田村奏天のTHINK BLUE #4

#4 わかられたGuerrero Jr.、わからなれなかったWheeler──Ring the Bell in All-Star

 MLBにおいて7月は慌ただしい。マネジメントの面から言えば、トレード期限が7月末日に設定されており、各球団は、買い手か、売り手か、あるいは静観するのかという立場の選択を迫られる。買い手とはつまり、ポストシーズン進出のために、自球団のウィークポイントを埋めうる強力なオプションを獲得することを選択したチームであり、売り手とはつまり、保有期間がわずかとなった快調な選手をそういった買い手に放出することで、今後数年の自球団を担うプロスペクトを獲得することを選択したチームだ。MLBのチームは、それぞれの戦略のもとで、運営されている。
 あるいは、7月は祭典の月でもある。30球団から選抜されたスターたちによるオールスターゲームを中心に、MLBは7月中旬にオールスター週間を設けている。その間に行われるのは、メインの試合だけでなく、プロスペクトによるフューチャー・オールスター・ゲーム──1999・2000年に大家友和が出場──、ホームラン・ダービー──2021年に大谷翔平が、今年は村上宗隆が出場──、ドラフト会議──話題の佐々木麟太郎はマーリンズから8巡目(全体235位)、石川ケニーはレッズから13巡目(全体392位)で指名された。それぞれ昨秋に、福岡ソフトバンクホークス、オリックスバファローズからも指名されている。ふたりは果たしてどちらの球界を選ぶのか──などが行われる。また、この期間は球場近辺がお祭りムードとなり、レジェンドやインフルエンサーによるイベントも多数ある。会場を踏まえれば、ボクが小さいころに憧れた、Ryan HowardやJimmy Rollins、Chase Utleyあたりは大忙しなのだろうか。
 今年のオールスターはフィラデルフィア・フィリーズの本拠地、シティズンズ・バンク・パークで行われる──開催日はちょうど本稿の公開日のはずだ──。ドジャースからはFreeman、Muncy、Pages、大谷、山本に加え、登板間隔の都合で出場しないChase Burns(CIN)の代替選手としてWrobleskiが選出された。本連載でも活躍を伝えてきたPagesとWrobleskiの2人は初選出である。
 Wrobleskiの選出は代替選手だったこともあり驚いたのだが、その裏面には微妙な動向があったようだ。Burnsの代替選手として最初に声がかかったのは、フィリーズのエース──といっても、フィリーズは先発投手に力を注いでいるチームであり、誰をエースと呼ぶかは難しい。ナ・リーグチームの先発を務めるChristopher Sanchez、同じくオールスターに選出されたJesus Luzardoもエースと言って差し支えないだろうし、キャリアを見れば、ここ二年は不調だが生え抜きで10シーズン以上投げてきたAaron Nolaもエースと呼びたい──である、Zack Wheelerだった。しかしWheelerはこれを拒否し、出場を辞退した。この背景には、出場選手の選考方法が関わっている。
 オールスターの選考は、野手のスターティング・ラインナップを決定するファン投票、出場投手・控え野手を決定する選手間投票、コミッショナー事務局による追加人員の選出がある。これらが発表されたのち、辞退選手に応じてMLB機構が代替選手を選出する最終段階に至る。
 ファン投票にWheelerは関わっていない。が、ここでも問題はあった。いわゆるビッグ・マーケットの球団に所属する選手や、日本から多数投票されたであろう大谷のような、特定のファン・コミュニティを持つ選手は、成績に関わらず得票数が多くなる傾向にあり、逆に今年度ブレイクした選手たちには票が集まりにくい。こうした性質の結果、今年はVladimir Guerrero Jr.が問題の主人公になってしまった。過去5年連続でオールスターに選出され、2021年には48本塁打を放った名実十分なスラッガーではあるが、今季はすこぶる不調。選出が発表された7月4日までの成績は84試合に出場しながらも本塁打数は4本と非常に少なく、OPS.693は一塁手としては心許ない。しかし、彼は──ともに20本塁打以上を記録していたBen Rice(NYY)とNick Kurtz(ATH)を凌いで──ア・リーグ一塁手部門で一位の票数を得た。
 Guerrero Jr.はカナダ唯一のMLBチーム、ブルージェイズ一筋の選手であり、また、WBCではカナダ代表としてプレーした。同国ではMLBの人気が極めて高く、600万から700万人ほどのファンがいるとされる。Guerrero Jr.の選出はそうしたファン層に支えられたことも一因としてあっただろう。なお、彼は腰に違和感を抱えていることを理由に出場を辞退。本人は”That comes first, for me to get ready, to prepare myself for my team to have a strong second half(最優先なのは、後半戦をチームにとって最高なものにするために自分自身を調整しなおすこと、そのために準備することなんだ)”と語っており、怪我による自身の成績への納得のいかなさもどことなくうかがえる。
 話を戻すと、Wheelerが関わったのは、選手間投票とコミッショナー事務局による選出の方だ。選手間投票によって選出される5枠の先発投手の枠には、Jacob Misiorowski(MIL)、Paul Skenes(PIT)、Chris Sale(ATL)、前述のSanchezとBurnsが名を連ねた。これに加えてコミッショナー事務局は先発投手として山本、Max Meyer (MIA)、Eduardo Rodriguez(AZ)、Logan Webb(SF)を選出した。コミッショナー事務局による選出は、30球団すべてから選出する役割──ナ・リーグでは今回、野手のHunter Goodman(COL)とJordan Walker(STL)にその枠が割かれた。Walkerはホームラン・ダービーにも出場し、決勝戦の終わりがけに6連続本塁打(内4本は、最終スイングが本塁打であることで得た、本塁打が途切れるまで打ち続けられる追加打席)という劇的な逆転で優勝した──もあるが、今回投手として選ばれている選手たちはその枠ではない。山本は言わずもがな、その他選手と同一チームからは、選手間投票によってOtto Lopez(MIA)、Corbin Carroll(AZ)、Luis Arraez(SF)が選ばれている。
 選手間投票はともかく、コミッショナーによる選出はブラックボックスである。だからこそ、選出された選手も錚々たる面々だが、ここにWheelerの名が挙がらないのは意外にしか思えない。成績を比較すると以下のようになる。

