この嘉義に週三回ほど通うカフェがある。天井も高い上に、ただでさえ広々としている店内は夜十一時を過ぎる頃にはがら空きの風情となる。その心地良さは店員も一緒のようであって、日付が回る頃に出向くと、あらゆる日のいずれのスタッフも輪をかけて携帯に没頭している。
聞き間違いが頻繁に生じる場所だ。と言っても店員とのやりとりにおいてではない、客席フロアにおいてである。私は基本、一階フロアのいずれかのソファに利用する。ひじ掛けに両腕をどっと乗せたら、背凭れにこれ以上にないほど甘え掛かる。顔だけだが天井と向かい合う状態がつくられ、飲料をテーブルに置いたまましばらくこの世を留守する。時折、往来の減った通りからスクーターと自動車の走行音が届いたり、注文客を呼び出すブザー音が殊更強く響いたりもする。これらとまた別に聞こえてくるものとして二階フロアの喋り声の存在がある。
それが台湾語である際、つい一瞬、他の言語(おと)に聴き間違えてしまうのだ。あれはタガログ語か、はたまたインドネシア語か、やら、こんなとこに今日は韓国人も日本人もいんのか、とか。その都度、早合点するも実際のところは異なって、しばし経った後、“それ”が“台湾語”であると峻別がつくのである。妙なことだが、この聞き間違えは決まって台湾語のみに起こって、国語である中国語では起きない。日本語にも聞こえる一瞬もあるのだから声調やらの話ではなかろう。どちらかと言えば眠気なり、疲労なりでこちらの何らかが鈍っていると考えるのがよろしいかと思える。加えて、もう一つ妙なのは錯覚がこちらのカフェに限って生じる現象であることだ。もちろん、はてどうしてか、と疑問が湧く。けれども、今のところは不思議の只中に留まろうと思っていたりする。
やはり深夜に訪れた三週間前のことだ。店頭にベンチに腰掛ける長髪長髭の若者がいた。注文の品が出てくるまで本を捲って待っている様子が見てとれる。私は後れて注文した後、興味本位で彼の横に腰かけ、あ、侯孝賢(ホウ・シャオシエン)じゃん、と芝居を打ってみた。すれば彼は──こちらを訝る瞬間など挟みもせず──自分の背後の通りを親指で差し、この興業西路が『憂鬱な楽園』に出てくることをぽっと教えたのだった。
彼は大麥と言った。「夜路、車子」、大麥がヒントを与えてくれるも私は該当しそうな場面をどうにも思い出せない。車の場面かぁ、つい日本語でも呟いてしまう。そもそも乗り物の台湾映画である。殊に“乗り物”の侯孝賢作品なのである。輪をかけて乗りに乗っている作中から特定の場面はやはり出てこない。こちらを見かねた大麥が携帯を操作した後、画面を横に倒した。
男二人を乗せた車がゆったりと夜道を進んでいく。緩やかながらフロントガラス越しにネオンライトが増えていく。その煌めきが引き立つのは、闇夜が奥行き深く控えているからである。カメラは尚も息を潜めるごとく暗い車内に据わっている。間もなくウインカー音を立てながら迎えた交差点を右に折れ、車は次の道へ進入する。左右にネオンライトがどっと増える。
侯孝賢、一九九六年の作品である。私は大麥から携帯を拝借して映像を戻した。とは言え、画面に通りの名は映らない。それに左右に立ち並ぶ店また店はネオンを照らすだけで、画面を一時停止したところで現在と照合する術はない。ところが車が南京路から興業西路に右折する瞬間だ。よく見れば交差点の角に位置するスーパーが街並みの中で唯一判別可能なネオンライトの文字を浮かび上がらせている。建物に大きく張り付いた赤で「億客來」、我々のところから五十メートルも離れていないスーパーである。
ところで「億客來」のネオンは現在、様変わりしている。仮に今のネオンが画面に映り込んでも判別できないだろう。縮小した上に位置が変わったのだ。加えて、このところの「億客來」は嘉義のスーパー事情において後れを取っている印象だ。正直、店を閉じるのも近いのではなかろうか。そんなことを思えば、このタイミングを抱きしめたくもなる。『憂鬱な楽園』に嘉義が出ていることをまさに嘉義で確認したこと。はたまた主人公らの車が進入した興業西路には我々が待ち構えており、三十年の時間差ですれ違いかけていること。いやはや、ぞくっとしてしまう。
