台湾某日日記 第3回

対する感心が、一定の鮮度を維持したまま久しい対象として、この世の爺さんの存在がある。いつでもどこでも爺さんがいることにほとほと感心している。あれはなんなのだろう。小五の時に遊び場とする場所のそばに一軒の小ぎれいな平屋があった。家幅と同等の距離を植木鉢が三列並べられている家の前だった。その家にもやはり爺さんがいた。この塩田家の爺さんは過剰な頻度で家から出て来ては、植木に飽きもせず水くれと観察を繰り返す。ボールが自身に当たる分には一切、怒りを示さない。当たった事実に気付いていないがごとくである。ところが鉢に当たった際には異様な咆哮と共にこちらを睨んでくるのである。原爺さんとは妙な言い方になってしまうが、世の爺さんに対するほとほと感心する何かは、この塩田の爺さんに始まっている気がする。

嗚呼、なんと爺さんがいることか、いつでも、どこでも。そう、紛れもなく爺さんの「いる」ことに感心する。これは今後も変わらないと思われる。最近などは、あの世に行ったところで、この世を眺めて同じくする気がしているぐらいだ。だいたい、なにゆえに対象が他にズレることもなく爺さんだけなのだろうか。一応の自答すら、まだ一切ない。

そんなことより古本を売って引き返すMRT(地下鉄)内での出来事だ。肩のあたりを後ろから強く叩かれた。こちらが気を抜いて、手にした飲み物を口元に運んだ瞬間である(台湾の地下鉄は改札内から車内を含めて飲食は禁止されている)。詳しく言えばストローを咥えた瞬間であったが、とにかく振り返ってみると、ここにもやはり爺さん、なのである。出で立ちは半袖のシャツにブラウンのスラックス、足元は靴下を履いた上でサンダルをつっかけている。そんなこざっぱりとした主の手には私に衝撃を与えた雨傘が保持されている。

こちとら反射で素早い動きになったとはいえ怒りの感情には非ず、ただ向かい合った相手の顔には瞬時に己の判断を誤ったとする感情が入り込んだのが見て取れた。しまった、外国人だったわ、というようなやつである。「為什麼?(なにゆえでしょうか)」、私は相手の行動の所以を重々分かった上で敢えて訊ねた。「因為你喝了飲料(飲料を飲んだじゃないか)」「啊、不好意思。我忘了這個規定(ああ、すみません。忘れていました)」、そして素直に謝った。と同時に、それだけで終わりにするには足りない遊び心を言葉として付け加えた。

「台湾が好きで友人も多いんです」、「友人たちを尊敬しています」、「だから友人たちは先生です」、「つまり台湾は私の先生です」、「私が飲み物を飲んだことは謝ります(実際には未遂)」、「ですが、今後、同じような人を見ても、お願いです。傘で叩かないでください。お願いします」、そんな風に短い華語のセンテンスを繰り出すこちらに対して、爺さんは一言、「ソ、ソーリー」、なぜか英語でさもバツ悪そうに答えた。面白いことにその後の我々は電車ばかりでなく降車駅、はたまた出口も“4番”を共有した。更には地上に上がり次第、足を向けたのが同じく三明治(サンドイッチ)のお店であって、店内で改めて会釈を交わした。

店を出たら次の目的地は通りを挟んで向かいである。本日もマンションの受付には蔡さん(ちなみに蔡さんは爺さんではない。小学生のお孫さんのいるお婆さんだ)がいる。あらまといった表情を見せてくれた蔡さんに「好久不見(お久しぶり)」、挨拶と共に方向転換をしたら、突き当りまで歩いてエレベーターに乗り込む。向きを変えると遅れて乗り込んできた人がいて、これがパイロットのユニフォームに加えて、小ぶりのキャリーケースを携えている。至近距離で目の当たりにする、さもフライト終わりの中年である。奇遇にも目的階が同じで十一階だった。ドアが開いては、パイロットは右へきびきびと歩を進める。こちらは左の奥まった先に用がある。まず施錠機能の失った鉄の扉を開け、それから無関心ゆえに施錠されていない木の扉のレバーを上にあげる。そうして本日もまた開成の部屋にいともすんなりお邪魔する。

二十畳程度の居間のまわりを六畳程度の三室と三畳程度の台所とユニットシャワー室が半囲いしているような間取りだ。晴天の現在、それぞれの窓やらカーテンやらドアの隙間を伝った日中の明かりが、漏れ薄まったかのように居間に在る。中央の大きなテーブルの上には酒の空瓶の多さ、小銭の散らばりの存在感が濃い。近づけば落花生の殻もまた多く、頬杖をつくと肘が殻カスを踏む。

