台湾某日日記 第4回

夜市へ行こうと阿本から連絡をもらった。夜九時に出るというので近場かと思えば、予想に反してむしろ随分と遠い。ここ嘉義市から北に二十キロ強離れた雲林県虎尾地区とのこと。阿本の迎えが時間ちょうどにやって来て、私は奴の後ろに身を任せるように跨る。

スクーターが嘉義市内を出て、民雄を通過し、更に大林を抜けると幹線道路から交通の量がほぼなくなり、スクーターのエンジン音を差し引けばなんだか世から音が消えた感すら覚える。一定間隔で突っ立つ道路両側の電灯が異様な白の光量でセンターラインまでくっきり照らす。明差ゆえに闇を深めた電灯の背後は畑なり、民家なり、工場なり、つまりは、なんなりが殊更沈んだように黙って、ひたすら視界の端を左右に流れ消える。

運転手阿本は黙ったきり、喋らず。ゆえに私も喋らない。実際には何やらぶつぶつ言っているものの対話を求めるというより明らかに独り念仏といった類のものであり、こちらは聞き返すこともない。共通の友人が言っていたが彼が阿本とカラオケに行った際、阿本は歌うより先にモニター画面に跡を残す指紋の多さに気が付き、そこから延々と画面を拭き続けていたらしい。

それにしても奇妙なほど車輛がない。前後共々やってこない。視界の右手が一気に開け、田園地帯の真ん中を在来線台(湾)鉄(道)の線路が伸びている。距離にして五十メートルほどだろうか、ちょうど區間車がやって来た。こちらと並ぶように南に進んでいく。あちらに乗っている時には気づかぬが、こう見ると台鉄の車内は暖色の灯りに満ちている。木々に遮られ區間車とあっという間に分かれる。またまた発光と暗がりが取り囲み、尚且つ過ぎゆく景色に返される。

目先で信号が赤に変わる。スクーターが停まると同時に近くの電信柱に張っ付けられた文字のみで形成される物件情報が目に入った。まったくタイミングがいい。好きな地名が入っている上に大なり小なりフォントあれこれで面白い。それにちょうど長めの乗車で股関節に張りを感じていたところなのだ。私はスクーターから落ちるように降り、電信柱に近づいては一思いにB4程度の厚紙を剥がし、赤信号が変わらぬうちに再度、スクーターに跨った。

結果的に虎尾市内到着に一時間を要した。虎尾は良い街だった。何しろ人がいた。向かっている夜市は公的な標識が順を示しており、市内に入れば阿本の運転は迷いも間違えもなく現場に辿り着いた。駐車場には誘導員が複数人用意されていた。スクーターを停められる場所をなんとか見つけ出してから、夜市の中に入ると人が意志もって結集したかのように多くいる。どだい土曜の夜なのだ。店に注ぐ興味と人への注意に歩調の緩めて歩く人たちの中を我々もやはり歩調を緩くして様子見がてら夜市を一巡りした。そうして頭の中でリストを作ったらしき阿本は二巡目で先ず海鮮麺の屋台から始める。

注文の後、適当に席をとる。客席は他の屋台ともシェアしているため広いスペースが使われている。それゆえ簡易テーブルが十分に用意されているわけだが、面白いことに椅子の方が過剰に多い。例の小豆色をした座高の低いプラスチック製のものである。仮にその上で寝返りを打っても落下しそうにないほどである。私はこれらを手足で搔きわけながらステンレスの箸とレンゲを取りに行く。

席に戻ったタイミングでちょうどメラミン製の大椀に入った海鮮麺が腕捲りした店員のビニール手袋の手に運ばれてきた。私が先ずもって阿本に注目するのも、いつも通りのことである。阿本は真っ先にスープをレンゲで掬い、口で迎えるように啜る。それから顔をはっきり起こし、よく咀嚼するように味わうことを済ませると、ニヤッと気味悪く笑っては「超鹹。還好(超しょっぱい、まあまあ)」なんて感想を述べる。それから、その麺未満の段階で故郷嘉義にあるもっと美味しい店の存在を訊ねてもいないこちらに教えてくる。

