第28回 マリラはいつアンの「母」となったのか?
南野モリコ
心の同類の皆さま、そうでもない皆さま、今月も拙コラムにようこそいらっしゃいませ。5月第2日曜日は「母の日」でもあるので、アン作品における「母」について深読みしてみました。「ふーん、へえ、そんな考えもあるのね。メイフラワーの花束、欲しい」とつぶやきながら、お気楽におつきあいください。

『はじめての赤毛のアン アイスクリームのピクニック』(講談社、2021年)
マリラは、読者の想いを受け止める「母」。
筆者モリコの個人のTwitter(モンゴメリ『赤毛のアン』が好き!ID @names_stories)では、読者の皆さんと、アン作品を中心としたモンゴメリその他、文学作品の感想や作品を通しての体験などの情報交換をし合ってしています。
そこで気が付くのは、アンのファンは、子ども時代にシリーズ本やアニメにハマるだけではなく、大人になってから再び、アンと再会している人がとても多いということです。それも、一度読んで終わるのではなく、それをきっかけにアンの世界から抜け出せなくなる人の多いこと多いこと。まさに沼です。アヴォンリー村のアン沼と名付けましょうかね。
読者にとってアン作品は、故郷のようなものでしょうか。
読者がアン作品と出会い直しをするのは、子ども時代にはアンの物語だと思っていたのが、いつの間にか「マリラの物語」になっているからでしょうね。
マリラは、結婚しないで年を取り、いつまでも実家で暮らしている、少し古い言葉で言えば「女の負け犬」です。酒井順子氏の言う「30代以上、未婚、子なし」の女の負け犬マリラの物語だから、青春時代の夢が叶わなかった大人がふらっと帰ってきて、そのまま居ついてしまうような敷居の低さがあります。
さて、子育てを知らないマリラ。リンド夫人の心配をよそにアンを引き取り養母となりますが、アンの母になったのはいつでしょうか? 家庭を知らないアンがマリラの前で「子ども」になり、マリラが「母」になった瞬間です。
第13章で日曜学校のピクニックに行くことになったアンは、ピクニックがどんなに楽しいものか、目をきらきらさせてマリラに話します。何しろ、この日のピクニックでは生まれて初めてアイスクリームを食べられるとあって、アンは興奮を抑えきれません。
しかし、その後アンは口ごもり、「ピクニックには、バスケットにお弁当を詰めて持っていかなくてはいけない」ことを気まずそうに伝えます。
もちろんマリラは、他の子どもと同じようにバスケットにお弁当とお菓子を詰めてくれると約束します。アンは喜びのあまり、マリラに熱烈なキスをします。
このキスこそ、アンとマリラが「母と子」になった瞬間だったのではないかと筆者モリコは深読みしました。
生まれてすぐ両親を亡くし、トーマス家、ハモンド家では子守りとして雇われているだけで、愛情をもって大人に養われたことがなかったアンは、労働ではないレジャーのためにお弁当を作ってもらったことがなかったと思うんです。しかも、マリラは家事に農作業に忙しいのですからね。
この時アンは、マリラには子どもらしく「甘える」ことができると確信したのだと思います。熱烈なキスをしたのは、その喜びが言葉を超えたからからでしょうね。まあ、単なる深読みですけどね。
マリラは母になりたかった?
小泉今日子主演の映画『マザーウォーター』(監督:松本加奈、配給:スールキートス、2010年)に「全ての女性は母である」というコピーがありました。女性は全て母──。この一言に救われた女性も多かったのではないかと想像します。筆者モリコもその一人だからです。
美しいものが好きなアンに「可愛いドレスは虚栄心を増長させるだけ」と言い、おしゃれを敵でもあるかのようにパフスリーブのドレスを却下するマリラ。ロマンスとはまるで無縁のように見えますが、若い頃、ギルバート・ブライスの父、ジョンと恋人同士であったことが分かります。
些細な喧嘩が原因で別れてしまいマリラは独身のまま年を取りますが、結婚をしなかったということは、別れた恋人を忘れられず、ずっと愛していたからだろうと、深読みしなくても分かりますよね。
松本侑子訳『赤毛のアン』(文藝春秋、2019年)「訳者によるノート──『赤毛のアン』の謎とき」によると、マリラ(Marilla)という名前は聖母マリアの変形です。つまり、マリラは「母」なのです。
女性は皆、母から生まれてきます。しかし自分がなろうとすると、意外と難しいこともあります。
マリラが何歳の時に母親を亡くしたかは分かりませんが、アヴォンリーという村で、グリーン・ゲイブルズの女家長として女性の集まりに出た時、自分に子どもがいないことでどれほどの孤独感があったか知れません。
ジョンと喧嘩した時、素直に謝っていたら、今頃自分も母になっていたかもしれない。
マリラという名前の意味は母。マリラはずっと母になりたかったのです。
アンがカスバート家に引き取られることになった時、乞い願っていたものがようやく手に入った幸福感があったに違いありません。それを素直に認めるまでに時間がかかっただけでね。ま、単なる深読みですけどね。
参考文献
モンゴメリ著、松本侑子訳『赤毛のアン』(文藝春秋、2019年)
[ライタープロフィール]
南野モリコ
『赤毛のアン』研究家。慶應義塾大学文学部卒業(通信課程)。映画配給会社、広報職を経て執筆活動に。