スージー鈴木のロックンロールとしての日本文学 第27回

第27回 谷崎潤一郎『文章読本』とはっぴいえんど『抱きしめたい』『颱風』

スージー鈴木

 

  • 文章に必要な「音調の美」とは何か

 

永井荷風『つゆのあとさき』の評者として、この連載に出てきたことはあったものの、谷崎潤一郎の作品自体は初めて取り上げる。作品といっても小説ではない。例の『文章読本』だ。1934年(昭和9年)に発表されたものだという。

 

ジャーナリスト・本多勝一『日本語の作文技術』を若い頃熱心に読んだ身として、今から約90年も前に大文学者=「大谷崎」が書いた文章指南など、抽象的で感覚的で、実戦力に乏しかろうと思いながら、たかをくくって読み始めたのだが、いやいやどうして、これがなかなか面白かったのだ。

 

特に、最初の「文章とは何か」の章には引き込まれた(ただ各論に入っていく後半はダレた)。現代人にも読みやすい新潮文庫版の、よく工夫された体裁も加勢して、大谷崎の書く内容にグイッと引き込まれたのだ。

 

もっとも刺激的だったのは、文章の持つ「音楽的効果」についての言及である。「音楽的」などと言われたら、音楽評論家としては、無視するわけにはいかない。

 

まず前提として谷崎は、文章の第一の条件は「分らせる」ことで、第二は「長く記憶させる」ことだとする。そして「長く記憶させる」ためには、視覚への「字面」と聴覚への「音調」が必要だと主張する。

 

——しかしながら、現代の口語文に最も欠けているものは、眼よりも耳に訴える効果、即ち音調の美であります。今日の人は「読む」と云えば普通 「黙読する」 意味に解し、また実際に声を出して読む習慣がすたれかけて来ましたので、自然文章の音楽的要素が閑却されるようになったのでありましょうが、これは文章道のために甚だ嘆かわしいことであります。

 

昭和9年に「音調の美」の衰退を危惧する谷崎潤一郎。恥ずかしながら私は、物書きにもかかわらず、「音調の美」、文章の音楽的要素なんて、ほとんど考えたことなどなかったので、逆に大きな気付きとなった。

 

——私が何故これを力説するかと申しますのに、たとい音読の習慣がすたれかけた今日においても、全然声と云うものを想像しないで読むことは出来ない。人々は心の中で声を出し、そうしてその声を心の耳に聴きながら読む。黙読とは云うものの、結局は音読しているのである。

 

なるほど。そりゃそうだ。「音調の美」に無関心だった私も、確かにこれまで、黙読しながら、心の中で音読していたぞ。というか、今も音読しながら書いている。あ、これは音読ではなく「音書」か。

 

——つまり、文章は「眼で理解する」ばかりでなく、「耳で理解する」ものでもあるのに、 当世の若い人たちは見て分るように書きさえすればよいと思って、語呂とか音調とかに頓着せず、「何々的何々的」と云う風に無数に漢字を積み上げて行く

 

約90年前の若者が、音のことなど考えず、ただ「無数に漢字を積み上げている」(何という表現!)と批判する谷崎潤一郎。では90年後の私のこの文章を読んだら、彼はどんな風に感じるのだろう。聞いてみたい。

 

  • 大滝詠一による「歌詞の文字をどう響かせるか」の工夫

 

ここで話は音楽に急展開する。「音調」——文章の文字を音としてどう響かせるかが大切なら、音楽においても、歌詞の文字をどう響かせるかが大切なのではないか。

 

つまり、歌詞を(棒読みならぬ)「棒歌い」するのではなく、聴き手の心に、歌詞をより伝え、より残すための、歌い方が必要ということになる。例えば「かなしい」という歌詞があるとして、聴き手の心に、いかに「かなしく」響かせるように歌うか。

 

このあたりに関して、これまで注意深く観察したことはなかったものの、演歌歌手はやはり、かなり鍛えられているのではないか。そして、美空ひばりは、おそらくはその頂点に立つのだろう。

 

ただロック畑だとどうか。これまで私が、あらゆるところで何度も書いてきた通り、日本語ロックは、日本語の意味性を意図的に排除し、ドライな文字列として歌詞を捉え、さらには、いかに英語的に発音するかを追求する歴史だった。つまりは、歌詞の文字をどう響かせるかなんて知るもんかというスタンスで紡がれてきた歴史と言っていい。

 

え? そう言っていいのか? ん?

 

と考え直すのは、萩原健太による大滝詠一インタビュー本『幸せな結末 大滝詠一ができるまで』(文藝春秋)に、以下のようなやり取りがあるからだ。

 

——(註:萩原)なるほど。ちょっと話は先に飛びますが、たとえばセカンド・アルバム『風街ろまん』の「抱きしめたい」とか。大滝さんのヴォーカルは当時衝撃的でしたよ。語の区切り方というか、響かせ方の巧みさというか。

(註:大滝)「確かにあの曲はかなりテクニカルに歌ったね。絵が見えるでしょ。“♪ぼくはたばこをくわえ~、い~っぷ〜くす〜ると”のところとか」

 

話は続く。

 

——落語家がキセル吸う表現をするときみたいに“す一っ”って息を吸う音をさせて。

「ここの美感だね。ああいう擬音をそろそろちりばめ始めていて。(中略)あと、たばこをくわえ〜……で上げて、♪い~っぷ〜くす〜ると······で下げるのは、エルヴィスの〈アイ・ニード・ユア・ラヴ・トゥナイト〉でもう死ぬほどやってきたからさ。(中略)こういうのがわかる日本の人にほとんど出会ったことがない。発音的にも”あ”には大きい”あ”から“う”に近い”あ”もあるし。毎回同じ母音を使わないようにしたり。(中略)『ロング・バケイション』あたりまでいくと、もうオンパレードだからね」

