楽とその時代』(いずれもブックマン社)、『ザ・カセットテープ・ミュージックの本』(マキタスポーツとの共著、リットーミュージック)、『イントロの法則80’s』(文藝春秋)、『カセットテープ少年時代』(KADOKAWA)、『1984年の歌謡曲』(イースト新書)など多数。

 

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