近代神秘集:生きもの編 第3回 猿知恵に木の葉を

猿知恵に木の葉を

 

1 知恵の実験と孤独な挑戦

一枚の葉が、音もなく舞い落ち、水面に触れた刹那、葉裏の陽の粒がはじけるように揺れた。渓(たに)の流れは緩やかで、空には淡い雲がひとすじ、南へと溶けていく。夏が静かに背を向ける、そんな瞬間だった。

この季節になると、妙に考えごとが増える。たぶん年のせいだろう。おれは猿山の中腹に棲む、白毛混じりの老ザルだ。若い連中からは「ジジイ」だの「枯れ木」だのと呼ばれているが、言わせておけ。

若さは枯れたが、まだ猿知恵だけは残っている。長年かけて蓄えてきたものだ。

勤勉に学べ――他に道はない。これがおれのモットーだ。

ある秋の日のこと。渓流のそばで一休みしていたとき、目の前を銀色の魚がぬるりと泳いでいった。陽にきらめくその姿を見て、つい口に出た。

「うまそうだな」

もちろん、老いぼれの手で捕まえられるような代物ではない。それでもその日を境に、魚のことが頭から離れなくなった。

――魚を捕まえるには、どうすればいいか?

――猿知恵で挑むとしたら?

最初に試したのは、木の枝で水面を叩いて魚を驚かせる方法だった。だが魚は驚くどころか、素早く深みに逃げるばかり。次に、川岸のくぼみに落ち葉を集め、水を引き込んで魚を誘導する作戦も試したが、見事に失敗した。魚はおれの思うようには動かない。

三日ほど試行錯誤を繰り返した夕方のこと、渓流の近くで若いメスザルのミモザに見つかった。

「なにしてるの?」

ミモザは、群れの中でも少し変わった存在だった。幼い頃に親を亡くし、誰かに頼るよりもじっと観察して学ぶ癖がある。話の最後まで聞くので、「聞き役」としても重宝されていた。

おれは耳に指を当てた。口が勝手に動いた。

「魚を獲ってる」

ミモザがくすりと笑った。

「へえ、猿が魚を? 木登りはもうやめて、水の世界へ?」

まったく、サルの習性に真っ向から逆らう行動と映ったのだろう。

だが、発明は常識に逆らうものなのだ。

「川に魚がいる。おれには手がある。なら、獲れないはずがないだろ。魚はな、考えるヒントなんだ。おれの猿知恵が、あいつに勝てるかどうか試してる」

ミモザは不思議そうな目でこちらを見た。

「で、勝てそう?」

「そのうち勝つさ。魚なんぞ、木の葉と同じように風を読めば流れ着く」

ミモザの顔が皮肉に歪み、唇が軽蔑したように突き出た。

「リスやカケスは貯食して冬に備えるし、モズは早贄(はやにえ)を作るよね。サルが真似したっていいと思うけど、どうしてそうしないの?」

おれは両手を組んで答えた。

「猿知恵の由来はな、ミモザ、人間の真似をするところからくるんだ。けど、動物の真似はしない。そこが肝心なんだよ。人間が魚を獲る以上、サルにも可能性はある。浅はかだと笑われようが、執着こそが進化の入口ってやつさ。おれの挑戦は、猿知恵に先進性を持たせようって試みなんだ」

ミモザは、呆れたように目を丸くし、口元に手をあてて笑った。

「先進性、ねえ」

けれどそれ以上、突っ込もうとしなかった。その無干渉さに、おれは密かに感謝した。

季節が進むにつれて、渓流に落ち葉が増えた。それを利用して、おれは新たな作戦を思いついた。

木の葉にサルナシの匂いを染み込ませて、川に流す。匂いに魚が引き寄せられれば、流れの癖や動きを読み取る手がかりになる。葉は硬すぎても柔らかすぎてもダメで、浮力が安定している種類を選んだ。熟した果実をすり潰し、丁寧に香りを塗る。流す葉の数やタイミング、流速によって、魚の反応が少しずつ見えてきた。

風の強い日だった。おれは百枚近くの葉を流した。

その夜、岸辺で、魚が一尾、跳ねていた。葉の流れにつられ、浅瀬に迷い込んだらしい。

「やった!」

おれは叫び、水に飛び込んだ。冷たい水、滑る石、重い身体。まさしく、魚は近かった。

だが、あと少しのところで、ぬるりとすり抜けて逃げた。奴は、石の隙間に潜り込み、深みに戻ってしまった。

そのとき、背後から声がした。

「すごい執念だね、ジイサン」

ミモザがいた。そして木の上や岩陰から、若いサルたちがこちらを見ていた。

おれは少し声を張って言い返した。

「わからんだろうな。これは魚の問題じゃない。冬の飢えに備えるための、知恵の問題なんだ」

その日を境に、おれの挑戦は「猿知恵漁」と呼ばれるようになった。

 

