2020年6月15日
第5回 なぜギルバートはアンを愛したのか?
南野モリコ
『赤毛のアン』を輝かせるギルバートという少年。
『赤毛のアン』がきっかけで欧米のおもてなしカルチャーに目覚め、英米文学に出てくるお茶とお菓子の場面に異様な執着を示す筆者が、お茶会の場面から『アン』を深読みする本コラムも第5回となりました。お茶といえばCMでおなじみの「午後の紅茶」などペットボトルをコンビニで買って飲むのが主流となっていたのが、コロナ禍で家にいる時間が長くなったため、ポットや急須でお茶を淹れる人が増えていると聞きました。自称・ティータイム向上委員の南野モリコとしては、思いがけない茶葉回帰に小躍りしています。「ふーん、こんな読み方もあるのね。YouTubeでも見よ」と言いながら、気楽にお読み頂けると嬉しいです。
さて、『赤毛のアン』の深読みを趣味としている筆者。現在は、シリーズ全作品の登場人物を数えるという気の遠くなるような作業をしています。アンが住むアヴォンリーは「村」ですが、マリラ、マシュー、ダイアナらメインの登場人物の他、アヴォンリー小学校のあまり仲良くない友達などに加え、会話の中に名前しか出てこない人物が登場します。しかも、その名前だけの登場人物が相当いるのです。
例えば、カーモディのブレアさんです。マシューがいつも農機具を買う店の店主ですが、それほど重要でないように見えて、続編に彼か親族かと思われる人物が出てきたり。モンゴメリが描きたかったのは、アンという少女の成長物語ではなく、故郷プリンス・エドワード島をモデルとしたアヴォンリー・ワールドだったのかもしれませんね。
そんな『赤毛のアン』の登場人物は少なくとも173人、そのうち会話の中に名前だけ出てくるキャラが80人数えられました。これだけの人々がアンという少女に少なからず関わっているのです。本コラム第2回『アンのお茶会は誰のため?』でも書きましたが、アンは11歳の子どもでありながら、アヴォンリーの村社会にしっかり根を下ろしているんですね。我ながら暇なことをしていますが、何かの役に立つかもしれません。
モンゴメリ著、松本侑子訳『アンの愛情』文藝春秋、2019年
『赤毛のアン』は、孤児のアンがマリラとマシュー兄妹に引き取られ、家族を手にいれるだけでなく、未来の家族にも恵まれること、つまりギルバート・ブライスとの結婚を予感させて終わります。
ギルバート・ブライスといえば、ご存じのようにアンを「にんじん」と呼んでからかったことで怒りを買い、石板で頭を殴られ、石板は真っ二つ。それ以来、アンはギルを嫌い、勉強のライバルとして張り合いながら、「この後、2人は結婚するんだろうな」と予感させるハッピーエンドを迎えるのですが、ストーリー前半のハイライトとなる石板真っ二つ事件こそ、『赤毛のアン』全てを輝かせていると筆者は考えます。
『赤毛のアン』読者の女性は、ほぼ全員がギルバート・ブライスに恋しています。自分もいつかアンとギルみたいな出会いがある。そんな夢を見て少女時代を過ごしたのではないでしょうか。しかし、そんな「彼氏にしたい小説の主人公」ナンバーワンのギルバートですが、『アン』本編を読んでみると、ギルバートに関する描写はあまりありません。
初登場する第15章でギルバートについて「ものすごいハンサムで、女の子をからかって散々な目に遭わせる」ことや、お父さんの病気のせいで3年間、学校に通えなかったから14歳だけど11歳のアンたちと同じ教科書で勉強していることがダイアナの口から語られます。
また、授業中、ルビー・ギリスの髪にいたずらしている様子が描かれています。ギルバートについての詳しい描写はこの2ヵ所だけですが、学校に一人はいる、イケメンで勉強ができて調子に乗っている、小学生女子の好きなタイプど真ん中の少年だということが、これだけで十分、分かりますよね。
また、お父さんが病気だったため、3年間学校に行けなかったことから、服のセンスに定評のあるダイアナと比べると経済的に恵まれていないことが分かります。新学期が始まっているのに「いとこのところに行っていた」ので学校に来られなかったのも訳ありな感じがします。ハンサムで自信満々なのは表向きで、実は家庭に事情がある。読者のハートを射止める条件は十分です。
アンはギルを「無視している」と言っていますが、これは「愛している」の裏返しであり、読者は意地っ張りなアンがラストには素直になるに違いないと期待しながら最後まで読むことになります。少女マンガでもドラマでも、「彼は私のことを好き? 嫌い?」と悶々とする、恋が始まるまでが見どころになりますよね。『赤毛のアン』の半分が恋愛未満のおいしい時期にあたるのです。
さらにモンゴメリはギルバートに関する情報をほとんど書いていません。読者はギルに自分の理想を重ねながら読むことになり、王子様を想像してうっとりできるのです。私たち読者はモンゴメリのテクニックに気持ちよく嵌められたんですね。ま、単なる深読みですけどね。
アンの本当の「腹心の友」はギルバート?
