アベ氏の復活
首相を経験しているということで、全国から引っ張りだこのアベ氏。この日も遊説先から別の遊説先に車で向かうという多忙な時を過ごしていた。
「フー」
「お疲れ様です」
「いや、何ていったらよいか、要職に就くとこういう野暮用が増えてなかなか自分のことができなくなってくるもんだよねー。本当は自分の手でやりたい仕事はたくさんあるんだけど」
談笑するアベ氏と警護の岩村。岩村はどんな仕事をなさりたいですか、と相手の自由な発言を促し、経済、安全保障、外交などどのようなことを言われてもスラスラと答える。でもしばらくすると、岩村は瞳をツーと横に動かし、フロントミラーを見た上で、
「落ち着いて聞いてください。アベ様。この車、つけられています」
ビクッとなって思わず、後ろを振り返ろうとするアベ氏。これを制して、
「イケません。平静でいて下さい。これ・・お前も気付いていたな?」
汗をかいていた運転手。サイドミラーを確認した上でコ……コクリとうなずく。その時レーザー・ポインターの赤い光がアベ氏の頭に!
「危ない! 伏せて!」
パンと銃声。弾丸がガラスを突き破り、カーナビの液晶画面にひびを入らせる。
「巻けるか?」
「自信はあります。少々運転が普段より荒っぽくなりますが」
グッとアクセルを踏み込む運転手の荒谷。シートベルトにキューッと締め付けられる。思わず岩村は微笑を浮かべて言う。
「オイオイ、安全運転で頼むよ」
グングン速度を上げる自動車。それに合わせて後続の車もスピードを上げる。やがて公用車は交差点に差しかかった。横っ腹から自動車が入ってくるのが見える。相手の車両はプーっとクラクションを鳴らしていた。思わず身を固くして目を閉じるアベ氏。でもギリギリで衝突せず交差点を渡り切った。後ろからつけてきた車は交差点を渡り切れなかったのかもはやついてこない。後ろからはキキーッという急ブレーキの音と、プープーというけたたましいクラクションの音だけである。
「巻けましたかな」
「おそらく。でもこのままノコノコと会場に向かうことが危険極まりないことが分かるな?」
「はい。昔から虎穴に入らずんば虎児を得ずといいますが、今回は虎児はおらず、虎が口を開けているだけです。応援演説で投票しようという人なぞいるでしょうか。応援演説なぞここでアベ氏がいらっしゃる前で申し上げるのもアレですが、単なるパフォーマンスです。大勢が集まってくるのは、応援演説に来るのがアベ様のような著名人だからです。 アベ・シンゾウというのは党の象徴であり、党の客寄せパンダに過ぎないのですよ。少ししゃべり過ぎました。口より手を動かしていましょう」
哀しげな目をして、荒谷は黙々と運転を続けた。
ここで演説をとりやめないのは危険だと岩村は思った。演説を中止しようかと思い、関係各所に連絡しようと手持ちのスマートフォンをとるために、手でポケットを探ろうとしたが、ハタと気づくとポケットを探るのを止めて、考え込む様子になった。
どうしよう、連絡すべきか否か。情報が漏洩したのかもしれない。あらかじめ、応援演説が決まっても、そのことはtwitterなどでネット上に漏らさないように厳命したのに結局つけられたということは、会のあのメンバーの中にスパイがいるのだろうか。それとも警護のうちのチームの連中の誰かがスパイなんだろうか。そうだ、そうに違いない!でなかったら、幾筋もあって複雑怪奇な道の中で、俺たちが通る道を狙いすまして探り当てる訳がない。目的地だけなら、一般人でもある程度なら割り出せるだろう。車両が停められる開けた土地なんて限られているだろうし、土地の使用許可は来年の分も含めてあらかじめ取るのが通例だからある程度会場となる土地は限られてくる。以上の二点から、当年使用される目的地たる土地はある程度予測可能である。でも経路まで予測するのは不可能に近い。それに今回俺は自分の案でアベ氏を狙う連中の意表を突くことも考えた。ここまで読まれた方はおそらく頭の中に豪華な黒塗りの公用車を思い浮かべていて、それにアベ氏、運転手の荒谷、岩村こと私が乗り込んでいると考えていただろう。違う。ひょっとすると勘のよい少数の読者はなぜ車をつけられて弾丸を発射された時、弾丸はガラスを突き破って車内に入ってきた、公用車なら防弾設備ぐらいあるだろうに、と怪しんでいるかもしれない。