本日も例外なく、阿本は不満を言う時が最も活き活きしている。彼の不満は常に相対的に生み出される。比較結果と言ってしまえば、それまでだが、比較する二つの対象の一方に必ず己の“側”にあるものを持ち出す。要するに線を引き、そちらとこちらを隔てるわけだ。だから台南へ行ったなら故郷嘉義との間に線が引かれ、何を比べるにしても故郷に軍配を上げる。繰り返しになるが、比較に持ち出される“側”には狂いもなく「我(無論阿本)」が組み込まれているわけである。他人の部屋でゴキブリを目にすれば、前夜に自分の部屋に現れたゴキブリと比較し、小さくて元気ないな、と垂れる。日本へ行って来れば、台湾と国土を比べ、中途半端に大きい日本は見て回るのに不便だ、だったらはっきり小さい台湾の方が便利だ、なんて言い方もする。振り幅もなかなかなものであって、もはや芸の領域と言って良い。実際、阿本が日本に来た際には良かれと思って、あちこち案内したものの徹底して不満しか出てこない。わざわざ金を払ってまで飛行機に乗って粗探しをしに来たようにも思えたほどである。そのくせ初めての日本旅行を控える人に対しては、さもすべてを熟知しているかのように日本の説明を重ねるのである。決まり切って自分側を“優”とする癖は突き詰めれば、“俺凄い”に行き当たるだろう。俺ん家のゴキブリより俺こそが凄いのである。その意味で阿本にとっては“そちら”も“あちら”といった外部はないもの同じである。実際に阿本が“外”に対して顔を煌めかせるのは自分好みの女性が目に入った瞬間ぐらいである。

はっとなるような破裂音があった。振り向いて分かるに他テーブルのカセットコンロに何らかの不具合があったらしい。向こうに反射的に立ち上がったと思われる若者五人がおり、彼らの取り囲むテーブルに今、食事の手を止めた人たちの視線が素直に集まっている。ただし、経緯を知りたがる周囲の眼差しを横目に、揃って黒縁メガネと短パン姿の当事者たちは一出来事として愉しんですらいるようで笑みを浮かべたまま顔を見交わしている。

阿本はその後、夜市の中で甘いものを二つ食べた。けれども、首を傾げながらパクついていたところを見ると物足りなかったのだろう。スクーターを駐車場に置いたまま夜市を離れ、ケータイの画面で得た情報を元に、歩いて行ける範囲で店を探し歩き始めた。

虎尾が歴史のある街だ。それに小さい街だが、一定数の人出があって、夜の賑やかさが保たれている。近くに大学が控えていることも大きいのだろう。街の実質メインストリートと思しきエリアの一角にはリノベーションを施した小じゃれた建造物にスターバックスが入っている。地面からライトに照らされている外見が人を惹きつけるらしく、店内は夜十一時を回ったというのに若者で満員だ。入って行った人も、すぐ諦めて出てくる。そんなことが分かるのも私は短い時間でこのスタバの前を何度も行ったり来たりするからである。要は阿本が目的の店を見つけられていない。訊くに路面店ではなく屋台だと言う。だとすれば、データの時差いかんによっては、屋台を出す位置が変わっていることもあるだろうし、営業時間にしても毎日同じとは限らないだろう。私は阿本が面倒くさいこと以上に阿本の後ろで眺めていた虎尾の街並みに興味を抱いたことから再集合の提案をして別に動き始めた。そして、ものの百歩を歩かないうちに、こちらが誰かと来るにはもったいない街であることを確信し、日を改め一人で来ようと意志を固くしたのだった。