室内は相変わらずの書籍の多さだ。毎度のこと引き寄せられて、ついぼおっとしてしまう。昨年、九十半ばで亡くなった開成の、天津出身のお父さんが中、日、台と三か国の大学で教鞭をとっていた学者であっただけに、住まいを溢れた書籍が息子の一人暮らし先であるこちらにもたんまり残されている。高さ二〇〇×幅一〇〇の書棚が六架なんて量だ。背表紙を眺めるに簡体字のものが多い。私は一通りぼおっとした後、差し入れを兼ねて外帯(テイクアウト)したサンドイッチを食べ始めることにした。一つが喉を経て、二つ目を前に気付くに私はこれまでサンドイッチを一口で食べた切った経験がない。そこでおもしろ半分に、ここ台北で試みたところ、案の定、ひどく噎せて、壮大に咳込む次第。体を繰り返し折り畳むような動きは、もはや歪なダンスといったところだ。思わずテーブル上のフタが開けっぱなしのペットボトルの水に助けを求め、十口飲んでようやく咳が鎮まった。

そこで再び目を落とすに、居間中央で寝入っている、この部屋の主は相も変わらずピクリともしない。横向きのまま、すやすや、である。そもそも、こちらが入室する際、調子の悪いドアノブが立てた音も結構なものだった。加えて馬鹿者が噎せ返る音はそれ以上であるはずなのだが、どこ吹く風のすやすや、である。私は三つ目のサンドイッチを片手に保持したまま試しに「ばびぶべぼッ」、中空に歯切れよく言い放ってみたが状況は変わらない。「がぎぐげごッ」、「ぎゃッぎゅッぎょッ」、続けてみるもやはり家主は寝姿勢はおろか、寝息のリズムすら変わらない。

いやはや寒くなってきた。どだい、部屋のエアコンは設定温度が十七度なのである。ここに二十年も住んでいる開成がエアコンを取り付けたのが三か月前のことだ。そしてエアコン設置後の三日目にはリモコンを紛失したのだ。私も捜索を手伝ったから日付まで覚えている。だもんで、その時点から設定は変わらぬまま、持ち主に残されているのは本体に直接手を伸ばして決めるオンとオフの意思表示のみである。

限界だ。部屋を出る前に私は開成の差し入れ分の三明治を冷蔵庫に入れておく。そして、最後に他人の飲みかけの水を飲みながら、灰皿に溜まった吸い殻を二十三本利用してテーブル上に「你好」を組み立てるも、途中で小汚い印象を感じたりもして、結局近くの爪楊枝二十五本でやり直す。

翌日、私は雨合羽をポケットに入れた後、義兄のマンションを出た。直線距離にして東へ八キロの道のりで桃園市内に向かう予定だ。前回の滞在中に編集者の串本氏から課題のようなものをもらっていた。そんだけ時間があるなら台湾の書店を巡って、出版事情を含んだレポートでもお願い。そんな注文である。正直、古書店の方が心の躍る人間である私はこちらで古書店を巡ることはあっても、新刊書店にはそこまで足を運ばない。それでも実際にやってみるとウォークラリー感覚になって存外面白い。なので“足し”を作る気持ちで桃園の書店に向かうことにしたのだ。

それにして直線距離とはまったく有意義ではない“算出”である、ことが、すぐに分かる。体で“八公里(km)”を感じた時点で市内に対して半分も進んでいない。最短で行こうだなんてツユとも思ってもいないとはいえ、いつもながらに寄り道が過ぎている。出発してから二時間が過ぎたことに気付いたのは溜池と溜池に挟まれた細い道から交通量の多い道路に出た時だ。というのも前方に店内に時計を掛けた檳榔屋が目に入ったからだ。店まで滑って、飲み物を求めると、“荖葉(檳榔の実をくるむ葉)”に石灰ペーストを塗っているおばさんが作業する手を止め「要什麼(何にする)?」。ドアが開けっぱなしにされた小さい店ゆえ、私は中に入って冷蔵庫の中から二十元の水を購う。