すなわち車は二台あったのだ。目を引くいとも豪華な公用車、その車にはアベ氏そっくりの顔をした影武者が途中から乗り、アベ氏本人は公用車ではなく白のワンボックスに乗ったのである。今ごろは犯人が降りてくる人間を見ると、アベ氏の影武者が降りてきて、体の形が本人よりずっと痩せているのを見て愕然としているだろう……となるはずだった。しかし今回犯人は過たずに地味な白いワンボックスをつけてきた。乗るのを入れ替えたのは地元の中華料理屋においてで、結構な規模の地下駐車場から車は出てきた。中華料理屋に入る際にはアベ氏は豪華な公用車に乗っていたが、料理屋を出るときにワンボックスに何食わぬ顔で乗り込んだ。首尾上々と思ったのにこの計画は誰かに洩れていたということか。現場はなじみのある土地だったし、前もって下見に行って、事前に仲間とも練習した。その仲間が情報を洩らしているかもしれないなんて疑心暗鬼になる。
考えに考えた末、岩村は 関係先に連絡するも、嘘の内容の連絡をすることにした。「道が混んでいてそっちへはなかなか着くことができない。いつ着くかもたしかなことはいえない」と。候補者演説ではなく応援演説で、いなくて大いに困るということがなく、こうすれば情報を洩らしていないシロのメンバーが心配することはない。
岩村はさらに電話をかけた。相手は岩村の所属先の警備会社、ジャパンサーヴィスの上司中山だった。
「なんだ、岩村か」
「お忙しい所失礼いたします。実はアベ様の乗られている車がつけられて、カクカクシカジカで。部長、ご英断を。撤退も勇気ある行為かと」
「私の答は変わらんよ。押しの一手よ。警護を続けろ」
「で……ですが……」
「もし今更警備を止める、なんて言って、相手方に契約違反と騒がれたらどうする?結局上役との交渉には私がでるしかなくて、それが上手く行かなくって私の勤務評定に傷がついたらどうする?よしんば上手く行ったとしてもだ、最低限警護の代金は返さなければならないんだ。一千万円は受けとっているんだぞ。わが社にも損失で私の立場はますます危ういものとなる。今日という日を乗り切れば一円も返さなくてよくなるんだ。ナアニ、ここは日本。平和で、銃がぶっ放されるような事件らしい事件も起きない。君は海外暮らしが長いから、ありえない有事を想定しては神経質になっているだけじゃないかねえ?」
「……分かりました。お忙しいところ失礼致しました」
ピッ(携帯電話を切る音)。フー(ため息)。ありえないと思われる事態を想定してそれに対する対策を練り上げるために警備会社というものがあるのではないか。上司の自己保身を考えてあまりに無責任な対応をとることに岩村は憤りを覚えた。でも怒ってみてもしょうがない。組織に属すると、個人の意思など制限されるだろうし、上司の中山にも養わなければならない家族がいるのだろう。完全に自分の自由にやりたければ勤め人をやめて、経営者になるしかあるまい。次善の策として俺個人で出来ることをやろう。
予定していたのとは別の候補者の応援演説をサプライズで行うことにした。男性から女性の候補者への応援演説になった。ただでさえ、候補者がいきなり変わったら候補者演説の内容も踏まえて、応援演説の中身が変わってくる。ましてや今回は候補者が男性から女性に替わり、政策の内容もガラリと替わって、働く女性への支援やらが出てきた。なのに滔々と演説をはじめるアベ氏の聡明さに岩村は秘かに舌を巻いた。行き先を変更してほとんど時間がなくて車中で内容を考える暇もなかったはずなのに。座も暖まって応援演説開始から十分経とうというところでカメラらしき物を構えたマジメそうな男の方から――パン、運動会でしか聞かなそうなピストルの音が聞こえた。白煙が立つ。みんな日本人で頭がお花畑状態なのか、見物人たちは、どういうことだろう、何の音だろう、この白い煙は何だろうと辺りをキョロキョロと見廻す。これが紛争地帯なら、地域住民は反射的に音のする方向から一も二もなく逃げ出し、とっさに身を屈めて頭を守るのに。岩村はアベ氏の頭を上から手で押さえつけてしゃがませる。
「グ……グオ」
見ると、アベ氏が背中に負傷している。でも後ろをとられないように選挙カーは壁に横づけしてもらったから、アベ氏の前にしか見物客はいないのに、背中に傷があるのはどういう訳か。岩村にはすぐわかった。