訊いてみるに、こんな一時をもたらした大麥は、ものの見事に映画関連の仕事を志望しているのだった。いやはや、またぞくっとしてしまう。ちょうど我が友人が一人、広島で二週間の映画撮影に入るところだった。その上、スタッフがもう一人必要であるなんてことを数日前の電話で言っていた。なら大麥はどうだろう。互いに言葉が通じなくても面白い経験じゃないか。と、大麥は“興業西路”から四日後には飛行機に乗って、未経験の日本へ飛んで行ってしまったのだ。
そんな風に嘉義から日本へ初めて向かった人間がいる一方、日本から嘉義へ初めて来た人間もいる。佐藤である。この男は基本、いつ何があってもおかしくない人間である。そして真性の怠惰を特徴としている。にもかかわらず、奴が台湾にいるのであればと、まるで今生の思い出を作るかのように頑張って人から金を借り、大麥と入れ替わるようなタイミングでやって来たのだった。
お金というものと縁遠い我々は──以前の豊島区における散歩を延長する形で──ひたすら嘉義市及び嘉義縣を散歩した。私の仕事時間を散歩時間が挟み込んでいると言って良いほど長い時間を歩くことで過ごした。道を収集するかのごとく、である。要は代り映えのない十日間だったのだが、一貫したものはもう一つあった。
それは佐藤が真夏の台湾を揃いのスーツのみで過ごしたことだ。いや、日中に限った話ではない。佐藤の寝床はバイク修理屋の二階にある私の部屋隣の空室だった。空室にあるのは備え付けの──マットレスを欠いた──黒檀のベッドだけであり、エアコンはおろか扇風機とて備わっていない。つまり、寝つきの極めて悪い環境下にあるわけだ。にもかかわらず、佐藤はいたって平然とスーツを身にまとい眠りにつくのである。
朝が来て、出勤前の彼女が先ず私を起こす。それからついでに佐藤をも起こしに行く。すぐに「ぐぇッ」という彼女の声が石材仕立ての建物にコダマする。そりゃそうだろう、曇りガラス越しにゆらめく太陽光のもと、黒い木の上で横向きになり、腕を組んだまま寝入るスーツ。いたって面妖異様でしかない、にもかかわらず、三日も過ぎれば笑いのツボにまで到達するのだから面白い。結果、彼女はそんな寝姿を見たいがために起こしに向かうようになり、挙句には記録用にと一眼レフまで用意する次第。
迎えた最終日、佐藤は新幹線駅までタクシーで向かうこと予定だった。ところが路上でタクシーを拾う段になって、最後に愛玉(植物の種子を揉んで作る天然ゼリー)が食べたいと言い出した。なので佐藤を路上に待たせ、新光三越の脇の廣寧街でお婆ちゃんから買い求めた後、舞い戻って佐藤に持たせた。
が、これが随分と大きい愛玉であって佐藤が唸るのも無理はなかった。当初、八十台湾元という高値に私は違和感を抱いたものの、躊躇する暇もなく代金を支払ったのだ。そこへ出てきたのは二キロの薄黄色の塊だった。(その量を数字以外の具体に換算するなら朝昼晩各食のデザートとして五人家族で平らげるぐらいの量だ。追記するなら愛玉は本来レモン汁や黒糖汁などと一緒に味わうからこそ美味しい。いずれにせよ、この八十元はむしろ安いくらいなのだ)
この度、愛玉はビニール袋に直に入れられている。スプーンも付いていないことを考えれば、佐藤は自らの手をスプーン代わりにして食べる他ない。加えて食事場所として残されているのは、すでにタクシー内と新幹線内と空港内だけであって、更には飛行機のチェックイン時間という時間制限まで発生し始めている。
とりあえず垂楊路でタクシーを拾い、佐藤に乗ってもらった。荷物を私の部屋にすべて残してきた佐藤は今から二キロの愛玉をだけ携えて、帰途を始める。私はタクシーの姿が消えてもなお、手を振ることを忘れ、腹を抱えてしばらく笑った。