ちょうど日陰が店から斜め前に倒れたように細く出ており、私はこの陰の中の店にひっ付くような位置で涼をとる。おばさんの手作業を眺めながら、最後に檳榔を噛んだのがいつだったかと思い巡らしてしばし、「給你一個(一つあげるよ)」、先ほどまで一度も目の合わなかったおばさんが突然の笑顔で巻いたばかりの一粒を乗っけて、差し出してくれる。遠慮なくいただくも、いかんせん檳榔を迎えるこちらの状態が良くなかった。すなわち空腹だった。台湾は中部よりちょっと南の街、嘉義に住んでいた頃はこの苦く、渋い檳榔も日常的に嗜んでいた。けれども、ひとつ己の体質を鑑みた際の注意点というものがあって、空腹時に口に入れると強烈な吐き気を催すのだ。朝飯はおろか昼食にもまだあり付いていない我が腹ん中はまさに、その時であった。訪れた窮地もなんとか噛むことを続けながら、私は作業に戻ったおばさんに向かって「感謝(ガンシエ)」、礼を残して店を離れた。おばさんは移り身早い性分のようで──先ほどの笑顔がなかったかのごとく──これといった反応を返さない。私は店から十分に距離を置いた後、赤い汁が口腔を満たす前の檳榔を道端の草むらに檳榔を吐き捨てた。檳榔ではなくタイミングがまずかったわけである。その後は妙に淡々とスケボーが滑り、天候の急転に出くわすことなく市内に入れた。ただ、二つの独立書店の店前に辿り着いたものの、共に急用ゆえの臨時休業だった。

最早、昼飯の時間にするしかなかった。私は適当に近くの“自助餐”に入った。自分の好きなおかずを三種類選ぶスタイルの店である。私は三麻婆茄子一種類を三つ分の量をもらい、白飯と茄子の間をひたすら箸で往復した。心の中では書店巡りの楽しみを損なわれた徒労ゆえ桃園市内の道を不貞腐れたガキのようにあげつらっていた。相変わらず、この辺はどの道も味気がないわ、けッ、ぷッ、といった具合に。ただ、そんな子供じみた悪態もこの店の白飯が美味いことで思いがけず薄らいでいくのだった。

「請給我白飯、單點(白ご飯を単品でください)」、店長の奥さんと思しき店員さんにおかわりの旨を伝えると「因為你說“白飯”的發音很可愛所以不用錢(あなたの“白飯”の発音が可愛いから)」と十元の単品のご飯を無料にしてくださる。この時、私の瞬時に浮かべた喜びの笑顔はまさに単純なガキのそれだった。ちょうど店員さんの後ろの壁がやたらと大面積の鏡だった。常日頃から妻から「古い子供」と呼ばれることしばしであるが、それが“ル・モ・ジュスト”、あまりにも適切な言葉であることを台湾は桃園の街で知るに至った。

食事を終えたら最早桃園市内に用は残っていなかった。なので私は最寄り駅である在来線、台(湾)鉄(道)の桃園駅に向かうことにした。こちらではなく中壢市内に時間を使おうと思ったからである。その前に甘いものを口に入れたくもあった。目をあちこちに飛ばしながらスケボーを滑らせつ、とあるジュースタンドの前にスケボーを停める。ご夫婦で営んでいるお店はどうやら紅茶が味自慢のようである。一杯一リットルで四〇元の古早味紅茶を“微冰微糖”で注文する。言えば、カスタマイズできる氷の量と砂糖の量を共々(フルが)五(であるとしたところ)の一程度の加減である。通りを眺めてそこそこに、出来上がりとの声をもらうも困ったことが生じた。というのもお店は“買一送一(一杯買うともう一杯が無料)”のキャンペーン中だったらしく、注文した品が量も同じくしてもう一つ用意されているのだ。思わず、「うわぁ」とその重さに感嘆の声が出てしまうが、受け渡してくる店長はいたって淡々とした表情。私はスタンドの脇に置いたスケボーに腰落としては、大容量の紅茶を味わいつ、何よりもう一杯の処遇に思いを巡らす。

道中はきっとまだ長い。お前のことだから壮大な寄り道を敢行することも考えられる。無理して飲むにしても、胃にスペースができるにもあと数時間はかかりそうだ。私は飲み終えた空容器を店長に返した後、右手に一キロの紅茶を入れたビニール袋を下げながら、再びスケボーに乗り始める。そうして紅茶をもらってくれそうな人探しが始まる。己が華語の流暢ではない外国人であること。どこであっても胡散臭く感じられるであろうこと。諸々考慮しての相手探しとなる。自然と子供と女性が除外される。と言ったって中年のおっさんなら、というわけでもなかろう。そこで駅前にて施しを求めている存在も浮かんだりもするが、お裾分けとはいえ、その方々をこういった理由で利用するのは違う気もする。