  選手名  rWAR/GS/IP/W-L/ERA/K
  E. Rodriguez  4.3/19/114.0/8-3/2.29/79
  M. Meyer  3.0/19/108.0/9-1/2.58/116
  L. Webb  1.4/16/100.1/5-7/3.86/80
  Z. Wheeler  4.8/15/93.0/10-1/2.13/108
  山本 由伸  2.7/17/110.2/9-6/2.85/106

 比べてみると見劣りするのはWebbか山本のような気がする──贔屓するなら、山本はこの中で最も低い与四球率を記録している──。Wheelerはむしろ勝数、防御率、rWARで5人のうちトップを誇っており、この中でも随一の成績だ。強いて言えば怪我の影響で先発登板数・イニング数が少ないのだが、その欠点についてはWebbにも言える。加えて、前述の通り開催地はフィリーズの本拠地であり、ファンとしては地元の選手が選ばれた方が好ましかっただろう。当初発表されていたフィリーズからの出場選手はSanchezと、ファン投票からBrandon Marsh、選手間投票からKyle Schwarber──ホームランダービーでは惜しくも準優勝──、レジェンドピックとしてBryce Harperの4人。多く見えるが、ドジャースが5人選出されていたことを考えれば追加の枠を与えても違和感はない。これらの要素を踏まえて、Wheelerは”Because they disrespected me(彼らに軽んじられた)”という言葉をもって出場を辞退した。続けてWheelerは“Guys do take a lot of pride in having that All-Star nod next to your name during your career and after your career(選手にとって自分の名前に「All-Star」って添えられることは、今だって、引退してからも、すごく誇らしいものなんだよ)”と、オールスターに選出されることが引退後にも影響を与えうるような栄誉であることを指摘している。この言葉は、コミッショナー事務局に強く向けられた言葉でもある。コミッショナー事務局は、果たしてその選択がある一人の選手の引退以後の動向すらも左右しうることを考えているのか、という問いとして、Wheelerがオールスターに向けた敬意は受け取るべきだ。

