第1回 芥川龍之介『羅生門』とブルーハーツ
スージー鈴木
- 新装開店!日本文学はロックンロールだ
新装開店。「ロックンロール・サラリーマンのススメ」から「ロックンロールとしての日本文学」へ。サラリーマンから文学への大転換。
スージー鈴木こと私、最近は小説も書かせていただき、由緒ある「日本文藝家協会」(理事長:林真理子)にも入れていただいているのに、私自身、小説を読まない。
特に日本の名作文学なんて、生まれてこの方、ほとんど読んだことがない。大学受験の頃、不得意だった国語の勉強にちょっと役立つかもという、よこしまな思いで、何冊か読んだくらい。
もちろん、そんな読書は身にならず、内容もまったく憶えていない。憶えているのは、田山花袋『蒲団』のエンディングくらい。18歳の私は「あーあ」と思ったものだ。
でも、いや、だからこそ、日本の名作文学を今読み直したら、もしかしたら、めっちゃ面白いのではないか。大人になったのだから、ガキンチョだった当時には分からなかった面白みが迫ってくるのではないか、と期待するのだ。
「ロックンロールとしての日本文学」は、毎回(毎月)、誰もが知る超有名名作文学を1つ選んで、まずは虚心坦懐にじっくりと読んで、そして、通り一遍の解説ではなく(そんなのネットを探ると山ほどある)、私お得意(?)のロックンロールの世界に、無理矢理にでも引っ張り込んだ独自の批評をしてみたいと思っている。
20冊くらい読んだら、今後また書くかもしれない自分の小説に生きてくるだろう、などと思いつつ。あ、これもちょっとよこしまか。
日本名作文学だから、文庫本にもなっているので、町の書店で容易に手に入る。このご時世、できるだけ書店で買おうと思う。それどころか、対象作品を何にするかも、書店での直感で決めようと思っている。
今回は、ベルーナドームでの野球観戦の前に、「リブロ花小金井店」(東京都小平市)という書店で買った、芥川龍之介『羅生門・鼻』(新潮文庫版)。ロックンロール批評するお目当てはもちろん『羅生門』。
理由は、まず背表紙の著者名の上にある記号が「あ-1」だから。いかにも第一歩という感じでよいではないか。そして……薄かったから。この文庫本、8つの短編集になっていて、『羅生門』自体は文庫本の中で8~18ページ、たった11ページなのだから。
さぁ、57歳、11ページの大冒険。
- 平安時代から令和へと続く「弱者の連鎖」
内容は……ひどく、あっけなかったというのが、第一印象。特に盛り上がりもなく、淡々とした内容。なぜこれが名作になっているのか、正直分かりません。
舞台は平安時代、すさみきった京都にある羅生門。すさんだ世情を反映して、羅生門の上には死体がゴロゴロしている。ひどい時代だ。
登場人物はたった2人。
・主からクビだといわれ失業、いっそ盗人になろうとしている下人(1)
・羅生門の上で、女の死体から髪を抜き、かつらを作ろうとしている老婆(2)
そして羅生門の上で、下人が老婆から着物を奪う。たったそれだけの内容。とてもシンプル。
元は『今昔物語集』にあった物語で、それを芥川龍之介がカバー、いやオマージュした作品らしい。だから、ロックンロールでいえば、一種のオールディーズということになる。2分ぐらいで終わるオールディーズのロックンロールのように、シンプルなのも当然かもしれない。
思い出したのは、ブルーハーツの『TRAIN-TRIN』(88年)である。特に、「♪弱い者達が夕暮れ さらに弱い者をたたく」というフレーズ。
ちなみにこのフレーズは私の小説『弱い者たちが夕暮れて、さらに弱い者たたきよる』(ブックマン社)の元になっている。つまり、ここで光栄なことに、芥川龍之介、真島昌利(ブルーハーツのメンバー、『TRAIN-TRAIN』の作詞作曲)、スージー鈴木がつながった――と、こんなことを書いても許されるだろう。だって私は、日本文藝家協会の会員なのだから。
『TRAIN-TRIN』的視点に立つと、3人目の登場人物が現れる。
・死人となって髪を抜かれる女(3)
下人(1)は老婆(2)の身ぐるみを剥ぎ、老婆(2)は死人(3)の髪を抜いた――つまり、下人(1)は老婆(2)をたたき、老婆(2)は死人(3)をたたいた。
と見ると、テーマは、憎悪の連鎖、そして「弱者の連鎖」だったのではないか。
私の『弱い者たちが夕暮れて、さらに弱い者たたきよる』というタイトルに込めたのは、(強者の犬笛で)弱者がいきり立って、さらなる弱者をバッシングするという、今の世情を疎んじる気持ちからなのだが、加えて真島昌利が、1988年=36年も前に、令和日本をすでに予測していたのではないかと思って驚いたことも背景にある。
ということは芥川龍之介も、1915年=109年前に、今をすでに予測していたのか。いや、むしろ、平安から令和に至るまで、その時代その時代における「弱者の連鎖」に気付くことこそが、一流クリエイターのセンスなのではないか。
花小金井という町は、真島昌利が育ったところに程近いようだ。彼には『花小金井ブレイクダウン』(89年)という曲もある。真島昌利の町で芥川龍之介に出会ったのも、何かの縁なのかもしれない。
そして私は、令和の羅生門を見上げる。
[ライタープロフィール]
スージー鈴木(すーじーすずき)
音楽評論家、小説家、ラジオDJ。1966年11月26日、大阪府東大阪市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。音楽評論家として、昭和歌謡から最新ヒット曲までを「プロ・リスナー」的に評論。著書・ウェブ等連載・テレビ・ラジオレギュラー出演多数。
著書…『サブカルサラリーマンになろう』(東京ニュース通信社)、『〈きゅんメロ〉の法則 日本人が好きすぎる、あのコード進行に乗せて』(リットーミュージック)、『弱い者らが夕暮れて、さらに弱い者たたきよる』(ブックマン社)、『中森明菜の音楽1982-1991』(辰巳出版)、『幸福な退職 「その日」に向けた気持ちいい仕事術』『サザンオールスターズ 1978-1985』『桑田佳祐論』(いずれも新潮新書)、『EPICソニーとその時代』(集英社新書)、『EPICソニーとその時代』(集英社新書)、『平成Jポップと令和歌謡』『80年代音楽解体新書』『1979年の歌謡曲』(いずれも彩流社)、『恋するラジオ』『チェッカーズの音楽とその時代』(いずれもブックマン社)、『ザ・カセットテープ・ミュージックの本』(マキタスポーツとの共著、リットーミュージック)、『イントロの法則80’s』(文藝春秋)、『カセットテープ少年時代』(KADOKAWA)、『1984年の歌謡曲』(イースト新書)など多数。