スージー鈴木のロックンロールとしての日本文学 第6回

第6回 森鴎外『雁』と中島みゆき『時刻表』とすれ違いの美学

スージー鈴木

次なるは森鴎外『雁』に向かった。またまた新潮文庫。144ページと前回の『金閣寺』よりボリュームダウン。やはり、これくらいのサイズ感が私には合っているようだ。

文芸雑誌『スバル』にて、1911年9月から1913年5月にかけて連載された作品。この「ロックンロールとしての日本文学」で過去5回、取り上げた作品の発表年はこんな感じ。

1.芥川龍之介『羅生門』1915年

2.志賀直哉『城の崎にて』1917年

3.川端康成『伊豆の踊子』1926年

4.武者小路実篤『友情』1919年

5.三島由紀夫『金閣寺』1956年

というわけで、今回が一番古いということになる。しかし、意外にも実に読みやすかった。実は今回、当初は夏目漱石『草枕』を狙っていたのだが、込み入った文体が、ひどく読みにくくて挫折したのだ。

『草枕』の発表は1906年。夏目漱石と並び称せられる森鴎外だが、文章に対するスタンスが違うのか、5年間で、日本文学界に書き方革命が起きたのか。

とにかく今回は、前回苦労した『金閣寺』とは異なり、スイスイ読めた。森鴎外、グレイテスト。

ストーリーは一言でいうと「すれ違い」。そして「無縁坂」という舞台の地名が、すれ違いのセンチメンタリズムをもり立てる。

「第4回 武者小路実篤『友情』とオフコース『Yes-No』と恋愛至上主義」において、登場人物が「好きだ……でも言えない……モジモジウジウジ……」と、告白できずに時間ばかりが過ぎて、視聴者の方がモヤモヤウジウジしてしまうというトレンディドラマの定番ストーリーの原型が、すでに100年以上前に存在したことに驚いたと書いた。

しかし今回、すれ違いという、伝説のラジオドラマ『君の名は』(52年)含め、こちらも日本のドラマや映画で使いまくられたモチーフが、すでに110年以上前の『雁』に原型があったことに驚く。

エンタテインメントの本質というものは、こんなにも変わらないものなのだと、今さらにして知る。

ただ『雁』が面白いのは、単に「すれ違いました。ああ悲しいね、チャンチャン!」ではなく、「岡田」と「お玉」のすれ違いについて、「僕」が語るという設定を採用し、かつ、すれ違いの後、「僕」と「お玉」の間に、何かがあったことをラストで匂わせることで、複雑かつ多彩な読後感にしている点にある。

なるほど、すれ違いストーリーは、「すれ違っちゃった。チャンチャン」にしないで、最終的に、すれ違いを1つに結び付けて締めることが重要なのか。

ラストに出てくる池には寒水魚と雁がいた。

 

  • すれ違いを1つに結び付ける中島みゆき

さて、すれ違いで思い出すのは中島みゆきである。

彼女の歌詞には、複数の人物が別々の人生を歩むさまを、並列的に語っていくものが多い。その代表は『ファイト!』(83年)だろう。

1.仕事がもらえない中卒の「女の子」

2.ガキのくせにと頬をうたれた「少年たち」

3.駅の階段で突き飛ばされた子供を助けもせず逃げた「私」

4.周囲に反対されて上京できず、東京行きの切符を涙で濡らした「薄情もん」

5.力ずくで男の思うままにされて、男に生まれればよかったと思っている「あたし」

これらの、何とも閉塞した状況の登場人物たちは、一切交わることなく、歌は終わる。その意味で、彼(女)らは「すれ違う」のだが、ただ、登場人物たち(もしくはその次世代の)メタファーと思われる「小魚」が、突然登場することで、すれ違う登場人物が、1つの物語に結ばれる。

――♪ああ 小魚たちの群れきらきらと 海の中の国境を越えてゆく 諦めという名の鎖を 身をよじってほどいてゆく

「諦めという名の鎖を」「ほどいてゆく」というところで、登場人物たちが、閉塞から一気に解き放たれ「小魚たち」だけでなく、聴き手も一気に救われる。

そう、「中島みゆき流すれ違いソング」の頂点が、この『ファイト!』なのだ。

ただ今回は、『ファイト!』ほど有名ではないものの、個人的な好みでは『ファイト!』と並ぶ位置にある『時刻表』(82年)という曲をご紹介したい。こちらの登場人物は多い。少なくとも7人いる。

1.街頭インタビューに答える女

2.インタビューをする若い司会者

3.爪を見るポルノショーの看板持ち

4.昨日の午後9時30分に交差点を渡っていた酔っ払い

5.満員電車で汗をかいて肩をぶつけるサラリーマン

6.そのサラリーマンのため息を責める男

7.誰が悪いのかを言いあてる評論家やカウンセラー

そしてほとんど交わらず(1と2、5と6は少しだけ交わるが)、大都会の中で、本当にすれ違うだけ。

しかし、サビで突然、8人目が出てくるのだ。

――♪今夜じゅうに行ってこれる海はどこだろう 人の流れの中でそっと 時刻表を見上げる

大都会でくすぶってすれ違った7人。しかし漂う疲労感の中、みんな心の中で「海を見たい」と思っていたのだ。そして今すぐ、「今夜じゅうに行ってこれる海」を探していたのだ。

という、深層心理を具現化した8人目、そして8人目が見上げた「時刻表」によって、すべての物語はつながれて、1つの読後感に結ばれる。

エンタテインメントはこうでなければ。

『雁』の「僕」、『ファイト!』の「小魚」、『時刻表』の「時刻表」――エンタテインメントとは、すれ違った人々をそのまま分断させず、しっかりと丁寧につなぐことではないか。

さらにいえば、すれ違いをつなぐ、例えば「僕」「小魚」「時刻表」を発見することこそが、エンタテインメントであり、アートなのではないか。

結果、私は、41年前の「小魚」と、42年前の「時刻表」と、そして111年前の「僕」と結ばれることとなった。

[ライタープロフィール]

スージー鈴木(すーじーすずき)

音楽評論家、小説家、ラジオDJ。1966年11月26日、大阪府東大阪市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。音楽評論家として、昭和歌謡から最新ヒット曲までを「プロ・リスナー」的に評論。著書・ウェブ等連載・テレビ・ラジオレギュラー出演多数。

著書…『大人のブルーハーツ』(廣済堂出版)、『サブカルサラリーマンになろう』(東京ニュース通信社)、『〈きゅんメロ〉の法則 日本人が好きすぎる、あのコード進行に乗せて』(リットーミュージック)、『弱い者らが夕暮れて、さらに弱い者たたきよる』(ブックマン社)、『中森明菜の音楽1982-1991』(辰巳出版)、『幸福な退職 「その日」に向けた気持ちいい仕事術』『サザンオールスターズ 1978-1985』『桑田佳祐論』(いずれも新潮新書)、『EPICソニーとその時代』(集英社新書)、『EPICソニーとその時代』(集英社新書)、『平成Jポップと令和歌謡』『80年代音楽解体新書』『1979年の歌謡曲』(いずれも彩流社)、『恋するラジオ』『チェッカーズの音楽とその時代』(いずれもブックマン社)、『ザ・カセットテープ・ミュージックの本』(マキタスポーツとの共著、リットーミュージック)、『イントロの法則80’s』(文藝春秋)、『カセットテープ少年時代』(KADOKAWA)、『1984年の歌謡曲』(イースト新書)など多数。

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