 Wheelerの不満はもっともだし、Guerrero Jr.の選択はある意味で真摯なものだと言える。他方で、これらの問題は、その不透明性がそもそも投票や、選出という行為の逃れられない特性であるために巻き起こった出来事だ。文壇に眼を向けても、選評や、選考過程をどれだけ明示しようとしても、選者・評者がいればこのような指摘が向けられてしまうことは多々ある。アワードのすべては、人の手によって行われている。そして、人がいるとき、どんなに透明にしようとも真意──もしかすればそれはそもそも不在である──を第三者がそこに見出そうとしてしまうがゆえに、選者・評者と選ばれる者、そしてそれを眺める者のあいだには、揺るがしがたい幕が生じてしまう。
 しかし、ボクは文芸賞についてここであなたにやいのやいの言いたいわけではない。それらは文壇における〈オールスター〉とは言えないからだ。アワードとオールスターは、それがただ一人の序列を決めるかどうか、という点において決定的に異なるものだろう。MLBのオールスターには、70人近い選手が参加する。
 むしろ、文学において〈オールスター〉として機能するのは、やはりアンソロジー的なものではないか。なかでも「集成」と呼ばれるものは興味深い。それはつまり、1作者単位での〈オールスター〉に違いないからだ。短詩型においては、ちょうど昨今『加藤治郎アンソロジー1』(書肆侃侃房、2025)、『アヲハリズム──荻原裕幸初期短歌選集』(左右社、2026)、『小澤實前期句集集成』(ふらんす堂、2026)と、立て続けにそうした作品集が世に放たれた。
 これらの作品集の発行は、主として初期時代の──小澤實は「前期」と言っているけれど、もし200歳まで生きてしまったらどうするのだろう。まあ、前期であることに変わりはないか──作品集が入手困難になってしまっている現状が要因となっている。
 さらに、とりわけ短歌の分野では歌集再刊の動きが近年あきらかにみられていることも重要だ。書肆侃侃房の「現代短歌クラシックス」シリーズや短歌研究社の新「短歌研究文庫」、時期は前後するものの、ここに筑摩書房による笹井宏之や千種創一の文庫化、河出書房新社による俵万智の文庫化も並べられる。これらの動向は、あるいは、近年のポップカルチャーにおけるリメイクやリブートの動きともパラレルなものだ。あなたが思い浮かべたのはなんだろう。「カービィのエアライド」でも「たまごっちのプチプチおみせっち」でも「うる星やつら」でも「SLAM DUNK」でも、続編ではあるが「バッド・ボーイズ」や「トップガン」でもいい。ボクやあなたは、たしかに心が震わされそのものに駆け寄った。
 リメイクが積極的に行われる背景には、マーケティング戦略が強く働いている。リメイクは、新たなIPを作り上げるよりも確実に顧客を獲得することができる。エンタメが飽和しながら、インターネットの普及によってサジェスト機能が当然にある現代において、多くの受け手は〈ハズレ〉を強く嫌うようになった。その点リメイク作品は作品の質が最低限保証されており、さらには懐かしさという付加価値がより〈ハズれなさ〉を担保することができる。だからこそ、売り手は過去のIPを再顕現することで、当初のヒットを小規模ながらも再現しよう試みる。その結果選択される商品がリメイクだ。もっと風呂敷を広げるのならば、リメイクを販売することは、わかりやすさにリーチすること、と言ってもいいかもしれない。古いものはわかっていて、新しいものは未知数。当然のことだ。Guerrero Jr.がRiceやKurtzを凌いだ論理がここでも働いている──ちなみにボクは、Kurtzに投票した──。
