あてにならないおはなし 第26回

第26回 わたしの体験的居場所論(その1)

阿部寛

「居場所」の定義は、時代とともにずいぶん変わってきたようだ。物理的場所(空間)がありながら、その中に自分が確保するスペースがない状態に陥ったときに、「居場所がない」という表現が生まれた。

現在は、高度資本主義の浸透と商品交換体系の徹底化により、社会の隅々で貨幣を媒介とした関係がはびこり、贈与関係が排除されている。学校、家庭、地域、会社、世間等の共同体や人間関係のネットワークが希薄化、崩壊して、社会的排除や差別・選別がなされ、「孤立・孤独」状態が常態化している。

その結果、「居場所」は、物理的なスペースの問題から、人間相互の関係性、安全・安心な精神状態を含めた概念となっているようだ。つまり、「居場所」は、人間にとっての生存の在りよう、生存権や幸福追求権の問題として浮上してきているといっていいだろう。

わたしが「居場所」に注目したのは、この連載でもすでに書いてきたように1982年末から83年2月にかけて発生した横浜「浮浪者」(野宿していた日雇労働者)連続襲撃事件がきっかけだった。事件の加害者が15〜6歳の少年たちであり、その少年たちの生活拠点が犯人グループの一人のアパートであったため、警察による若者たちが居住するアパートに対する徹底したローラー作戦による集中捜査と拠点つぶしが顕著であった。

当時、家庭にも、学校にも、地域にも「居場所がない」多くの若者たちがおり、その状況をさらに悪化させる捜査当局の対応に、一人の女子高校生が異議を唱え、「わたしたちには赤ちゃんからおじいちゃん、おばあちゃんまでが集い、語り合う〈たまり場〉が必要です」と発言した。それを受けて、1985年5月、わたしたちは金銭・労働・物資・アイデアを共同出資し、横浜・寿町そばにたまり場ユンタークを開設した。

わたしは、転居し、転職するたびに「居場所」を創ってきた。そして、そのたびに「居場所」を意味する様々な表現(ことば)を使用してきた。それを時系列的に並べると、次のようになる。

〇たまり場ユンターク:1985年〜1992年。ユンタークは「井戸端会議」を意味する沖縄のことば。子どもたちとおとなたちの共同学習「寺子屋」、横浜の寄せ場「寿町」の生活者と地域住民との交流、ドキュメント映画等の芸術・文化交流のイベント、バザー、緊急の宿泊・避難場所提供。

〇コミュニティスペース「アジール」:1998年〜現在。NPO法人アジールの会が運営する、神奈川県厚木市にある女性専用の精神障害者の居場所兼就労支援施設。キャッチフレーズは「ほっとできる場所、はっとする出会い、じわーっと伝わる」。アジール(Asyl)はドイツ語で、聖なる場所、避難所の意味。当事者ミーティング・当事者研究・食文化を大切にし、配食弁当づくりと有機肥料・無農薬による野菜と玄米おにぎりのカフェ「はなしやぼの」を経営。

〇地域人権学習会ぼちぼち:1995年〜現在。厚木市にある人権学習会。キャッチフレーズは「安心できる居場所と語りによる回復」「自分自身を教科書に」。主たるプログラムはミーティング・識字・人権学習。学習者は、被差別部落民、精神障害者、発達障害者、ベトナム難民、ブラジル移民、東京大空襲被災者等。

〇当事者研究会:2000〜現在。コミュニティスペース・「アジール」においてスタート。浦河べてるの家で誕生した精神障害当事者による研究方法で、べてるの家との交流で伝授される。「自分自身で、仲間とともに」、「弱さの情報公開」をキャッチフレーズとする。

〇当事者ミーティング:1986年〜現在。AAやNAやDARC等、アルコールや薬物等の依存症者たちが、それらの依存物質を使わない生活を手にし、それを続けていくために任意で参加する活動を行っており、その重要な柱が、当事者ミーティングである。ミーティングにおいて、それぞれが自らの経験と生存戦略を語り、分かち合い、自らの生き方を決めていく。たまり場ユンターク設立以来、アジール、ぼちぼち、生存戦略研究会に至るまで当事者ミーティングを取り入れている。

AA(Alcohorics Anonymous無名のアルコホーリックたち)とは、アルコール依存からの回復をめざすアルコール依存症者の団体。

NA(Narcotics Anonymous)とは、薬物依存からの回復をめざす薬物依存症者の団体。

DARC(Drug Addiction Rehabilitation Center)とは、薬物依存症者の薬物依存症からの回復と社会復帰支援を目的とした施設。

〇生存戦略研究会:2018年〜現在。それぞれの人が悩み・苦労の中で編み出した生存のための経験知と技を、「生存戦略」として位置づけ研究している。アルコール、薬物、幻覚・幻聴、窃盗等の犯罪行為をも、善悪の価値判断を超えて生存戦略と認知する。外国にルーツも持つ若者、精神障害者、受刑経験者等の被差別当事者と、それらの人々をサポートする「支援者」との対話(当事者ミーティング・識字)と相互支援を研究し実践している。京都、大阪、東京、横浜などで生存戦略研究会を開催している。