 

しかし、大滝詠一は、そのあたりの工夫を決して明かさなかったという。

 

——「それをあえて口にしたら逆効果。気づかせたらおしまいだからね。洒落を説明して笑ってもらうようなもんだし。それが悟られていないってことは俺の技術が通じているってことだよ」

 

つまり大滝詠一は、日本語ロック黎明期の『風街ろまん』において、「歌詞の文字をどう響かせるか」について、すでに十分意識的だったのだ。

 

大滝詠一、細野晴臣、松本隆、そして谷崎潤一郎は全員7月生まれ

 

  • 具体的な歌い方の具体的な工夫の数々

 

ここでその、はっぴいえんど『抱きしめたい』を聴き直す。歌詞と関連付けて歌い方を工夫していると思ったのは、以下の点だ。

 

・「♪ぼくは烟草(タバコ)をくわえ 一服すると」の後で、実際に「すーっ」とタバコを吸う音を表現する。

 

・「♪浮かぶ驛(えき)の沈むホームに」の「浮かぶ」のところで、実際に音程を高く持ち上げて、まさに浮かんでいるように歌っている。

 

・「♪とても素速く飛び降りるので」の後半が「飛/び降りるので」と発声される。「飛」で一度止め、つぎに「び降りるので」と高い音程で速く発声されることによって、まるで一瞬屈んで、そのあと(駅のホームに)ピョンと飛び降りている感じが伝わってくる。

 

同じく『風街ろまん』の『颱風』という曲では、オノマトペを多用し(作詞は松本隆ではなく大瀧詠一自身)、さらにそれらのオノマトペを、それぞれの意味に沿った形で発声することで、歌詞の意味を立体化させている。

 

・「♪ぐらぐらゆさぶる」の「ぐらぐら」が「♪ぐーらぐーら」と、本当にぐらついているように歌う。

 

・「♪迅(はや)く迅く迅く迅く」は、実際に速く速く繰り返して歌う。

 

・「♪どどどどどっどー」という、台風が何かを吹き飛ばすさまを表すオノマトペは、迫力たっぷり、ドスを効かせて発声。

 

・「♪街はしーんと闇くなり」の「しーん」は、本当に静まっているように、声を潜めて母音抜きの「sh-n」と発音。

 

・さらには「♪ぴしぴし」を「ピシッピシッ」と。「♪ぐるぐるぐるぐる」を、まさにぐるぐる回るように。

 

さすがに大ヒットアルバム『A LONG VACATION』(81年)になると、それほどまでに分かりやすい野心的な発声・発音は見つけにくいが、それでも『君は天然色』の「♪夜明けまで長電話して」「♪一人うとうと」は、リズムが「二拍三連」になって、本当に長電話してクラクラしている感じ、ウトウトしている感じが伝わってくるように思う。また『恋するカレン』の「♪何秒かかっただろう」の「何」の発声に、強い情感が込められている(聴けば分かる)。

 

以上、若き大滝詠一が取り組んだ「歌詞の文字をどう響かせるか」の工夫。残念ながら、その工夫の後継者は、どうも見当たらないように思う(私がチェックしてこなかっただけかもしれないが)。なぜなら先述のように「歌詞の文字をどう響かせるかなんて知るもんかというスタンスで紡がれてきた歴史」だから。

 

しかし、というか、だからこそ『風街ろまん』における大滝詠一の試行錯誤は、現代でも大きな意味を持つと考える。そして「何となく知的な香りのする名盤」はふわっとした話ではなく、以上のように極めて具体的な論立てで、あのアルバムは語られなければならないと思うのだ。

 

谷崎潤一郎、1965年没。あと6年長生きしていたら『風街ろまん』を聴けたのだ。どんな感想を持ったことだろう。

 

[ライタープロフィール]

スージー鈴木(すーじーすずき)

音楽評論家、小説家、ラジオDJ。1966年11月26日、大阪府東大阪市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。音楽評論家として、昭和歌謡から最新ヒット曲までを「プロ・リスナー」的に評論。著書・ウェブ等連載・テレビ・ラジオレギュラー出演多数。

著書…『ライバルたちのJポップ史 』(祥伝社)、『日本の新しい音楽 1975~』(日刊現代)、『日本ポップス史 1966-2023』(NHK出版)、『沢田研二の音楽を聴く1980-1985』(日刊現代)、『大人のブルーハーツ』(廣済堂出版)、『サブカルサラリーマンになろう』(東京ニュース通信社)、『〈きゅんメロ〉の法則 日本人が好きすぎる、あのコード進行に乗せて』(リットーミュージック)、『弱い者らが夕暮れて、さらに弱い者たたきよる』(ブックマン社)、『中森明菜の音楽1982-1991』(辰巳出版)、『幸福な退職 「その日」に向けた気持ちいい仕事術』『サザンオールスターズ 1978-1985』『桑田佳祐論』(いずれも新潮新書)、『EPICソニーとその時代』(集英社新書)、『EPICソニーとその時代』(集英社新書)、『平成Jポップと令和歌謡』『80年代音楽解体新書』『1979年の歌謡曲』(いずれも彩流社)、『恋するラジオ』『チェッカーズの音楽とその時代』(いずれもブックマン社)、『ザ・カセットテープ・ミュージックの本』(マキタスポーツとの共著、リットーミュージック)、『イントロの法則80’s』(文藝春秋)、『カセットテープ少年時代』(KADOKAWA)、『1984年の歌謡曲』(イースト新書)など多数。

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