台湾某日日記 第1回

某日一                         真木由紹

 

目が覚めてしばらく己の記憶力の低下についてぼんやり考える頭になった。とはいえ能動的ではなく、起きたての頭がそんな始まりをしていたのだ。

二年ほどの前のある日、前日に読んだナボコフの短編の数々、その題名たちがまったく思い出せないことに驚くことがあった。以来、老化の自覚に、あてつけのように迫られること多く、事ある毎にげんなりするのだ。

ひとまず台湾の某日、麗しき島国の比較的北部の義兄にあてがわれたマンションの一室にて時刻は朝十時に近い。仰向けのまま目の開閉を繰り返すこと十分二十分、不意に衝撃音を聞いたから、おやっとなった。外と内のどちらかはっきり分かりかねる鈍い音である。なんらかの続きに備えて構えながらしばし、義兄の部屋の細部がいくつも浮かび上がってきたが、どちらにしても、しっくりこない。

普段は東京で木造のアパートに住んでいるせいで、こちらに世話になる度、マンションというものに感心している。もうほとほと、のレベル。一切音がしないのだ。詳しく言えば室内に建物の内部から音が発生しない。へこまないし、きしまない。

義兄は仕事に出ていて、いないはずである。とは言え、やはり件の音はこの部屋に因んで発生した可能性が高い。にもかかわらず反応しないのが、我が身体だ。目は開けることに舵を切らず、半身も起きぬまま。台湾滞在最終日はあてがわれた新品のマンションの一室でぼーっとしていて、何もまだ始まらない。

土産物の調達は済んでいる。吉見、宇野、丸山には家樂福(カルフール)で三本一セットの「白人牙膏」を買ってある。三本一セット99台元の歯磨きチューブを包装破ってそれぞれ一本渡す予定だ。それから萩田氏、太田氏、迫田氏には昨晩マンションのごみ置き場から見繕った杏仁粉と赤ちゃん用粉ミルクと羊の脱脂粉乳の空き缶を平然とお渡しするつもりだ。これがまた缶の胴体にこれでもかと繁体字をまとっていて、見目が麗しい。なにしろ何かと台湾の東西(もの)をお渡しする機会のある彼らだ。最早、パイナップルケーキのような高価なストレートは通じない、と私は思っている。加えて、それぞれ「おおこれはすごい」と多少はパフォーマンスがあったにしても、喜んでくれる優しい大人連だ、とも私は思っている、こちらも勝手ながら。ただし、よりによってタダで手に入れたものを渡す面々が自分より年長者と来ている。申し訳ないというより面白い。

また、書店巡りも三日に分けてやってある。特段、仕事というわけではないが、縁あって昨年、台湾の出版事情や書店事情にまつわるトークイベントの機会に恵まれた。となれば、見聞を増やしておくに悪いことはないとバスとスケボーを使い分けながら今回も新たに見学に勉めた。

昨日などは中壢市内からバスに乗って田んぼの中にある「晴耕雨讀小書院」、さらにバスを乗り継いでは仙草茶の名産地でもある新竹県の関西まで南下。そこで字面(てんめい)のこれまた愉しい「石店子69有機書店」を訪ねた。その後は西へ向きを変え、ひたすらスケボーで西へ滑りゆく。気温は三十五度ぐらいだ。途中、警察署の分局が目に入った際には休憩目的で立ち寄らせてもらった。ちょうど昼時だったらしく、ロビーの隅にある応接用スペースで三人の警察官が食事をしていた。そのうち一人と目が合うと「怎麼了(どしたの)?」、休憩させてというと自身が座っているソファの空いた座面を叩いて、「請坐這裡(ここに座って)」と優しい。加えて給水機を指さし、「要喝水嗎(水飲んだら)?」とまで言ってくれる。

膝ほどの高さの長机にはプラスチックの平カゴが直接置いてある。そこに各プラスチック什器に入った白飯やおかずが入っている。スープだけが寸胴の鍋だが、いずれにせよ予めの定食ではなく、各自が好きなようにヨソって食べるのだ。殊にプラスチックの什器からメラミンのお椀に盛られた白飯は様子が良く、もう雅と言ってよいほどだった。

