第17回 宮沢賢治『注文の多い料理店』とはっぴいえんど『風をあつめて』
スージー鈴木
今回は、宮沢賢治の童話短編集『注文の多い料理店』を取り上げる。1924年の作品。一般的には、音楽のアルバムでいうタイトルチューン、短編集の中にある同名のショートストーリーが有名だろう。しかし私は例えば、短編集の中にある『狼森と笊森、盗森(おいのもりとざるもり、ぬすともり)』のこのような書き出しに感じ入ったのだ。
――小岩井農場の北に、黒い松の森が四つあります。いちばん南が狼森で、その次が笊森、次は黒坂森、北のはづれは盗森です。この森がいつごろどうしてできたのか、どうしてこんな奇体な名前がついたのか、それをいちばんはじめから、すつかり知つてゐるものは、おれ一人だと黒坂森のまんなかの巨な巌が、ある日、威張つてこのおはなしをわたくしに聞かせました。
ポイントは、舞台が空想空間ではなく、実在空間だということにある。短編集『注文の多い料理店』の正式名称は「イーハトヴ童話 注文の多い料理店」。イーハトヴ(イーハトーブ)とは、宮沢賢治による造語で、理想郷を指す言葉であり、彼の出身地である岩手県をモチーフとしていることが知られている。
私の買った新潮文庫版では、丁寧な註釈が載っていて、「小岩井農場」「狼森」「笊森」「黒坂森」「盗森」の実際の地理的位置や標高が具体的に記されている。
――狼森:「森」とは樹木におおわれた「盛り上がり」つまり丘や山をいう。 「狼森」は小岩井農場北部のアカマツの密生した丘で、標高三七九m。
私が感じ入ったのは、そのような日本の実在の場所を舞台としながら、現実的にも貧乏くさくもならず、ひたすらドリーミィでイマジナティブな童話世界が描かれている点にだ。
明治維新以降の「脱亜入欧」との関係か、文学でも音楽でも、ドリーミィでイマジナティブな世界観を描くとすると、「森と泉にかこまれて 静かに眠るブルー・シャトウ」的に、「ニセ西洋風世界」「無国籍世界」が舞台になってしまうにもかかわらず。
逆に、日本に実在する場所を舞台とすると、とたんに現実的かつ貧乏くさくなって、特に、子供にドリームとイマジネーションを与えるべき童話には、不似合いになってしまうにもかかわらず。
ちょっと待てよ。日本の実在場所は、ドリーミィかつイマジナティブに描けないというのは、単なる固定観念かもしれない。やればできるのかも。私にだって、生まれ故郷の東大阪を舞台とした童話だって書けるのかも。「生駒山の西に黒い川が二つあります。恩智川と第二寝屋川……」――いやいや……こりゃ無理だわ。
ドリーミィでイマジナティブな「イーハトヴ」が成立するのは、もちろん(当時の)岩手の素晴らしい自然があってこそだが、それを、そっくりそのまま写実するのではなく、ドリーミィでイマジナティブな世界に転換する、宮沢賢治の発想力と筆力によるところが、とても大きいはずなのだ。

イーハトヴmeets風街。ジャケット左上が松本隆
- 「イーハトヴ」と「風街」の関係
ここで考えるのは、なぜ松本隆の描く東京は、実在空間でありながら、あれほどまでに詩的なのだろうということだ。
実在空間の東京。ここでは、貧しい女が男にふられてヨヨヨと泣き崩れて痛飲する酒場(新宿)でもなく、田舎から出てきた男が、孤独に追い詰められるコンクリートジャングル(丸の内)でもなく、そんな極端かつ類型的な東京ではなく、もっと普通で平熱で、つまりは「実在性」の高い都市風景を指している。
そんな松本隆による実在空間東京表現の究極は、やっぱりあの曲だろう。
――街のはずれの 背のびした路次を 散歩してたら 汚点(しみ)だらけの 靄ごしに 起きぬけの露面電車が 海を渡るのが 見えたんです
はっぴいえんど『風をあつめて』(71年)を初めて聴いたときの衝撃は忘れられない。リリースから15年後、1986年に上京してすぐに聴いたのだが、圧倒的な言葉の密度・粒度もさることながら、いちばん震えたのは「自分が今、生きているこの東京という実在空間が、あまりにも詩的に表現されていること」だった。
そして、故郷を振り返り、「近鉄電車が第二寝屋川を渡るのが見えたんや」などと考え始め、いやいや……こりゃ無理だと諦めたのだが。
目の前にある東京の風景を、ドリーミィかつイマジナティブに描き切る松本隆の発想力と筆力。これこそがはっぴいえんどの傑作アルバム『風街ろまん』の持つ最大の魅力の1つではなかろうか。
余談だが、最近蔓延している、『風街ろまん』をまるごと神棚に奉るような「はっぴいえんど中心史観」は好きではない。しかし、だからこそ、『風街ろまん』の要素を細かく因数分解して、魅力を解析しなければならないとも思っている。その流れで今回は「実在空間東京を詩的空間に昇華した松本隆の功績」について考えている。
思えば、東京のメタファーとしての彼の造語「風街」は、宮沢賢治の「イーハトヴ」だったのではないか。つまりは実在空間東京を詩的空間に昇華させる装置。何といっても、少年時代の松本隆は宮沢賢治フリークだったのだから。
最後に言いたいことは、東京以外の、日本にあるすべての実在空間は、詩的空間に転換されるのを待ち望んでいるかもしれないということだ。だって東京だけが、松本隆に「風街」とか呼ばれて、たくさん詩的に描かれているのってズルいじゃないか。苫小牧も蒲郡も滑川も大歩危小歩危も、そして東大阪も、ポップス、ロック、Jポップでもっと歌われればいい。もっと歌われなければいけないと思う。
よし、先頭切って私から。東大阪は、街に漂う工場油の匂いから「油街ろまん」でどうだ。いやいや……こりゃ無理……か? いや、書かねばならないのだ。いつか本気で書いてやる。
[ライタープロフィール]
スージー鈴木(すーじーすずき)
音楽評論家、小説家、ラジオDJ。1966年11月26日、大阪府東大阪市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。音楽評論家として、昭和歌謡から最新ヒット曲までを「プロ・リスナー」的に評論。著書・ウェブ等連載・テレビ・ラジオレギュラー出演多数。
著書…『沢田研二の音楽を聴く1980-1985』(日刊現代)、『大人のブルーハーツ』(廣済堂出版)、『サブカルサラリーマンになろう』(東京ニュース通信社)、『〈きゅんメロ〉の法則 日本人が好きすぎる、あのコード進行に乗せて』(リットーミュージック)、『弱い者らが夕暮れて、さらに弱い者たたきよる』(ブックマン社)、『中森明菜の音楽1982-1991』(辰巳出版)、『幸福な退職 「その日」に向けた気持ちいい仕事術』『サザンオールスターズ 1978-1985』『桑田佳祐論』(いずれも新潮新書)、『EPICソニーとその時代』(集英社新書)、『EPICソニーとその時代』(集英社新書)、『平成Jポップと令和歌謡』『80年代音楽解体新書』『1979年の歌謡曲』(いずれも彩流社)、『恋するラジオ』『チェッカーズの音楽とその時代』(いずれもブックマン社)、『ザ・カセットテープ・ミュージックの本』(マキタスポーツとの共著、リットーミュージック)、『イントロの法則80’s』(文藝春秋)、『カセットテープ少年時代』(KADOKAWA)、『1984年の歌謡曲』(イースト新書)など多数。