2 模倣と波紋

おれの猿知恵漁は、いつのまにか真似されるようになっていた。若いサルたちはそれぞれ工夫をこらし、言い合っていた。

「もっと甘い実を使おう」

「川底の石に葉をくっつけたら逃げない」

だが、どれもこれも、肝心の魚が寄りつかない。

渓流沿いの猿山では、風変わりな光景と言わざるを得ないだろう。

そのうち、彼らは葉の流し方を競うようになった。

「見てろよ、俺のは下流の大岩のところまで流れてくぞ」

「いや、俺のは渦に乗せて滞留させるんだ」

水面を走る葉に魚が跳ねることはなかったが、いつしかそれは、一種の競技のようなものに変わっていた。

やがて、飽きた者たちが川辺から消え、別の群れと木の実を奪い合う遊びに戻っていった。川の上流で水しぶきを上げていた子ザルたちの姿も、次第に見えなくなる。

――そして、残されたのは失敗の痕跡だった。

静かな声が頭上から降ってきた。

「ねぇ、ジイサン」

枝の上、陰のなかにあのミモザがいた。細くて小柄、賢さと皮肉を併せ持つ目で、じっと、おれを見下ろしていた。

おれは見上げて、額に手をかざした。

「おまえは残ったんだな、さすがだ」

水音の中でも、よく通る声が降りてきた。

「ジイサン、ほんとうに魚を獲りたいの?」

できるだけ穏やかな声音を使った。

「まあ、見ていなよ」

作業に戻った。ひと呼吸置いてから、川に葉を一枚、そっと浮かべた。風が流れを押し、葉はくるりと回転しながら、ゆっくりと下流へ進んでいった。

ミモザが声を少し強めた。

「なんだか、おかしい、ジイサン。魚を獲るより――魚が獲れるかどうか、考えるのが楽しそうに見えちゃうよ」

ミモザの直観は、何とも嬉しい誤算だった。

「よくそこまで見通したな。褒めてやろう、ミモザ。考えることに意味があるんだ。たとえ実を結ばなくても、だな」

ミモザの顔がパッと明るくなった。

「図星だね。でも、実を結ばなきゃ、何にもならないじゃない?」

おれは葉を指さした。

「まあ、見ててごらん」

何も起こらなかった。

少し項垂れたような仕草をしながら、ミモザもやがて立ち去った。

 

3 反発と問いかけ

数日後、渓流の音はいつもと変わらぬようでいて、どこか緊張を孕んでいた。

木の上から幾つもの目が、こちらを注いでいる気配があった。葉の影、枝の先、岩陰から――若いサルたちが、おれの動きを伺っている。見よう見まねで猿知恵漁をやってみた彼らは、結果が得られなかったことで、一様に苛立ちを示していた。

怒鳴るように口を開いたのはギンタだった。

「ジイサン! もういいだろ! 魚獲りなんて、やっても無駄なんだよ!」

彼は今では群れの中でも頭角を現し始めている一匹だった。手先が器用で目もよく効き、喧嘩も強い。

語勢には、誰にも反論を許さないといった気概が込められていた。

まともに喧嘩するつもりはない。

おれは葉を手に取って、穏やかに言った。

「おまえは無駄を恐れるのか?」

ギンタの激昂が頂点に達したようだ。

「当たり前だろ。時間の無駄、体力の無駄、見てろよ、明日にはもっと実が減る。そんな遊びやってる暇があったら――」

おれは謎を掛けるような口調で返した。

「一見無駄に見えるけど、そこで終わらないものがあるんだよ。考えてごらん」

ギンタの声がうわずった。

「何を考えるんだよ?」

おれはあくまで穏やかな声音をたもった。

「まあまあ、そういわず。たとえば、何もせずに冬を迎えるか、それとも工夫して、知恵を巡らせるか。その違いが、群の差に出るんだよ」

ギンタが食い下がってきた。

「考えた結果、どうなるんだ? 飢えを凌げるのか?」

おれは葉を見せた。

「この葉だってな、日陰を作ってくれた。目に見えて役に立たなくても、こっちの見方次第で、どうにでも解釈できる、って話さ。葉を流すのも同じだよ」

ギンタが手で額を打った。

「このジイサン、また訳の分からん話をし始めた。やってられないよ」

群の大半は去った。ざわめく風の音だけが、枝葉を揺らしていた。

そこへ、ミモザが口を開いた。

「ジイサン、人間になりたいの?」

不意を突かれたように、心臓が跳ねた。

その問いは、ただの言葉ではなかった。何か深い、水底に沈んでいた疑念を、突きつけられた気がした。

おれはミモザだけではなく残った若猿たちを眺めてから、おもむろに口を開いた。

「なりたいわけじゃない。ただ――知恵ってやつが、どこまで使えるか、それを見ていたいだけなんだよ」

 

