第3回 食べて、話して、ともに過ごして。スペイン家族との日常
文・写真 伊藤ひろみ
外国語学習に年齢制限はない!――そう意気込んで、国内でスペイン語学習に挑戦したものの、思うように前進しない日々が続いていた。そんな停滞に歯止めをかけるべく、現地で学んでみようとメキシコ・グアナフアトへと向かったのが2023年2月。約1か月間、ホームステイをしながら、スペイン語講座に通った(くわしくは、「もう一度、外国語にチャレンジ! スペイン語を学ぶ ~メキシコ編~」をご参照ください)。
1年後、再び短期留学を決意する。目指したのはスペインの古都トレドである。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
<第3回> 食べて、話して、ともに過ごして。スペイン家族との日常
2024年2月1日、スペイン・トレドのホームステイ先に無事到着した。乗換や待ち時間などを合わせると、約1日かけた移動である。仕事柄、旅をしたり、あちこち訪ねて取材をしたりするのに慣れているとはいえ、これだけの移動距離はそれなりに体にくる。部屋で荷物の整理をしつつ、ベッドに横たわって体を少し休めるつもりが、いつのまにか眠り込んでしまったようだ。
夕食は午後9時過ぎにスタート
マルタ(Marta)さんの呼びかけで目が覚めた。夕食ができたと声をかけてくれたのである。寝ぼけ眼のままダイニングへ。すでにテーブルに家族が集っていた。食事の前に、ひとしきり挨拶と自己紹介タイムとなる。
まずはマルタさんの夫から。彼はダビッと名乗った。音だけ聞くと一瞬?になるが、英語に直すとデイヴッド(David)さん。スペイン語でも同じつづりだが、語末のdは限りなく弱く発音される(もしくは発音されない)ため、ダビッと表記するのが原音に近い(第2回で紹介したMadridの発音と同様のルール。ここではダビッドと表記する)。
さらに、娘のエレーナ(Elena)さんが続く。20台半ばくらいだろうか。きれいに編み込んだドレッドヘアーでとってもおしゃれな雰囲気。彼女の早口のスペイン語についていけず、定番の自己紹介で早くももたつき始める。
最後にフアン(Juan)さんと握手を交わす。彼は1か月ほど前からマルタさん宅にホームステイしている大学生。スペイン語を学びに、アメリカ・インディアナからやってきたという。本名はジョンJohnなのだが、スペイン語式の名前にするとJuanになり、そう呼んでほしいとリクエストされた(以下、登場人物すべての敬称を略する)。
家族との時間は会話の時間
夕食が始まった。今日のメニューはブロッコリーとジャガイモのスープ、トルティージャ(スペイン風オムレツ)。それらに加え、パン、チーズ、サラミなどがテーブルに並んでいる。ダビッドとフアンは白ワイン、女性陣のグラスにはミネラルウォーターが注がれた。私はついさっきまで横になっていたせいもあり、大して食欲もなかったが、せっかく用意してくれた料理なので、ありがたくいただくことにする。
きつかったのは胃袋だけではない。ともにテーブルを囲む、それはすなわち、家族がコミュニケーションをとる場でもある。マルタファミリーは、もちろん全員スペイン語ネイティブ。居候のフアンはアメリカ人なので母語は英語なのだが、スペイン語だけでやりとりしている。私よりはるかにうまいし、彼らとの会話についていっている。すごい!
こちらは胃袋も頭も動きが鈍いのに反して、皆、よく食べ、よく話す。沈黙などまったくないと言っていいくらいだ。やりとりするタイミングも日本語とは異なり、返しも早い。私も会話に加わりたいのだが、スペイン語でどう言おうかと考えているうちに、話題がどんどん展開し、入るタイミングを逸してしまう。その結果、私にはひたすらリスニングのトレーニングタイムとなる。普段、夕食時に家族と日本語でこんなにしゃべってない。ましてや、スペイン語で流暢にやりとりできるわけがない。
時刻はすでに午後10時半をまわり、デザートタイムに入る。会話はまだまだ続いている。彼らの食欲、会話量と話すスピードに圧倒され続けた時間。もはや集中力が続かない。望んで飛び込んだ世界とはいえ、越えなくてはならないハードルは高かった。
マルタは兼業ホストマザー
翌朝、午前7時過ぎに目が覚めた。昨晩は夕食後、倒れるように寝てしまい、まさに爆睡状態。ぐっすり眠ったせいか、昨晩より頭もさえ、気分もよい。
キッチンではフアンが朝食の準備中。朝食は各自で準備することになっている。冷蔵庫にはチーズ、ハム、卵、ミルク、ヨーグルト、バターやジャム、フルーツなどが入っているので、どれでも好きなものを取って自由に食べていいとのこと。キッチンテーブルには胚芽ブレッドが置いてあり、好みの分量をトースターで焼く。コーヒー、紅茶などはストックから出して、自分で淹れる。それぞれの置き場所や使い方など、マルタに代わってフアンが教えてくれた。彼は卵を焼いたり、オートミールを準備したりしている。昨晩の夕食が遅かったため、私はパン1枚とコーヒー、ヨーグルトと軽めの朝食。フアンはこれから語学学校でスペイン語の授業があり、朝食をすませたあと、急いで学校へ向かった。
マルタがキッチンに顔を出したのは、午前8時を少しまわったころ。お互いの今日の予定を確認する。彼女は公務員として仕事をする傍ら、ホストマザーとして、留学生や外国人たちのお世話もしている。スマホアプリWhatsAppを交換し、お互いにコンタクトが取れるようにした。メッセージはもちろんスペイン語オンリーだが、連絡が取り合えるのは何かと心強い。マルタは急ぎ用件を済ませ、あわただしく家を出た。朝食は摂らなかった。
南の高台から見る町の眺めに魅せられて
語学学校の手続きをしたあと、午後はトレドの旧市街を歩き始めた。アルカサール(Alcazar)のすぐ横から出発する観光用の列車、Train visionに乗ってみることにした。トレドの旧市街を一周するというので、町全体の様子がわかるのではないかと思ったからだ。
北のビサグラ門(Puerta de Bisagra)を抜け、城壁の外へ出たあと、タホ川(Rio Tajo)沿いを時計回りに進んで行く。南の高台で観光列車が止まるやいなや、乗客たちは一斉にスマホを向けた。
ひときわ高く存在感を示すのがアルカサール、さらに大聖堂の鐘楼も見える。川沿いに家屋も並んでいる。タホ川は町を取り囲むように蛇行しながら、ゆっくりと流れている。
誰もがこの姿を何かに残したくなるだろう。エル・グレコならずとも、画家なら絵を描きたくなるに違いない。そんな才がないものにとっては、スマホで写真を撮ることくらいしかできないのだが。高層ビルもホテルもタワマンもない。店の看板や宣伝用の電光掲示板なども見当たらない。静かに町が存在する風景。その姿に見とれ、しばし時を忘れるほどだった。
[ライタープロフィール]
伊藤ひろみ
ライター・編集者。出版社での編集者勤務を経てフリーに。航空会社の機内誌、フリーペーパーなどに紀行文やエッセイを寄稿。主な著書に『マルタ 地中海楽園ガイド』(彩流社)、『釜山 今と昔を歩く旅』(新幹社)などがある。日本旅行作家協会会員。