先ほど真っ先に声を掛けてくれた警察官の王さんは南投出身だという。私が自分の故郷も海なし県であることを伝えると「哪裡(どこ?)」、我が故郷の名を伝えれば知ってくれているらしい。会話は最終的に提案で結ばれ、お次の目的地である「水石有機書店」まで王さんがパトカーで送ってくださった。

結局、ベッドから降りたのは目が覚めて一時間経ってからだ。先ずはベランダに干した洗濯物を中に入れる。と、サッシに手をかけた瞬間、衝撃音の原因が判明する。ガラスの向こうに黙りこくった鳩がいるのだ。脚は立っていない。まるで巣に体を落ち着けているかの憩いの風情であるが、きっとガラスにぶつかり、首を折ったはずで、尚且つすでに死んでいるはずだ。

ベランダが西に面した部屋が五十ぐらいざっと広がっているというのに、なにゆえにこの部屋なのだろうか。義兄は確かに普段からカーテンを閉めていない。とはいえこちらは確率論的な不可思議さに満ちる。

とりあえず鳩を避けながら洗濯物を取り込んだ後、マンションを出る。とりあえず歩いて二十分先の駅に向かうが、この余ったような滞在最終日に特にやることも浮かんでいない。台北に出て、こちらの詩人である煮雪と落ち合おうか。でも煮雪は本日台南へ行っているはずだ。それじゃ開成はどうだ。いや、彼は彼で花蓮において高座があると言っていた。

田んぼに挟まれた道を歩いていく。間もなく左手に新築のマンションが現れる。過ぎればまた両手に何もない風景となり、次に現れるのは右手に豪勢な新築の一軒家。家自体はおろか、敷地を截然と田んぼから仕切っている壁が異様に高い。自身が狙われているという自意識がなければ、これほどの壁を用意するに至らないだろう、通過する度に思う。実際、目を凝らさなくても通りすがりに防犯カメラを四つ以上確認できる。

ここを過ぎると義兄の遠い親戚だという家が左手に現れる。広大な庭は壁ではなく、鉄線の網が巡らされている。その理由は一目で分かる。カモと鶏が放し飼いされているのだ。その中に現在、お爺さんの姿が見える。百歳近いという。こうして姿をお見掛けする度に日本語で声をかけるアイディアが浮かぶのだが、本日もまたしないでおく。迎えた十字路をまっすぐ渡ると道は車一台の幅しかなくなる。これが田んぼの中を可愛いぐらいにいくつも曲がりくねっているばかりか、見事なまでの下り坂になっているせいで田んぼに水の張られた季節にはスケーターは恥じらいもなく興奮する。

本日は着実に足で進んで川まで行き着いたら短い橋を渡った直後、川沿いの土手で近道を選ぶ。足元は昨夜の雨でまだぬかるんでいる。つまりは舗装されていないのだ。そりゃそうだ。そもそもこの辺りで歩いていて移動している人なんていないのだから。皆が皆、車かバイクであり、生身の人を見かけたところで歩くというより田んぼの中で作業をしている。つまり四捨五入すれば立っているか、しゃがんでいるかだ。その意味でこの土手が舗装されていないのは当然とも言える。いかんせん使い道がない。だいたい、踏みごたえのない地面に遺っているのは今とは逆を向いた昨夜の私の靴裏ばかりではないか。

土手から外れる。そして誰かが石で埋めることで強引に作った、歪な繋ぎ目のような短い小道から新しい道に出る。ちょうど道がカーブを成す深いところだ。こちらは比較的舗装された道が新しい。というのも同じく比較的最近新設された野球場の外周を成す道なのだ。野球場本体と余裕をもって外周する道の間には駐車場が広がる。この野球場を本拠地とするチームの母体が日本企業ならば、よりによって駐車場もまた別の日本企業が運営している。試合がなければ人もいない造り立ての風景はひどく味気ない。歩きながら時折、ぽつんと佇むスクーターを迎える。駐車場を無視するばかりか周囲に家もないのに路駐されているスクーターに砂漠に水を見つけたような気持になる。

