近代神秘集:生きもの編

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近代神秘集:生きもの編 第8回 蝶柱――ホソバセセリ抄

蝶柱――ホソバセセリ抄 1 森の縁(へり) 風が、地表の草を一方向へ倒していた。葉の裏がいっせいに白く返り、そこだけ光が滞(とどこお)った。 あたしはホソバセセリ。茶色の地に白い斑点の翅を持つ蝶だ。 陽の当たる側を選んで生きてきた。開けた草...
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近代神秘集:生きもの編 第7回 光の筋を越えて――ハンミョウ記

光の筋を越えて――ハンミョウ記 1 赤い帯の誇り 林道の上に、光の筋が走っていた。草の葉が風に揺れ、キラキラ輝いている。 細い陰の間を、私は金属の光を閃かせて駆け抜ける。前翅が七色に染まり、背の赤い帯が自慢の種だ。 思わず言葉が出た。 「こ...
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近代神秘集:生きもの編 第6回 灰色の匂いに牙を立て――猪記

灰色の匂いに牙を立て――猪記 1 山里の余震 朝の光は、砕けた山の稜線に柔らかく滲み、空気の中へ静かに溶け込んでいた。鼻先をくすぐるのは、むき出しの土と裂けた根の匂い。そして、わずかに焦げた木肌が残す、結構鋭い香りだった。 大地が身震いした...
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近代神秘集:生きもの編 第5回 狐雨綺譚

狐雨綺譚 プロローグ わたしは山と里の境にひっそり棲む。 名は捨て、肩書きもない。あるのは、慎ましい誇りといくばくかの知恵、そして少しばかりの化けの技だけだ。 空の底に湿った風が潜り込む。稲の葉がざわつき、野の匂いが変わる。 ――狐の嫁入り...
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近代神秘集:生きもの編 第4回 カラスの芸術塔――濡れ羽色の神殿

カラスの芸術塔――濡れ羽色の神殿 ――これは、ずっとあとになってから綴った回想録だ。 ――若い頃の私は、自分が庭園とそこで起こった出来事を、いつか誰かに語り継ぎたいと願っていた。以下は、あの塔をめぐる日々の記憶である。 1 わたしの名はクロ...
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近代神秘集:生きもの編 第3回 猿知恵に木の葉を

猿知恵に木の葉を 1 知恵の実験と孤独な挑戦 一枚の葉が、音もなく舞い落ち、水面に触れた刹那、葉裏の陽の粒がはじけるように揺れた。渓(たに)の流れは緩やかで、空には淡い雲がひとすじ、南へと溶けていく。夏が静かに背を向ける、そんな瞬間だった。...
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近代神秘集:生きもの編 第2回 骨と魂

骨と魂 前篇 1 その骨を見つけたとき、月はひどく白く、野原はまるで誰かの夢の中みたいだった。 夜風に混じって、ふと鼻をくすぐる匂いがあった。鉄のような、土のような、忘れられた命の匂い。 私はタヌキである。 腹を空かせて草むらを歩いていたそ...
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近代神秘集:生きもの編 第1回 蝶は風に舞って

蝶は風に舞って 1 僕はハム、柴犬だ。任務があってこそ、生き甲斐がある。そう信じるひとりだ。 頭が禿げて皺の深い貴志郎爺さんの命令で、いつも山沿いの小さな村の周辺をパトロールする。村のみんなは僕のことを気に入って、時々頭を撫でたり、お菓子を...