赤毛のアンのお茶会 第4回

2020年5月15日

第4回 アンと「家」について考える

南野モリコ

アンと出会って「男になった」マシュー。

『赤毛のアン』がきっかけで欧米のおもてなしのカルチャーに目覚めた筆者が、お茶とお茶会の場面から『アン』を深読みするコラム第4回です。「ふーん、こんな読み方もあるのね。リモートお茶会やりたい」と言いながら、気楽にお読み頂けると嬉しいです。

さて、新型コロナウイルス感染拡大予防のため外出自粛を余儀なくされて1ヶ月が過ぎました。「ステイホーム」が世界共通のスローガンになり、ゴールデンウィークが「ステイホーム週間」に塗り替えられました。連休と言っても家で紅茶を飲むか本を読む以外に予定がない筆者にとっても、「外出できない」となると不自由さを感じます。インドア派を自称している人であっても、これほど「家にいること」と向き合うのは初めてではないでしょうか。

家にいなくてはいけない息苦しさは、家はステイする場所ではなく、「帰ってくる」場所であることを思い出させてくれました。家の中でできることは意外とありません。家族全員が家にいるのですから、1人で泣くことさえできません。

小倉千賀子著『「赤毛のアン」の秘密』岩波書店、2004年

『赤毛のアン』は、孤児のアンがマリラとマシュー兄妹に引き取られ家族になるだけでなく、グリーン・ゲイブルズという「家」を手に入れていく物語です。Anne of Green Gables(グリーン・ゲイブルズのアン)というタイトルだけで、孤児の少女が「男の子と間違って」カスバート家に引き取られ、家族になっていく物語だろうと10人中9人は予想すると思います。

『赤毛のアン』が他の孤児文学と異なるのは、アンが家族を手に入れるだけでなく、やがてグリーン・ゲイブルズを相続していくだろうと予感させて終わるという点だと思います。この孤児文学としては画期的なハッピーエンドにはマシューの存在が深く関係しています。

マシューと言えば、どんな時もアンを優しく見守ることで読者に愛されています。アンがクイーン学院でエイブリー奨学金を勝ち取った時の「わしは1ダースの男の子よりもアンの方がいいよ。わしの娘だ・・・・・・わしの自慢の娘だよ」は少女文学史に燦然と輝く名セリフです。

アンのポテンシャルに最初に気付いたのもマシューです。しかし、マシューは、女性とは口も聞けないような内気な性格のはず。若い女の子は皆、自分のことを笑っていると思い込むような自己肯定感の低いマシューがアンに心を開いたのはなぜなのでしょうか。

ブライトリバー駅から馬車でグリーン・ゲイブルズに向かう道中でアンの明るさ、聡明さに魅了されたのはもちろんのこと。アヴォンリーのほかの女の子のようにマシューをこわごわと見るという失礼な態度を取らなかったことも理由のひとつでしょう。しかし、筆者としては、マシューがアンに心の扉を開いたのは、アンが「守ってあげたい」少女だったからと考えます。

男の子を迎えに来たマシューの前に現れたアンは、窮屈でみっともない黄ばんだ灰色の交ぜ織り地の洋服に、色褪せた茶色のセーラー帽といういでたちでした。マシューが荷物を持とうとすると、「この鞄はうまく持たないと取っ手が壊れる」。そのくらい粗末な鞄だということなのです。つまり、アンは見るからに貧しい身なりをした、みすぼらしい少女だったのです。口数が少ないマシューは言葉にはしていませんが、「可哀そうな女の子」と思ったに違いありません。

馬車でドライブをしながらマシューの隣で弾丸のようにしゃべりまくるアンは一見、楽し気に見えて、孤児である生い立ちを嘆いたり、赤毛を忌み嫌ったりと自虐的です。自分に自信のないマシューは、そんなアンが同類のように見えたのではないでしょうか。もっと言えば「この子だったら自分が守ってあげられる」と思ったのではないでしょうか

『赤毛のアン』のジェンダー論においてマシューのことを「無性」と考察する研究者も多いですが、マシューはアンと出会ったことで「男になった」と筆者は考えます。ま、単なる深読みですけどね。