そしてスターバックスに戻る道すがら、道をしれっと斜めに横切るレールに気が付いた。中正路といたって平たく一体となっており、枕木もないため、携帯でもいじりながら歩いたならば平然と見逃してしまいそうだ。遮断機は、ある。ただし、随分と奥まった位置に控えている上に随分と線が細く、尚且つ色も褪せているため存在感がまるでない。そもそも遮断機の棒の長さが道幅にぴったりいきそうにないほど短い。試しに見上げれば電線のよう横伝いに虎柄の遮断機の棒が中空にぶら下がっている。総じて人を運ぶ電車の軌道とは誰も間違えないだろう。考えてみれば虎尾地区は日本統治下の製糖産業を大きく支えた場所として有名である。レールそのもの自体が当時のままとは言わないが、サトウキビの運搬用のものであろうことは察しがつく。季節によっては稼働するのだろうか。やはり今度は一人で、と思った。

スタバ前に阿本の方が早かった。左手に紙容器を持ち、右手で楊枝を摘まんでいた。多分、満足している。携帯情報が元であれ、歩き回って見つけ出した場合において、その時点で加点が入るのだ。おれが見つけたという誉れ。私を目に入れた阿本が楊枝にさした地球瓜を得意げに一つ差し出す。だが、ぱさぱさした台湾の甘菓子の類が一切受け付けない私はただ首を横に振る。阿本はその一つを自らの口に入れた後、もぐもぐしたまま歩き出す。

考えてみるにこの男と出会ったのは奴のよく行くカフェである。そこで店長と華語で言葉を交わしていたところ、斜向かいで携帯をいじりながらニタニタしていたのが奴だった。案の定、話の切れ目に近づいてきた阿本は翻訳機能を経た日本語の文章をこちらに見せた。「あなたは大阪人か北海道人ですね。発音から分かります」、この男なりにウケを狙ってやったのは引き続く不気味な笑みからすぐに分かった。とは言え、初対面ということもあり、こちらもいささか気勢高めで対応したのだが、一時間もしないうちにそれが“違う”ことに気が付いた。言えば共に近所で、学校も同じクラス。ただ、反目もしなければ一緒に遊ぶこともない。そんな極めて日常的な、見落としがちゆえ稀有な“同級生”をイメージした。

スクーターは帰途もまた黙々としている。国道一号線はよりいっそう誰も何もいないし、来ない。途中、スクーターのスピードがわずか緩まったところに阿本が口をきいた。珍しく質問である。「寂寞的日文怎麼講」、“寂寞”の日本語はなんだ、というわけである。該当する四文字を伝えてみれば、たちまち大声で連呼を始める。今ある限りの体力をこれに使い切る勢いが感じられる。そう、難しい年頃は何も思春の時期に限られているわけではなかろう。三十八であれ、人生のアマチュアであるには変わるまい。しばしして輪郭のはっきりしない発音が、より不明瞭になって最早雄叫びのさまである。虹も十五分続けば誰も見ないとはゲーテと五歳の姪の言葉だが、こちらはまた夜の嘉義県の風景に目が座る。

と、道路端の外灯背後で息を潜めたように佇む土地公(道教の神様であり、土地の神様)の廟が目に入った、過ぎた。傍にはお馴染みの金炉(焼却炉ではある。ただし紙幣に見立てた供え物の「金紙」を燃やすために使う)があり、共に敷地内でわずか一本の電灯に照らされていることが示すようにこじんまりした極小さな規模の土地公廟だった。にもかかわらず、一瞬でもこれが異形でやけに物々しく感じられたから、はっとした。

本来、どちらの廟も金炉も一つとして同じものはない。タイル張りが細やかに施されて彩色豊かであれば、善い言葉、尊い言葉の数々も壁や柱に記されている。はたまた神々の故事などをビジュアル化して描いたもの、石に彫ったものなど、外側からしても“神社”に比べ、華美であって明らかに暖色に満ちている。