 加藤・荻原・小澤の作品集が、何かを「潤す」──《「澤」の仲間の渇きを鎮めるものとなろう》(小澤)──とすれば、その対象は二面ある。一面では、書き手が望むとおり──《現代短歌に現在進行形の作品集として提示したい。〔…〕現代短歌の若い世代および現代詩・俳句・川柳の作家たちに届けたい》(加藤)──過去の作品が新たな世代に読まれることによって、現行の歌/俳壇に生きたものとして改めて参入しなおし、躍動するという点で、それらは歌/俳壇を潤しうる。事実、加藤や荻原のものは、是非はさておくとしても、もはや歴史用語となってしまった「ニューウェーブ」の内実を、検証・継承双方の面から再稼働させるものとしてみなせるだろうし、小澤のものも、「澤」で育まれた俳句の方針を、原点に立ち返りながら広げる力がある。しかし、その裏面には──たとえ実利益がどういう結果だったとしても──既知の作者のレガシーを普及版として売り出すという商業的な戦略がある。各〈プロダクト〉はそこから逃れられているだろうか? 実際、加藤や小澤のものは、レガシーとしての句/歌集を可能な限り再現することが目指されており、この時、商品にはIPとしての「小澤實」や「加藤治郎」の名が貼り付けられている。買い手は、彼らの歴史的意義をわかっているからこそ商品を手にするのである。
 むろん、だからといってこれらの作品の価値が功利的になっているわけではない。前述のとおり、現行の歌/俳壇に対して十二分に機能を持ち得ている。これらのレガシーがより広範に行き渡ることは、歴史考証の観点でも、技術革新の観点でも意義深い。また、多くのコンテンツにそれほど労力を使わずにアクセスできるこの時代に、市場が小さく、出版方式も自費出版が主となっている詩歌というジャンルは多くの資料があまりに手に入れ難い。一読者としては再刊の動向は非常に好ましい。だとしても、今出発しようとする書き手たちは、そうした〈マーケット〉の欲望に対して、危機感を持つべきだ。否定するのも違うけれど、諾うのも間違っている気がする。そうした葛藤の中でボクやあなたはどうしよう。
 しかし、もしかすると荻原のものは、小澤や加藤のものと比べると、それが編集者の筒井菜央によって選別されなおし、新たな書名とレイアウトを得ているという意味で、別の位相と言った方がよいかもしれない。抄録形式である本作は、現代における資料のアクセシビリティを担保する役割よりも、むしろ、荻原の存在を現代というあらたな土壌の上でつくりなおす役割が強く与えられている──《筒井さんの選を経て、少しすっきりと、ほんものの私の姿に近づけたのではないかと感じます》(荻原)──。こう言っていいのであれば、『アヲハリズム』は、荻原が新たにファイティングポーズを取り直すための最新歌集だ。そう思うとき、Wheelerがオールスター選出を願っていたとして告げた言葉が同時に思い出される。” I don’t need somebody saying, ‘He’s had major surgery. Look at him now.’ I don’t need that. It was my plan to come back as who I was or even better(別に「あんな大手術を受けたっていうのに!」なんて言われたいわけじゃない。ただ今まで通りか、それ以上になって帰ってこなきゃと思ってただけなんだ)”。商業的な意図が働いていたとしても、それは出版社の当然の責務だ。ただし、書き手はそのコンテクストを再検証されるために出版を目指すのではないかもしれない。結局のところ、書いている以上何度でもここにいると宣言しなければならないのだ。ボクやあなたも。

 

[ライタープロフィール]
田村奏天(たむら かなめ)
2000年、東京生まれ。立教大学文学研究科比較文明学専攻博士課程後期課程在籍、専門は近現代俳句。作家として、俳句・短歌・現代詩を中心に活動。別名義に「アトリエ ヒトノマ」。詩誌『透けやすい』同人、総合文芸同人誌『Rich』同人(Produce & Direction)。著書に『ヒトノマ』(七月堂、2024)。
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