球場の外周をバックスタンドから三塁側を経てレフトに回り込むように歩いて、センターあたりに備え付けられたエレベーターでデッキの上に上がる。球場を後にしたら、今度はこのデッキ伝いにタワマンを回り込んでいくのである。ちなみにタワマンは地下から四階まではショッピングモールとなっており、どうやら本日は楽天イーグルス専属のチアガールがモール内のパン屋で一日店長をするらしい。モールの入り口から直結している駅の改札まで重厚なカメラを手にした人たちが列を成している。

野球グラウンドを模した駅構内をあっさり抜け、ホームに到着すると中空に伸びたレールの上をゆるやかな速度で電車がやってくる。台北方面に向かう二番線と違って中壢市内に向かう一番線電車は人が少ない。これが一つ進んだ後、二つ目の「環北」駅から地下に入り、三つ目の終点「老街渓」駅で電車はまた台北方面へと折り返す。

老街渓駅で電車を降りて、深い地下から地上に上がる。先ず目に入るのは信号待ちをする六台のスクーターの横面だ。こちらにとっての信号は青である。けれども今なら渡り切れる横断歩道に足を踏み入れるほど急ぎたくはない。だからと言って日差しの中、待ちたくもなくて、スクーターとそれに続く車の数々がこざっぱりしたら、赤をゆったり渡らせていただく。

思うに老街渓駅とここから南に歩いて十五分ほどのところにある在来線「中壢」駅を直径としたら、その円で囲われたエリアが中壢の中心エリアになるのではないだろうか。一日あれば足を使ってでも事足りる。お隣の茫洋とした桃園市の中心に比べ、小さくも身がしまっていることが感じられるに違いない。

別に台湾に限った話ではない。歩くことで街のサイズ感を身体が識る、身体で識る、のだ。これがスケボーだと不十分なのだ。幾分、感覚が変わってしまう。無論、街のサイズ感を感じることは可能だ。けれども歩きに比べたら輪郭がぼやける。それゆえ二回目を足で歩いた際に覚えのない距離感や誤差が生じる。片足ならぬ片目で臨んでいる感覚に陥ってしまう。

車道の路肩を歩かず、「商圏」の中を行く。商店街の一帯とも言えるこちらを歩くと行き交う車やスクーターにそこまで気を遣う必要がなければ、足元がアスファルトに非ず、同じ規格(サイズ)の石がはめ込まれたものになっているため、気を急かされない。

それにしても、この「商圏」の中には東南アジア系の方々が利用するお店が数多い。無論、この街で働く東南アジア出身の労働者の数に比例しているわけだが、食料品、カフェ、美容室、この辺はさもありなん、としても換金と送金、荷物の発送所の稠密にはなかなか驚くものがある。やはり、いずれの看板も繁体字が見当たらない。タガログ語やインドネシア語など複数の言語が左右に連なれば、上下に段を重ねていたりする。これらとはまた別に、台湾と東南アジア移民の一つ濃い時間の奥行きを感じられるのが中壢駅前に横並ぶ貴金属の店舗群だ。いくつもの店舗に両親のどちらかが台湾の人と結婚した二世の若い店員さんたちがいる。

昼時と言って良い時間だ。商圏の中で幾度も角を曲がって目的地に辿り着く。こちらに気づいたカレー店の店長、呂さんがわざわざ手を振って迎えてくれる。しばしのお喋り。二か月前の五月、初めてここに来たというのも、こちらがとある政治家たちを対象にした罷免活動、その署名運動の現場の一つだったからだ。その際に次は妻を連れてくると約束して、今回、約束が遂行できたのが有難い。尚、妻は今回、罷免投票に参加した後、仕事のため颯爽と東京に戻っている。

隣は麺のお店だ。店長の余さんに挨拶がてら口頭で注文を伝えてしまう。面白いことに隣り合う二つのお店の食事場所は共有であって、カレー店の店内となっている。余さんは室内にテーブルの用意していないのだ。こんなスタイルの理由も店長同士が恋人だからだろうか。

ちなみに横幅のある建物自体は麺のお店の余さんのもので、祖父の代からこの場で商売を続けているという。店内には親戚を含んだ一族代々の写真が数多く飾られている。白黒の写真にカラー写真、緩やかに面々を変える家族写真の映り込んでいるのは現在、建物の前に聳える巨木だ。ひとつの家族と共に在り、尚且つその歴史を垂直に貫いている。