三十分ぐらいだろうか。路上で笑い転げた後、腹部と口周りに痛み覚えながら、砂埃の付いた服で仕事に向かった。ところが二時間ほどして、私と佐藤の共通の友人である真也から不意の電話をもらうに至ったのだ。彼が普段とまるで違った口ぶりで伝えるのは佐藤の緊急事態である。ただし、過剰に深刻な口ぶりは佐藤が交差点で跳ねられたかのような雰囲気を纏うも、内容はいたってありがちなトラブルなのである。「真也」「はい」「大丈夫よ、心配しなくて良いよ」「ほんとですか、仕事とか、大丈夫ですか」「佐藤は無職だろ」
なぜ回りくどく、真也が挟まれたのか。それはさておき、佐藤の台湾行きが決まった際、私は佐藤の部屋から成田までこの若者に同行してもらうことを頼んだ。佐藤の怠惰からくるドタキャンパターンを考慮してのことだ。そんな性質を身に染みて認識している真也はこちらの願いを周到に運んでくれた。
更に二時間が経過した。中山路で昼の仕事を終えた私は語学教室から直接、台湾鉄道嘉義駅の後ろ出口に向かった。ラインによれば佐藤は新幹線の嘉義駅からタクシーを使わず、無料バスBRTで到来するらしい。佐藤なりの学習なのか、珍しく意志が感じられる選択だ。 間もなく、BRTの停車場に佐藤を見つけた。前日──日頃から早くお爺ちゃんになりたいとの希望通り──吉恩の美容室で染めてもらった頭がより一層、白髪に近づきつつある。佐藤が言うに、空港へ行ったら搭乗予定の飛行機が見当たらないのだという。物が見当たらないかのような口ぶりで「ないんだから、ほんとうに」
ひとまず休憩しよう。共に極めて凡庸な苗字を持った者同士は話がまとまり、嘉義駅から南に延びる仁愛路を歩き始めた。ちなみに仁愛路はやがて『憂鬱な楽園』の興業西路に交差する。まっすぐ進んでものの一分、民族路を前にして信号が赤となった。そこで調べるに搭乗機紛失原因はこちらにあったのだ。佐藤がタクシーで嘉義市内出発した時間こそ、搭乗予定の飛行機が桃園空港を離陸した時刻であった。ひとまず休憩しよう。加害者と被害者は今一度、考えを揃えて、横断歩道を渡りゆく。
更に十分ほど歩いて「胡永泰珈琲」に到着した。知りうる限り嘉義市内で最も安い珈琲屋であり、最も若者に見向きもされない珈琲屋である。実際に店内にせよ店外にせよ、お喋りに興じているのは爺さん、婆さんばかりなのである。店はシャッターの玄関になっており、営業中の現在は幅五メートルを超す間口が開け放たれている状態。若者がカメラを構えたくなるには、きっと飾り気のない店内なのだ。
それはそうと私はこの店が気に入っている。何しろ浅煎りばかりの嘉義において、唯一苦みを味わえる珈琲はここにしかないのだ。フルーティーな口当たりなど欲していない人間からすると、このお店は有難い。それに──こちらからすると誰も存在に気づいていないように思える──店の片隅に置かれた冷凍庫の中の自家製アイスクリームが過剰に美味しいのだ。
とりあえず佐藤は飲み物だけでいいという。「冰的黑珈琲、兩杯」、注文の後、振り返ったところ妙である。お店の人がモップで床を拭き始めている。これがレジまで斜めに横切って来た我々の動線に沿っている。つい佐藤と二人、突っ立ったまま目を合わせ、何があったかと考え巡らすわけだが、答えはフィジカルな形で明かされる。ことを済ませた店員さんから申し入れがあるのだ。「那個破洞的塑膠袋,不要的話我可以幫忙處理掉」。佐藤が手に持つ空のビニール袋をこちらで処分しましょうか、というのだ。確かに佐藤は右手にビニール袋を提げている。そりゃそうだ、その中にゼリー状の愛玉を二キロも収めていたのだから。けれども今、その姿形がなくなっている。そして何より来た道が濡れているのだ。
私たちはビニール袋を店員さんに託した後、アイスコーヒー片手に店先から仁愛路を見ることで振り返った。と、灰色の道路端に線条の水分の痕跡が見出せるのだ。これが、か細くも明瞭な黒い線と成って、目の届く範囲の最奥からやって来ている。