目的が目的ゆえ、先ほどからスケボーは速度が落ち、行き先は二の次になっている。だいたい、どこに向かっているわけでもないわけだ。そうこうするうちに文昌公園を過ぎた。適当な走行は更に(桃園市立桃園區桃園國民)小学校に至り、壁沿いを適当に滑っては校門前から伸びる道に曲がり込む。おやおや、である。目に入った方がお渡し相手として格好な姿なのだ。“爺さん”がコンビニの前に停めた自転車に跨り、ちょうど今、弁当を食らっているところなのである。更に近寄って窺うに爺さんには水分がなく、運よく自転車のカゴは空である。となればテーブル代わりにも成りえるではないか。その上、爺さんの表情には現在、ほとほと感心してしまうほど気持ちの良い柔和な笑みが浮かんでいる。私は「你好」と挨拶から始めて、言い継ぐ。「不好意思、剛剛買一送一的。所以給你一個,好嗎?(買一送一で余った一杯をもらってもらえないでしょうか)」「甜度是(甘さは)?」「是微糖(微糖でございます)」「好。那我要(ほお、良いね)」。爺さんも平和な気持ちであってくれたら有難い。

次の日、台北に向かった。ちなみに義兄のマンションから乗り物で台北に出る際には不思議な現象が生じる。実質桃園国際空港から台北へのアクセスのためにつくられた桃園MRT(地下鉄)の最寄駅から乗車するのと、これまた近くにある新幹線駅から新幹線を利用して台北に出るのとでは、その差が日本円にして十元しかない。そして所要時間が四十分は違う。それゆえ本日もまた新幹線に乗り込んだ。

真面目な会合の時間まで余裕があったこともあり、私は宇野君のお土産を買うために一昨日、書籍を売った古書店を訪れた。宇野君は半年余り、賭け事の研究そっちのけで張愛玲にハマっているのだ。お店は〈茉莉二手書店〉、台湾大学近くのなかなか広めの店舗。張愛玲は他の中文作家に比べたら書棚に在庫が多い。そして面白いことに読者が一定数いることを店側も認識しているせいか、作品のみならず、研究書の類もまた他の作家に比べて値が高い。宇野君が中国語はできないとはいえ記念である。なるべく書影が個性的なものを手に取った。そしてこれをレジまで持っていく道中だが、ふと思い浮かんだものがあった。ひょっとしたら私の売り払った書籍たちがすでに書棚に並べられていたりしないだろうか。私は宇野土産を片手に日本語コーナーに回り込んだ。と、仕事の早い店だった。

海野弘『千のチャイナタウン』(リブロポート)、ジョン・バース『旅路の果て』(白水Uブックス)、周保松・倉田徹・石井知章『香港雨傘運動と市民的不服従』(社会評論社)、矢作俊彦『ららら科學の子』(文春文庫)、松枝到『アジア言遊記』(大修館書店)、『富士正晴作品集五』(岩波書店)

一昨日の買取価格は前三冊が「二〇元」、後ろ三冊が「一〇元」であった。外国語の本だから期待しないでほしい。前もって店員さんから聞いた言葉も、こちらの目的は経験であるため、金額云々はどうでも良い。というより日本に比較して、ずっと良心的な結果をもらっている。さて、手に取って裏表紙を確認するに、それぞれ「一五八元」、「一〇五元」といった値札が付けられている。なるほど。ちなみに二〇二五年現在、台湾の一元は日本のほぼ五円である。また、六冊に加えて売ってみた一冊に木村拓哉のフォトエッセイ『解放区』があった。というのも前回、“ガラスケースの中”という扱いで、研究者あるいは古書狂ぐらいしか求めなさそうな古書らに混じって飾られている『解放区』を目にしたからだった。それも──一頃のブックオフに百円ぐらいで売られていたものに──「八〇〇元」なんて値段が付いていたこともあり、より一層、妙味を感じた。それゆえ渡航前にメルカリを利用して八百円で手に入れ,他と一緒に売ってみたのだ。興味本位の結果は「一〇元」。そして今、その『キムタ区』だけが店のどこにも見当たらない。

店を出てもまだ時間に余裕があったため、一昨日に同じく開成の部屋を訪れた。主は一昨日に同じく居間で寝息を立てていた。やはり一昨日に同じく、その光景を眺めてしばし、本日はこちらにも妙な眠気が訪れ、開成の横に寝転がった。

私が昼寝から目覚めたのは室温十七度の中、一時間後。開成は相も変わらず眠り続けている。こうなると友人が何十時間も寝続けているようにも思えてくるから可笑しくも怖い。実際、私が一昨日拵えた爪楊枝によるテーブル上の「你好」はいささかも乱れていないのだ。はて、開成の着ているタンクトップは一昨日も同じ色だったか、どうか。そんなことを考えながら部屋を後にした。

 

[ライタープロフィール]

真木由紹(まきよしつぐ)

1982年生。著書『台湾および落語の!』(2023年/彩流社)の中国語版が台湾にて来春刊行予定。時折『週刊読書人』、『図書新聞』に書評を寄稿。

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