注文したものが出てくるまでの間、私はこの大木を見上げていた。その高さは三階建てであるこちらの建物と同じくらいだ。このまま木登りでもしたら、容易く屋上に到達できるのではないだろうか。だいたい幹は上に行くにつれ、住居の方に傾いでいるのだ。条件は揃っている。あとは得意げに登り伝っていく子供がいれば良い話だ、裸足の足裏を見せながら、難なく軽快に。

空想を呑気に思い描いているところに、あッと叫び声が上がった。店内に目を移せば、女性が倒れた瞬間(ところ)だった。店内の誰もが口を開けて唖然としている。一瞬の後、皆で倒れた本人のところに近寄るも上半身すらなかなか起き上がらない。なにしろ後頭部から倒れたのだ。真っ先に駆け寄ったおばさんが、声掛けをしながら本人の肩を揺すり始める。ぽつりと麺の置かれたテーブルを見るに女性は店の一角に箸を取りに向かう途中だったに違いない。

とりあえず、すぐとは言えないまでも倒れた女性が目を開けた。それから何かを確認するように見つめた手のひらをグーパーグーパーさせた後、立ち上がって自分の席にゆっくり戻った。同時に先ほどとは別のおばさんが女性の肩を揉み始めた。女性はその肩揉みを受け入れているのか気づいていないかの様子でぼそっと、「連我自己都不知道發生了什麼事(何が起きたか自分でも分からない)」、そうしてテーブルに置かれた鍵の束をポケットにしまい、空けたスペースに両肘をつく。

私はその後、特に理由もなく西の方へずっと歩いた。ある一時、偶さか覗けた視界に中央西路を右から左に切れ間なく歩いていく高校生たちがあった。中壢で一番歴史のある高校が近いのだ。様子を一瞥すべく向かってみれば、放課時間と重なる学校前は案の定、学生で溢れている。敷地内も同様だ。敷地内に停まる市営バス三台に列をなす一群が見てとれる。そんな風景の後ろで、校舎が随分と豪奢な造りだ。

私は回って観察すべく、学校により近づいて正門前の横断歩道を迎える。横断歩道はこちらとあちらに交通係らしき学生が立っている。そう分かるのもそれぞれ手に黄色の誘導旗を持っており、おまけに表情まで揃って厳粛だからだ。

信号が青に変わった。別段、気が急いたわけでもないが、結果的に信号待ちをしていた人の中で私が一等早く歩き始めた。と、一台の乗用車が視界の外から突っ込んで来て、私の鼻先で急停車した。あまりの不意打ちに驚く間すらなかった私はこれといって乱れていない。とりあえず突っ立ったまま車内に運転手を探って、目を合わせた後、確と青い信号機を指さしたまま、また運転手と目を合わせた。運転手は運転席から頭を下げ、謝った。愛想の良い表情だった分、申し訳なさがこちらに伝わってきた。はっきりおばあちゃんだった。

義兄は帰宅するなり、鳩の話だった。日中にこちらが送っておいた――鳩と爆弾の絵文字だけの――わざと謎を持たせたラインにまんまと反応した感じだ。

私がベランダに案内すると「完蛋(やっべ)!」、そんな義兄に私はいかに鳥類が苦手か下手な中国語で念を押す。そして、せめてもの気持ちで前もってゴミ置き場から見繕っておいた小型の段ボール箱を義兄に差し出す。すると義兄が大きめのホウキを手に、このダンボールに鳩を転がし入れた。「剛好(ぴったりだ)!」、二人の声が重なった。

夜九時ごろ、義母が訪れた。鳩が理由である。こちらが深夜の散歩がてら川に捨ててくるつもりであることを伝えると、義母は私が車で行って来ると買って出た。そして「我知道那條河、那條河(あの川ね、あの川)」、確かめるように独り言ちては、たくましい表情を浮かべて義兄の顔を見ることなく大股で部屋を出ていった。

 

 

[ライタープロフィール]

真木由紹(まきよしつぐ)

1982年生。著書『台湾および落語の!』(2023年/彩流社)の中国語版が台湾にて来春刊行予定。時折『週刊読書人』、『図書新聞』に書評を寄稿。

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