4 秋の証明

渓流に朝の霧が立ち込めた日、静寂が支配していた。

川の音さえ、薄い膜を通して聞こえるようだった。空気が肌を刺すほど冷たく、木々の葉はほとんど落ちていた。

おれはその朝、最後の葉を流す予定を立てた。

サルナシの果肉も、わずかに残った熟れすぎた実だけだ。甘味よりも酸味が勝ち、葉に塗ると少し酸っぱい匂いが鼻についた。あと少しで猿酒といってよいほどだ。

十枚、丁寧に塗り込み、風向きと流れを読みながら、一枚一枚、川へと放った。

誰もいなかった。いや、そう思っていた。

しばらく水面を見つめていたその時、滑るように、川の奥から一尾の影が現れた。

魚だ。

背の部分がほんのり青みを帯び、尾の動きは静かで鋭かった。

風も音も止まったような気がした。

おれはそろりと立ち上がり、川に片足を踏み入れた。

冷水が足首を包み、石のぬめりが足裏にまとわりつく。身をかがめ、そっと手を差し出した。

魚の動きは止まらない。だが逃げもしない。

もう一歩踏み出す。両手を広げ、呼吸を整え――一気に、流れに手を入れた。

ぬるりと、指の中に生きた重みが走る。

――捕まえた。

まぎれもない、魚の感触だった。

「ジイサン!」

声に振り返ると、ミモザが岩陰から飛び出してきた。彼女の後ろには、二、三匹の若者たちが集まっていた。ギンタもいた。皆、黙っておれを見つめていた。

おれは魚を高く掲げた。

何かを証明したのかもしれない。

けれどそれが、知恵の勝利だったか、偶然だったか、それは分からない。

ギンタがぽつりと言った。

「これ、食べるの?」

思わず笑みがこぼれた。

「焼くには火がいる。火を熾(お)こす知恵、持ってるか?」

誰かが言った。

「火、って、どうやって熾こすんだ?」

誰かが呟いた。

「石? こすり合わせる? 木と木?」

そして誰かが、言った。

「じゃあ、火のこと、考えてみようか」

その時、魚が大きく身をひねらせておれの手から水に飛び込んだ。

居合わせた皆が腹を抱えて笑った。

ミモザが、歯を隠しながら声を詰まらせた。

「串に刺しておけばよかったものを。もったいない」

後の祭りの忠告だった。

 

5 誘惑

それは、どこか滑稽で、それでいて神聖な光景だった。

枝をこすり合わせるサル、石と石をぶつけるサル、葉を積み上げて煙を待つサル――。一匹が思いついたことを、別の誰かがすぐ真似る。真似された側は怒るでもなく、それを見て別の工夫を始める。試行錯誤という言葉があるなら、それはきっとこういう行程のことだ。