「跳弾か……」
傷の位置と形からして床と壁とに一度ずつバウンドさせたようだ。あの時地味な男がアベ氏にまっすぐカメラを向けずに、少し下に向けたから油断していた。犯人を現行犯逮捕することは二の次だ。まずはアベ氏を守らねば。アベ氏は負傷で歩くのがやっとのようだ。屈んだまま移動させるのは自分一人では厳しい。その時――
「岩村さん!」
運転手の荒谷だった。ほっそりしているから、知恵者なだけで体はか弱いかと思っていたのに意外と膂力があるようだ。アベ氏を両脇から二人で抱え、案内する。
「こちらが車です!」
運んだ先は果たして黒塗りの高級車だった。「あの車は窓ガラスが防弾にもなっていなくて装甲もやわくて、タイヤもパンクさせられたらアウトです。だから政府に電話して来させました」
若い女性が運転席に座っていた。後ろの方で救急車やパトカーの音、男たちが叫んでもみくちゃになる音が聞こえた。アベ氏を乗せると、ブロロロッと車は走りだしていった。
すぐさま近くの病院へ行くが、そこではどうにも手が負えず、ドクターヘリで運ぶ。
撃たれたという報に接して、すぐに対策本部が設置された。党会長に電話があった。病院からだった。アベ氏の容体は……おそるおそる聞くと、病院側もみのもんたかってぐらい溜めて
「……先程亡くなられました」
病院は「予断を許さない」と説明していたから、てっきり希望はあるものだと思った。跳弾の弾丸がアベ氏の体内の冠動脈を傷つけたらしい。跳弾でなおかつ一発で標的を仕留めたその男は相当の手練れのようだ。逮捕してみれば男は元自衛隊員で射撃の経験も豊富だったらしい。外国に渡ってそこの射撃場でも研鑽を積んでいたらしい。どおりで。
警備会社では「反省会」が開かれたが実質はつるし上げの場だった。へどもどで上司の中山が震えた声で報告書を読み上げる。
「……い、以上のような次第で車両後方からじゅ……銃撃をうけたので、急遽応援演説の会場を変更し、い……石田ゆりか候補の候補者演説の会場において……」
「いや、いいんだよ。報告書の丸読みは。時間の無駄だから。」
人好きのしそうな小太りの男が、その外見とは裏腹に冷然と言い放った。
「ここに書いていないことを訊きたい。『車両後方から銃撃をうけたので、急遽応援演説の会場を変更し、』と君は言っていたけど、誰が警護を続けると決断したの?」
「そ……それは……」
「はっきり言って、警護を続けようなんて選択ないよね。普通襲われたら翻意するように言うよね。これ、決断した人、ものすごーくバカだよね~。これ、君が決めたことなの?」
「と……とんでもないことでございます。部下の岩村が決めたことで……」
「お待ちください!私は銃撃されたから、思いとどまるように翻意を中山部長に促しました」
「いいえ。銃撃を受けたという報告をうけて、私は警護を中止するように言ったのですが、この岩村はアフガニスタン在留の経験が長くていい気になっていたのか、自分の警護の計画に得意になって、特に自動車を入れ替えるところなぞ自慢して吹聴していて、自分の計画がポシゃるのが嫌で功名心にかられたのか、強いて計画を実行したのです」
「君が決断したとは思えないんだよね。だって君が優秀なことは資料から明らかだから。それに中山君の頭が悪いことはちょっとしゃべって分かることだから。でも……」
「でも……?」
「中山君にいっても埒が開かないなら、もっと上役の僕とかに連絡してくれてもよかったはずでしょう?たしかに僕とか、中山君よりも上の方にいる役職の人間だと聞いてあげる時間はほとんどないけど、簡単に耳に入れてくれてもよかったんじゃないかなあ?そりゃあ中山君に対してよりは報告も簡素にならざるを得ないけど、何も報告しないのはマズい。中山君のけんもほろろな対応から、彼にこのことを握りつぶされるのは明々白々だったんだから、このことは直接僕たちの耳に入れなきゃいけないということは君がよ~く分かっていたはずだよ。」
「……」
パンパン(手を叩く音)「はい、喧嘩両成敗じゃないけどどっちもどっち~。岩村君にも責任の一端があるということで戒告にはなるからね」
クビにはならずに済んだのでそれはありがたかったが自分にも責任があることに岩村は釈然としないものを感じた。