現在、全国各地で、様々な形態と理念の「居場所」が誕生しているが、地域の中に「居場所」を形成し、活動を維持するのは非常に難しい。

以下では、わたしたちが取り組んだ「居場所」づくりにおいて、直面した様々な出来事と課題をご紹介しながら、その実相を明らかにしたいと思う。

1985年5月、横浜「浮浪者」襲撃事件をきっかけとして立ち上げたたまり場ユンターク。

学校で、地域で孤立し、排除されていた少年たちが、野宿していた日雇労働者や病者を襲撃し、殺傷した事件。家庭・学校・地域で社会的に排除されていた者が、より弱い立場に置かれていた者たちを虐げる抑圧移譲の暴力行為に及んだ。

それぞれの置かれている社会的状況を確認し、承認する回路を持てず、対立関係のみがエスカレートしていった。もしも直接出会い、語り、学び、食べる(喰う)経験があったなら、虐殺事件は発生しなかったのではないか、という悔しさとささやかな希望の下に居場所を作った。

この考え方は、いまでも基本的に間違っていなかった、と思っている。理念に間違いはないが、わたしたちは地域にとってヨソ者で、地域と住民の安全・安心・秩序への脅威であるという認識に欠けていた。

地域にたまり場を開設するにあたり、その趣意書のビラをつくり、1軒1軒訪問し、配布した。幸い、地域の小学生が5人ほどが寺子屋に集まった。勉強が遅れていた貧しい家庭の子に対して、安い料金(月謝1000円)で勉強を教え遊んでくれる大人が出現したことを地域住民は歓迎した。しかし、それはたまり場開設の理由を理解したわけではなかった。地域の秩序は、住民相互の同調抑圧や贈与互酬、共通の時間感覚を基本とする「世間」の行動準則によってかろうじて維持されている。地域住民は、わたしたちと一定の距離を保ち、静かな監視を続けていた。

あれはたまり場を開設して2年目だっただろうか。住民の胸の中にわだかまっていた疑念と不信が、一気に爆発した。

たまり場の常連メンバであるさっちゃんが「ある事件」を起こした。さっちゃんは30代の精神障害を持つ女性で、大きなリュックを背負い、両手いっぱいに人形やおもちゃを抱えてたまり場にやってくる。当時は、たまり場管理人はわたし一人だったので、日雇労働からわたしが帰ってくる午後6時ごろまではたまり場は不在であった。

ある日、仕事を終え、たまり場のある路地を入ると、ある家の前に人だかりができていた。警察官2〜3人と10人以上の近隣の住民が、さっちゃんを取り囲んで大騒ぎしている。顔見知りの住民がわたしを見つけて「ああこいつだ!」と叫び、今度はわたしを取り囲んだ。

警察官から事情を聴くと、さっちゃんは、その家のドアを開け、持参したプラスチック製ライフルの銃口を家の住人に向けた。本人の意図は、いつも遊んでいるその家の子どもを驚かそうとしたのだった。しかし、その日は病院に入院中だったおばあちゃんが退院してきたばかりだった。おばあちゃんは突然の出来事に驚いてパニックとなり、家人が警察を呼んだ。

とりあえず、家人と近隣住民に謝罪し、さっちゃんを連れ立って住民をたまり場に案内した。住民の怒りは収まらず、さっちゃんとわたしに対する攻撃は次第にエスカレートしていった。

「こんなやつ、出入りさせるんじゃない。二度と来るんじゃない」とわたしたち二人に、きわめて差別的な暴言を浴びせ続けた。

ところが、さっちゃんは負けていなかった。

「わたしは学校でも、地域でもひどくいじめられて、なんども家出し、海に身投げしたんです。ユンタークはやっと見つけた私の大事な居場所です」

泣きじゃくりながら、まさに死に物狂いの訴えだった。彼女に罵声を浴びせ続けた人々の中には、彼女の悲痛な訴えに耳を傾け、涙を流す人も現れた。

「勝負あった!」であった。

そして、被害を受けた家人が「ずいぶん苦労して生きてきたんだねえ。また、遊びに来ていいよ」と、さっちゃんを許したのだった。

さっちゃんは、家人の言葉を額面通り受け取り、ほぼ毎日のように、その被害者宅を訪れた。さっちゃんのたまり場に寄せる思いが、たまり場に対する地域住人の承認を勝ち取ったのだった。

たまり場設立の趣意を超えて、一人の生身の人間の必死の訴えが、地域住民の理解と承認を得たのだった。

—つづく—

[ライタープロフィール]

阿部寛(あべ・ひろし)

1955年、山形県新庄市生まれ。生存戦略研究所むすひ代表。社会福祉士。保護司。 20代後半から、横浜の寄せ場「寿町」を皮切りに、厚木市内の被差別部落、女性精神障害者を中心とするコミュニティスペースで人権福祉活動に取り組む。現在は、京都を拠点として犯罪経験者・受刑経験者、犯罪学研究者、更生保護実務者等とともに、ひとにやさしい犯罪学、共生のまちづくりを構想し共同研究している。

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