だが、火は熾きなかった。

いくらこすっても、叩いても、木は火花すら出さなかった。葉は濡れていたし、石は丸く、熱を生むどころか、手を痛めるばかりだった。

日が傾き、山の影が渓流に迫った頃、ギンタがぽつりとつぶやいた。

「やっぱり無理だったんだな」

その言葉は静かで、誰もそれに反論しなかった。ただ皆、黙って、手の中の枝や石を見つめていた。

おれのほうは、皆の顔つきを見ていた。

指先に豆を作った者、鼻に木っ端をつけた者、必死に葉をあおいで疲れた者――彼らの目には、悔しさだけでなく、何かしらの光が宿っていた。

考えること。それは痛みや空腹を満たすものではない。だが、何かを動かす。おれはそのことを、彼らの眼差しの奥に見た。

群れは変わり始めていた。

その夜、ミモザがひとり、おれのそばにやってきた。

月明かりと川音と、お互いの呼吸だけがそこにあった。

「昔、ジイサンは火を見たことがあるんでしょ?」

静かにそう訊かれた。

おれは、しばし黙って空を仰ぎ、やがてゆっくりと頷いた。

「ああ。見た。もっと若い頃だ。山を越えた向こうの、人間の里でな」

「人間の火、ってこと?」

「そうだ。食い物を焼いていた。魚も、芋も。匂いが違った。煙が空を裂いて、木々の上まで届いていた」

「それで、その火を、自分でも熾こしてみたいと思ったの?」

おれは苦笑した。

「いや、最初はただ――怖かった。あの赤い揺らめきが、生き物みたいに見えてな。近づいたら毛が焼けて、逃げるしかなかった。でも、目が、離せなかった。あれを使いこなす生き物が、俺たちと何か根本的に違っている気がした」

「賢さ?」

「違うな」

おれは肩をすくめた。

「諦めの悪さ、というか。彼らは火が消えても、何度も何度も試してた。俺たちが無駄だと思うことを、延々とやり続けてた。あれは一種の狂気だ。けど、狂気が知恵を越える瞬間を、俺はあの夜に見た」

ミモザは黙ったまま、しばらくおれの横で座っていた。やがてぽつりと、ぽつりと、言葉が落ちてきた。

「わたし、魚が獲れたとき、うれしかった。でもそれより、魚が獲れるかもしれないって思えたことが、もっと嬉しかった」

「それが思考ってやつだ」

おれは枝を一本拾い、手の中で転がした。

「結果じゃなく、可能性を育てる。それを続けると、群れは変わる。時間はかかるけどな」

「ジイサンは、変えたかったの? 群れを?」

少し、風が強くなり、上流から冷たい気配が流れてきた。

「変えたいんじゃない。変わらなきゃ、もう、越せないと思ったんだ」

ミモザが首を傾げる。

「冬を?」

「いや、これからの時代そのものを、だよ」

それは、おれ自身の記憶に触れる話だった。若い頃、おれは群れの掟を破った。人里に近づき、火を見て、畑を荒らし、追い払われ、仲間に嘘をついた。

「人間などいなかった」と。

だが、それでも目に焼きついた光景があった。火のまわりに集まる人間たち。言葉を交わし、身を寄せ、時に笑い、時に争う。そこには、飢えや寒さを越える手段があった。

それを見て以来、おれはずっと、猿という存在が、知恵に至る可能性を信じたかった。

子ザルたちは、発火に失敗した件で、考えることを終えたのではなかった。むしろ、次はどうするかを互いに問いはじめていた。

「魚が水面を打って宙に飛び出した時、捕えられないか」

「カイツブリのように、水に潜って魚を獲る術を学んだらどうか」

「川の流れを変えることはできないのか」

模倣は深化していく。それは、いつか火に届くかもしれない。

ミモザが小さな声で言った。

「ジイサンが死んだら、その知恵も、終わっちゃうのかな」

おれは、微笑んだ。

「おれもいつか死ぬからな。終わらせちゃ、いかんだろう。火が熾きなかったことより、考え続けるってことをやめるほうが、ずっと怖い」

月が高く登っていた。風が川を撫で、葉が揺れ、ささやくような音が漂ってきた。

 

6 灯らぬ火の形

冬は、山の奥から来た。

最初に訪れたのは風だった。葉を払い、音を奪い、動物たちの毛並みに逆らって、川の上を滑っていった。その次に来たのは沈黙だった。鳥は鳴かなくなり、虫の羽音も消え、ただ時折、雪が枝を折る音だけが、森を打った。