国民中がグルーミーになった。なくなって初めてその大切さを思い知るように、あまロスならぬあべロスになった。「巨星墜つ」という心境だった。世界中から追悼の電文が届き、そのことがアベ氏が積み上げていた外交上の成果の大きさをよく示した。彼を批判する人はほとんどいなくなった。彼に政治的に反対する人ですら、彼の死をうけてのお悔やみのコメントを発表し、マイクを向けられると、彼の死を悼む弁を述べた。「正義の鉄槌だ」とか「身から出たサビ」と言う急進的な意見もみられないではなかったが、そういう声に対しては「この人非人」、「お前は日本人か」と批判の声が巻き起こり、そのような言論は封殺された。
葬儀会場にて。弔辞が読まれた。ツカッツカと靴の音をさせて、アソウタロウが前に出てきて読む。
「弔辞、今俺の心にはポッカリ穴が開いている。お前が俺に弔辞を読んでくれるとばっかし思っていたのが、俺がお前に弔辞を読むことになり、何故だ?という気持ちが拭えない。本当に人生何が起こるか分からない。
俺が思い出すのは子ども時代のころだ。あの頃は下らない、意味のないことをしゃべり合ったり、ジャンケンをして負けた方がランドセルや通学カバンを背負ったり色々としたな。そりゃあもう俺も六十過ぎのじじいだから年数的には大人になってからの人生の方がずっと長いけれど、大人になってからは二人でいても仕事のことばっかり話し合うだけで、下らないこと、意味のないことについてしゃべるということがない。だから尚更子ども時代の思い出が貴重なものに思われる。
俺は幸せ者だと思う。俺より立派な弔辞を読める人はゴマンといるだろう。でも俺が唯一勝っているのはお前という人間に早く出会って、唯一無二の親友になれたことである。だから子ども時代のお前に関する思い出を持っていてこうして自信を持って語れるのである。アベ、お前に出会えたことに感謝。
令和四年七月吉日
アソウタロウ」
普段はダミ声のポーカーフェイスを気取っているアソウが声音を変えて弔辞を読み上げている様はアソウが陥っている悲しみの深さを感じさせ、聴聞に訪れている人たちの涙を誘うものがあった。
プッチーニのオペラ曲、アベ・マリアが流れる中、花に埋もれて胸の前で両の手の平を組んで眠るようにしているアベ氏。とその時だった。閉じていた目をゆっくりと開けた。そして立ち上がった。彼は何事もなかったかのように参列者に語りかけた。
「みなさま、アベシンゾウです。わたくしはこの通り元気です」
ウワーっと歓呼の声が上がる。周囲からは「アーベ、アーベ」とシュプレヒコールが聞こえる。参列者はお数珠も落として感嘆のため息を漏らしつぶやくように言った。
「よみがえった……アベさまはイエス・キリスト同様神だったのよ……!」
先に彼を批判する人はほとんどいなくなったと述べた。人間が死ぬとその者が悪霊になって祟ることを恐れるという日本人特有の心理から反対派は一掃された。アベ氏がよみがえっても、もう反対派はいなかったので今更自分が批判しようと考える者はほとんどいなかったし、よみがえったアベ氏は神であると人々が考えたことからアベ氏は畏れ多い存在で、彼を批判すると神罰が下るとして、彼を攻撃しようという動きは益々でなかった。
死んだ人間がよみがえるということは有史以来あり得ない。あたりまえの話だが、実は病院側との工作で行われた芝居だった。アベ氏の傷は致命傷ではなく、病院側の人間と会話できる位だった。これを利して、アベ氏は病院の人間と通じて、冠動脈が傷ついたことにさせた。この計画は前もって決められたものではないが、車が銃撃を受けた時に襲われるのを千載一遇の好機と見て、アベ氏が卓越した頭脳でもって瞬時に頭の中で組み上げたスキームであった。このスキームはアベ氏本人と病院関係者以外知ることはなく、自民党にも警備会社にも知らされることもなかった。それは敵を欺くにはまず味方から、というアベ氏の深謀遠慮にほかならなかった。
すべてアベ氏の読みの通りだった。復活を通してアベ・シンゾウは単なる客寄せパンダではなく、崇拝されるべき神となった。この年の選挙は自民党の大勝で、単独過半数をとった。この成り行きにアベ氏は秘かにほくそ笑んでいた。
Fin
(この文章は全くのフィクションである。実在の人物・団体・事件とは何も関係がない。それに私の政治的信念とも関係がない。)