2021年8月15日
第19回 なぜアンは、ミス・ラヴェンダーと出逢ったのか?
南野モリコ
世間はオリンピック・パラリンピックの話題で持ちきりですが、筆者モリコの頭の中は『赤毛のアン』一色。心は恋人たちの小径に飛んでいます。「ふーん、そんな人もいるのねぇ。いちご水、かき氷、で検索」などと言いながら、今月もお気楽にお読みください。
イラスト:夢野みよこ
ミス・ラヴェンダーは未来から来たアン?
『赤毛のアン』の続編、『アンの青春』は日本でつけられたタイトルですが、16歳の8月から始まり、18歳の8月で終わる本作品は、大人でも子どもでもない自由な時間を過ごす、青春という言葉がぴたりとはまりますね。
『アンの青春』でアンは、クイーン学院を卒業し、アヴォンリー村校の先生になっています。教師生活1年目を終えた夏、アンは今の気分を「夏休みという言葉を美味しいごちそうを口の中で転がすように味わっています」と言います。「ごちそうを口の中で転がすように」──アン・シリーズにはこんな素敵なフレーズがあちこちに仕掛けられていますね。モンゴメリの語彙のトラップにかかりたくて、また今日もアンの森に出かけていく筆者です。
さて、『アンの青春』には、真夏の昼に見る夢のようなエピソードが2つあります。ひとつは第13章のヘスター・グレイの庭、もうひとつは、第21章のミス・ラヴェンダーのおもてなしです。
ミス・ラヴェンダーは、アヴォンリー村から中グラフトンに向かう途中にある「こだま荘」という屋敷に、メイドのシャーロッタ4世と2人で暮らしている45歳の女性です。
アンとダイアナがエラ・キンブルの家に向かう途中、道に迷ってこだま荘に着いた時、ミス・ラヴェンダーは、シャーロッタ4世に架空の夕食会の支度をさせて「お客様ごっこ」をしているところでした。訪ねてくる人もなく、孤独を空想で紛らせています。宮殿のように豪奢なこだま荘に住み、普段から見目麗しく着飾っているのですから、親が残した資産で生活している女性なのでしょう。
モンゴメリはミス・ラヴェンダーの暮らしぶりを1枚の絵のように美しく描いていますが、広い家に訪ねてくる人もなく、いい年をして空想の客人のための料理をテーブルに並べて「お客様ごっこ」をしているなんて、ダイアナが言う「変わった人」を通り越して、可哀そうな女性に見えてしまいます。
屋敷の名前「こだま荘」は、グリーン・ゲイブルズに来る以前のアンが山に響くこだまを友達だと想像しておしゃべりしていたことを思い出させます。社会から隔離されて生きているミス・ラヴェンダーには、ある種の「死」を感じます。
こだま荘に迷いこんだアンは17歳。大学進学という現実の夢を持つアンが、空想の世界に住むミス・ラヴェンダーとなぜ出逢ったのでしょうか? 筆者モリコとしては、ミス・ラヴェンダーは「ギルバートと結婚しなかったアン」ではないかと深読みしました。
ミス・ラヴェンダーは、おもてなしが好きで、空想することが好き。女性らしくおしゃれをするのが好きで、名前をつけることが好きです。誰かに似ていますよね。そう、アンです。この時点では読者にしか分からないことですが、恋に素直になれないところも似ています。
『アンの青春』で、アンはギルバートへの想いに気付かないふりをして友達でいようと努力をしています。シリーズ3作目『アンの愛情』では、過ちを犯した自分に気付き、ハッピーエンドを迎えますが、大切なものを手放したまま後悔を引きずりながら生きる可能性も大いにあったのです。
幸運なことにミス・ラヴェンダーは昔の恋人、スティーブン・アーヴィングからもう一度プロポーズされ、幸せをつかみます。回り道をしても幸せになったのですから結果オーライかもしれません。しかし、もし愚かな喧嘩がなければ、ポールのような可愛い子どもの母親にもなれたかもしれません。
もちろん子どもを産むだけが幸せではありません。でも、アンは天涯孤独な孤児であり、グリーン・ゲイブルズに引き取られると決まった時、マリラに「マリラおばさんと呼んでもいい?」と懇願するくらい、血のつながりのある家族を望んでいるのです。
『アンの青春』第30章の最後にギルバートも「2人の間に別れも仲違いもなかったらもっと美しい人生だった」と言っていますよね。
ミス・ラヴェンダーは、愛に素直になることをアンに教えるために現れた、「未来からきた、ギルバートと結婚しなかったアン」ではないかと筆者は深読みしてみました。夢物語すぎると言わないでください。夢とも現実とも区別のつかないことが起こるのが青春というものですから。
「お客様ごっこ」は「アフタヌーンティーごっこ」?
ところで、ミス・ラヴェンダーは、「お客様が大好きだけど、この家は奥まっているから滅多にお客様は来ない」と言っています。このセリフ、違和感を感じませんか? お客様のもてなしが好きなら、自分から友達を招待すればいいではありませんか。
ミス・ラヴェンダーがいう「お客様」とは、このコラムでもいつか書いた「家庭招待会」のことではないかと深読みしています。
ChaTea紅茶教室著『図説 ヴィクトリア朝の暮らし ビートン夫人に学ぶ英国流ライフスタイル』(河出書房新社、2015年)によると、ヴィクトリア朝時代のイギリスでは、社交を目的とした「家庭招待会」という習慣があり、近隣に住む者同士がコミュニケーションを目的に訪問し合っていました。
当時は電話やメールはありませんから、それぞれの家庭に週に1度か2度、来客を受け入れる曜日と時間を決めて知人たちに知らせていました。「お客様が来ない」と、まるで繁盛していないレストランのようなことを言っているのは、家庭招待会の習慣が背景にあるような気がします。
また、アンとダイアナがエラ・キンブルの家での食事に招かれたのは午後5時。松本侑子訳『アンの青春』では、「夕食」と訳されていますが、原文では、teaとなっています。5時にお茶、そうです、アンとダイアナは、アフタヌーンティーに招待されていたのです。「いちご水」でお茶会ごっこをしたアンとダイアナ。『アンの青春』では、お茶会に普通に招待される年頃になっていたのです。
ミス・ラヴェンダーの「お客様ごっこ」も「アフタヌーンティーごっこ」です。17歳のアンが、忘れられた古城のようなミス・ラヴェンダーに惹かれるのは、ミス・ラヴェンダーと同世代の筆者には奇妙に映らなくもありません。でも、光の子であるアンには、「過去の世界」もロマンティックなセピア色に見えたのかもしれませんね。まあ、単なる深読みですけどね。
参考文献
モンゴメリ著、松本侑子訳『赤毛のアン』(文藝春秋、2019年)
[ライタープロフィール]
南野モリコ
『赤毛のアン』研究家。慶應義塾大学文学部卒業(通信課程)。映画配給会社、広報職を経て執筆活動に。
「赤毛のアンの地図」ポストカードを発売中。
詳しくは、Twitter:モンゴメリ『赤毛のアン』が好き!ID @names_stories まで!
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