食い物は、なくなった。

木の実は地に落ち、地面の虫は姿を消し、川の魚も深みに沈んだ。残ったのは、凍った水と、裸の木と、空を覆う鉛色の雲だけだった。

子ザルたちは、ひたすら耐えた。

手を繋ぎ、身を丸め、肩を寄せて震えながら、過ぎてゆく冬をただやり過ごした。何度も、誰かが低い声で言った。

「火が、あればな」

その言葉は悔しさではなかった。ただ、静かな祈りのように響いていた。

おれもまた、何度もそう思った。

ある朝、雪の中でミモザが、凍った実をじっと見つめていた。

「焼けば、食べられるのにね」

そう言って、木の枝を拾い、また擦り合わせ始めた。疲れているはずの手が、しばらく止まらなかった。その手つきを、おれは忘れない。

思考は、火そのものではない。だが、それはたしかに、見えない炎を孕んでいる。

春が来た。

陽が射し、川が緩み、鳥が戻ってきた。

もう、群れの子どもたちは、火のことを口にしなくなった。代わりに、川の流れを読む方法を話すようになった。

葉をどう折れば流れに乗るか、魚がどの深さにいるか、鳥の影が水面に落ちたときの魚の動き――そんなことを、自分たちで観察し、語り合い、試していた。

発火はついに起こらなかった。だが、火を求めた時間は、確かに残った。

ある日、ミモザが言った。

「火って、燃えるだけのものじゃないかもしれないね」

「ほう?」

「なんというか、ジイサンの中にも、火があったんだと思う。わたしたちが、火そのものより、火を探す心を見たってことかもしれない」

少しだけ胸が熱くなった。

「知恵は、物ではない、ミモザ。それは、形を持たぬ炎のように、手には掴めないのだ。魂のように目にも見えず。けれど確かに、存在し、受け継がれるんだよ」

夜、ひとり川辺に降りると、冷たい水面に月が映っていた。

流れる水は、変わらないようでいて、決して同じところを流れてはいない。だが、石のくぼみ、折れた枝、そこに生まれた渦――それらが記憶のように水を導く。

おれたちの思考も、そうなのかもしれない。火が熾きなかったという記憶が、群れの形を、少しだけ変えていくのかもしれない。

目を閉じた。

寒さはまだ肌を刺した。だが、おれの中には、見えない炎が灯っていた。ゆらゆらと揺れながら、なおも誰かに受け継がれることを待っている――そんな火だった。

 

エピローグ

夢を語ってよいものなら、おれは一つだけ、楽しみにしているイメージがある。

それは、人間たちが両手を口に当てて驚いている姿だ。その視線の先には、サルが木の葉で火を熾こして、魚を焼いている。しかも、それをひと噛みしたあと、美味いと言いながら、別のサルに回している図柄だ。

猿知恵と呼ばれたのは、ほんのわずかの間だけだった、と言わせてみたい。どのくらいの年月が経てばそうなるか知らないが、いつか、何万年、何百万年経った暁には、サルだって火を扱う動物に入れられているに違いない。勤勉な学びを積み重ねれば、決して夢ではないはずだ。

その時、人間は何と言うだろうか。

 

 

[ライタープロフィール]

野上勝彦(のがみ かつひこ)

1946年6月、宮崎県都城市生まれ。10歳の秋、志賀直哉と出会い、感銘を受ける。20歳のとき関節リウマチを発症、慶應義塾大学独文科を中退。数年間、湯治に専念。画家になるか作家になるか迷った末、作家になろうと決める。長編小説20編以上の準備をするが、短編小説数編しか発表できず。31歳のとき、文学を学び直すため、早稲田大学第二文学部に入学。13年浪人という形になった。英文学専攻、シェイクスピア学を中心に学ぶ。足かけ5年間、イギリスに留学。留学中父親を亡くす。詩人のグループに属し、英詩を書き、好評を得る。1989年末、帰国。教員となる。12歳の時、最初の短編小説を書いて以降、題材を2000本以上書き留める。2010年、本務校を退職。同僚先輩から借りた本代1000万円を完済。2017年、非常勤講師をすべて定年退職。2018年、最初の評論集が『朝日新聞』書評欄で取り上げられる。最初の長編小説を完成させたのが2019年。いずれも出版に際し、グリム童話研究家金成陽一氏の紹介により河野和憲社長(当時編集部長)のお世話になって、現在に至る。2024年、短編小説の執筆戦略を練り、題材帳をもとに書き始める。現在、未発表短編800作を数える。

【単著】『〈創造〉の秘密――シェイクスピアとカフカとコンラッドの場合』彩流社、2018年。『暁の新月――ザ・グレート・ゲームの狭間で』彩流社、2019年。『始源の火――雲南夢幻』彩流社、2020年。『疾駆する白象――ザ・グレート・ゲーム東漸』彩流社、2021年。『マカオ黒帯団』彩流社、2022年。『無限遠点――ザ・グレート・ゲーム浸潤』彩流社、2023年。

【共著】『シェイクスピア大事典』日本図書センター、2002年。『ことばと文化のシェイクスピア』早稲田大学出版部、2007年。The Collected Works of John Ford, Vol. IV, Oxford: Oxford University Press, 2023.

【論文】‘The Rationalization of Conflicts of John Ford’s The Ladys Trial’,Studies in English Literature, 1500-1900,32,341-59,1992年、など37本。詳細についてはウェブサイトresearchmapを参照。

【連載】『近代神秘集:生きもの編』、ウェブマガジン『彩マガ』彩流社、2025年4月16日より。

タイトルとURLをコピーしました