私たちは店先の円テーブルにアイスコーヒーを置いたが、先ほどの店員さんに改めてお礼を伝えてから腰かけた。「重量がなくなっていく過程って手だと気づかないもんかね」「そうだよ。体積が縮小しているのに台湾のビニール袋が頑張って形状を維持していただろ。だから気づかないよ」「そういうもんかね」「そういうもんだよ」「そうか」「そうだよ」
乗り物の往来が絶えない通りは太陽にカンカン照りだ。私たちは屋外にいるものの、日よけ用パラソルの作る日陰のもと、室内の巨大な冷房装置の送る冷風をもらっている。喋りに興じてしばし、二人揃って視界の端に感じる何らかがあって、首を動かした。はっきり外国人と分かる爺さんがネットカフェの店先を横切り、こちらに向かって歩いて来ていた。麻地のようなくすんだ白の上下に、シルクハットのいで立ちである。そのブラウンとクリームを掛け合わせたような色のハットに佐藤が反応した。「寅さんだ、寅さん。年季も入ってんなあ」、確かにハットを脱ぐ際に親指と中指のあたるところが濃く変色している。それでも注目は一瞬のことで、私たちはまた向き直ってまた喋りだした。ところが英語が耳元に聞こえたのだ。はっきり私たちに向けた発声で「日本にいた時の同僚だったミスターサトウに似ている」ときた。なので私は我々が実際に日本から来ていること、及び、このスーツ姿の男がその元同僚と同じ苗字を持つことを彼に伝えた。声の主は聞いたそばから「wow」、驚きを示しつつ、空いている席にしれっと腰掛けた。
男性はブルームと言った。英字新聞の記者として一九八〇年代後半を東京で過ごしたとのことだった。所属が所属ゆえ、芥川賞のパーティーに参加したことがあって、そこで大江健三郎にも会ったらしい。「私のパスを見た大江サンがハロルド・ブルームの関係者か訊いてきたんだ。だから、ハロルドは私の伯父です、と嘘をついてみたんだけど、大江サンはびっくりしていたよ。信じたんだね」
ブルームはこの時ばかり、とでもいうような勢いで自身にまつわる昔話をあれやこれやと一応東京から来ている──群馬県人と山形県人の──我々に語るのだ。寅さんはやはり好きらしい。ハットに違わず、である。そればかりか寅さん好きの外国人としてテレビ東京にも出演した経験があるそうだ。
けれども何ゆえに台湾なのか。話の途中で訊ねた。するとオーバーステイでの逮捕がきっかけだったという。そして四か月の勾留期間を経た後、同郷の友人のいる台湾を行先に選んだ。その程度の始まりだったよ。以来、ここでも英字新聞に記事を寄稿したり、何なりしたりして、結局友人より長くここに住み着いてしまったよ。
で、Youは何に惹かれて嘉義に引っ越して来たわけ?今度はブルームが訊ねた。私は終始、陽気な男がどんなリアクションをするのか見てみたくなり、唐突ながらシャーウッド・アンダスンの名前を挙げてみた。嘉義を初めて歩き回った時の印象が『ワインズバーグ・オハイオ』で読んだ街との印象とそっくりだったんだ、そう伝えた。ブルームのリアクションが想像以上だった。笑いに顔を歪めるなり、軽く万歳のように両腕を挙げ、今度は両手を叩きながら笑い声が一気に大きくなった。笑い声はしばらく止まず、「masterpiece、masterpiece」と同じ言葉を幾度も繰り返しては人差し指を立てた拳を胸元で前後に振るのだった。
ブルームの去った後、私と佐藤はようやくアイスコーヒーに口を付けた。共に使い慣れない英語といつにないハイテンションでがんばったため過剰に喉が渇いていた。
尚、この出来事から十日が経過しているが佐藤はまだ、ダブルのスーツで嘉義にいる。
[ライタープロフィール]
真木由紹(まきよしつぐ)
1982年生。著書『台湾および落語の!』(2023年/彩流社)の中国語版が台湾にて来春刊行予定。時折『週刊読書人』、『図書新聞』に書評を寄稿。