けれども、この際、珍妙に映ったのは、そういった個性が出る部分──廟の外壁と金炉の胴回りに描かれていたと思われる絵図や文字──に、はっきりと削ぎ落された痕跡が見えたからである。決して修正液のごとく白の塗料で上塗りした類でなければ、擦り取られたものでもない。ほぼ抉りに近い有り様で力強く削り取られていたのである。加えて力加減も一定していないゆえ意図的を持って掘り出された凸凹には見えず、誰かの仕事によるものとは到底思えない。それがまた一層の不可解をもたらす。つまり、これまで見たことのない状態の廟であった。こちとら地域を含め、どんな事情があったかなどなんら推察もできないが、夜道に外国語で咆哮を繰り返す男の背後で一瞬、なにか異様に凄惨なものに立ち会った気がした。

翌晩は台南にいる小明から日本語で「三時間後に電話をして良いか」とメッセージがあった。小明が電話とは、あまりに珍しいこともあって「女性関係?」と奴に縁遠いことで問いかければ、「なんでわかるの!」、実際に電話をかけてきた小明は電話口でも文面に同じく、何より先ず驚きを口にした。肝心の話の内容は女性関係というよりも、ただただ恋人がいないことに対する悩みであった。地元で楽器の工房を高校時代の友人三人と始めて八年、工房は見事なまで軌道に乗った。が、仕事に打ち込みまくった八年の間に自分以外の三人は結婚もして、子供がいるというのに自分だけは何もない。友人たちの幸せは絶対的に嬉しい。「けれどもよ、自分の寂しいに気づいたの感じなのね」、小明はここまで言うと声をあげて泣き始めた。まるで叫ぶようであって、その様子はこちらが次に掛ける言葉を考えながら驚きを隠すのに緊張するほどだった。

とりあえず台南までの電車がまだあることから、私は台南に向かうことにした。駅に到着すると駅前の車輛待機スペースにスクーターに跨った小明がエンジンをかけたまま待つ姿があった。途中で鹽酥雞(唐揚げ。ただし鶏肉とは限らず、野菜やら根菜類やらも)を

大量に外帯して、ひとまず小明の部屋でこれを一緒に食い、早朝はまた外に出て、早餐店(朝ご飯屋)で蘿蔔糕(水分を飛ばした擦りおろしの大根に米粉と片栗粉を混ぜ、成形した後、焼いたもの)をたらふく食べた。食事中の小明が「急いで食べると椀が割れる」といった意味の台湾語の諺を教えた。

私は午前のうちに嘉義に戻った。それから一眠りを経た午後、電車に長いこと揺られ、南台湾を回り込む形で“風光明媚”な台東に赴いた。思い立っただけで特に理由もなかった。そして友人の友人が営むゲストハウスに荷物を置いた後、賑やかで暖かい市内を抜け、手ぶらのまま一人で海岸に出た。夜の台東の海岸は軽くなく、容赦のないほど闇であった。奥行きらしきものが前面に感じられたせいで、すでに吞み込まれてしまった感覚にも包まれた。間違っても“黒”ではなかった。そもそも波が見えないのだ。にもかかわらず引き波の音に、まるで足を持って行かれるように膝下が竦むのだ。平衡感覚がしっとりおぼつかない。それでいて波音の繰り返される汀は何も見えずとも綺麗なのだ。あ、死ぬ、と思った。たちまち台東を離れたい一心になって、そのままゲストハウスに戻ると荷物を手にとり、宿主に代金を払ってから駅へ急いだ。電車がその日のうちに到達する最も離れた場所はちょうど台南であった。素直に乗っておいた。台東の海に台南へ連れ戻されるようだった。到着した台南駅から今度は歩いていき、小明宅の呼び鈴を長めに押した。間もなく素っ頓狂な感嘆詞と共にサンダル短パン姿の小明が登場した。テイクアウトした飲料を右手から提げたまま「あらららららら」、背後から、だった。

 

[ライタープロフィール]

真木由紹(まきよしつぐ)

1982年生。著書『台湾および落語の!』(2023年/彩流社)の中国語版が台湾にて来春刊行予定。時折『週刊読書人』、『図書新聞』に書評を寄稿。

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