アンは「ステイホーム」ではなく「アウェイホーム」

今回は「ステイホーム」という急上昇ワードにちなみ、アンと家について長々と書いています。アンは孤児でありながら血縁関係と同等に強い絆で結ばれた「家族」を手に入れ、かつ家を相続することまで期待される結末を迎えた、孤児文学の勝ち組ヒロインであることは先にも述べました。

しかし、アンは「自分の居場所」である家を求めてはいても、家にこもっている少女ではありません。地域のコミュニティのイベントにも参加するし、ダイアナに誘われて都会にも行きます。クイーン学院卒業後は、大学に進学しようとする野心もありました。

湊かなえさんの人気小説で映画にもなった『しらゆき姫殺人事件』は、引きこもりの主人公が『赤毛のアン』を愛読書としていることから、そのような解釈もあるのかと面白く思いました。しかし、『アン』を自分の世界に閉じこもっている中二病の少女の物語というイメージを持ったとしたら大変な勘違いです。

アンはむしろ外の世界に関心が強いのです。ステイホームではなく「アウェイホーム」。アンにとって家とは閉じこもる場所ではなく「帰ってくる場所=ホーム」なのです。

話をマシューに戻します。アンはマシューに気に入られたことでグリーン・ゲイブルズの「家族」となります。そして、アンの孤児としてのサクセス・ストーリーである「家」を相続し、「家長」となることを予感させる結末はマシューの死によって成り立ちます。

菱田信彦著『快読「赤毛のアン」』彩流社、2014年

『赤毛のアン』第37章で、アンがエイブリー奨学金を勝ち取った喜びを報告した直後、マシューは急死してしまいます。マシューが倒れた時、アビー銀行倒産を報じる新聞を手にしていました。カスバート家は父の代から全財産をアビー銀行に預けていたのです。モンゴメリはマシューの死をなんともユーモラスに数行で片づけてしまいますが、ここから物語は作者により巧妙に仕込まれた本題、「孤児アンのグリーン・ゲイブルズ相続」へと急展開していきます。

小倉千加子著『「赤毛のアン」の秘密』(岩波書店、2004年)では、マシューの死を「アンを結婚という『終着駅』に辿りつかせるためにのみ存在する」としています。しかし、筆者としてはマシューの死はアンがグリーン・ゲイブルズを相続し、当時の女性にはありえない勝利を手にするための足がかりだったと深読みします。

『赤毛のアン』が出版された1908年には「限嗣相続制」という制度があり、家はその持ち主の男性の親族しか相続できませんでした。ドラマ『ダウントンアビー』でもこの制度は出てきます。モンゴメリ自身も限嗣相続制のため、家を相続できませんでした。両親を早く亡くしたモンゴメリは、祖父母の死後、プリンス・エドワード島の住み慣れた家を出て行くことになったのです。

育った家を失ったモンゴメリは、アンにグリーン・ゲイブルズを相続し、家長になることを予感させ、自分の夢を託したのだと思うのです。「男の子と間違って送られてきた」という設定は、男の子でもなく親族でもないアンが家を相続するという勝利への伏線なのです。アンが家長となるためにはマシューは死ぬしかありませんでした。

アンが大学進学を諦めたことで『赤毛のアン』を女性を家に縛りつける保守的な自己犠牲の物語という人もいます。しかし、家を相続し、当時の女性にとっては花形である教師という職業があり、将来有望な彼氏もいる。大学進学は見送ったけど、いつでも入学する権利はあるのです。孤児だったアンにとってこれほどのサクセスストーリーはないでしょう。今回も長々と深読みしてみました。

参考文献

モンゴメリ著、松本侑子訳『赤毛のアン』集英社、2000年

[ライタープロフィール]

南野モリコ

映画配給会社宣伝部勤務を経てライターに。大学時代、イギリスに遊学したことをきっかけに紅茶の魅力に開眼。リプトン・ブルックボンド・ティースクールで学ぶ他、『不思議の国のアリス』『赤毛のアン』他、英米文学作品に描かれる「お茶の時間」を研究する。紅茶、日本茶はじめ世界のお茶を愛し、これまで飲んだお茶は1000種類以上。ツイッター:「モンゴメリ『赤毛のアン』が好き!」
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