さて、本コラムでは、『赤毛のアン』とお茶会の関係について延々と語っています。『赤毛のアン』をはじめとした英米文学に出てくるお茶とお菓子の場面から欧米のライフスタイルに興味を持つ人は多いと思いますが、物語のお茶会の場面が豊かな読書体験として記憶に残るのは、その向こうに文化や社会が感じ取れるからではないかと考えます。
ChaTea紅茶教室著『図説 ヴィクトリア朝の暮らし ビートン夫人に学ぶ英国流ライフスタイル』(河出書房新社、2015年)
冒頭に書いた通り、アヴォンリー村は美しい自然に囲まれた豊かな村ですが、地域社会には173人以上の人口が住んでいます。しかも、そのうちの80人ほどが会話に登場するだけの人物です。ということは、コミュニティーの繋がりがかなり強いことが想像できます。
この背景には、イギリスを中心とした「家庭招待会」という習慣があります。ヴィクトリア時代、イギリス、カナダ、アメリカには、近隣の家々を定期的に訪問することが近所付き合いの常識としてあったようなのです。
ChaTea紅茶教室著『図説 ヴィクトリア朝の暮らし ビートン夫人に学ぶ英国流ライフスタイル』(河出書房新社、2015年)によると、「家庭招待会」は、主婦たちの社交の大部分を占め、互いの家を訪ね、一緒にお茶を飲むという儀式のようなものだったようです。滞在する時間は15分程度で、あくまでも目的は顔を見ることです。一度、訪問を受けたら、お返しの訪問をすることが暗黙の了解とされていて、訪問されたのにお返しの訪問をしなかったり、長い期間、訪問しなかったりすると、「マナー違反」となるのです。
『アンの愛情』第11章でアトッサおばさんが「マリラは一度もこの家に来たことがない」と腹を立てているのは、こういった背景があるからなんでしょうね。
リンド夫人が村の情報通なのも家庭招待会の影響ですね。アンがギルバートを石板で殴った時も、マリラが相談に行くより先に「ティリー・ボールターが学校の帰りに寄って話してくれた」と言っています。
とにかくアヴォンリー村の人たちは互いに顔を合わせていない人の近況も「噂は聞いているよ」としているのは、村人たちが親しく付き合うことを一つの義務のように考えているからですよね。イギリスを発祥として北米に広がったアフタヌーンティー文化など喫茶の習慣も、家を訪ね合うというコミュニティーの文化があったからであり、英米文学にお茶の場面がよく出てくるのも家庭招待会があったからかもしれません。
そんなアヴォンリー村ですから、仲違いしていても、アンの情報はギルバートの耳に逐一入っていたと思われます。アンはギルを「無視して」いるのに、演芸会では詩の朗読の時に、ステージからアンに熱い視線を送っています。ギルはアンより3歳年上の14歳で、父親が病気の間、大人としての役割を果たしていることから、普通の少年より社会の厳しさを知っていたはずです。アンは彼のことを知ろうとしなかったかもしれませんが、ギルバートはアヴォンリー村のほかの子どもより、アンと近い境遇に育っているのです。
アンの赤毛を「にんじん」とからかったギルバートですが、その前には、ダイアナの黒髪を「からす」と言ったことも明かされています。また、授業中にルビー・ギリスの髪にいたずらをしていることからも、ダイアナもルビーもかなりお気に入りだったわけです。でも真剣に恋したのはアンでした。それは、アンがほかの女の子と違い自分をしっかり持っている少女だったのもあるけれど、孤児で苦労しているゆえに自分に近いという親近感を感じていたからだと筆者は考えます。ギルバートこそ、アンが求めていた心の同類、腹心の友だったのです。と、今回もまたしつこくと深読みしてしまいました。
参考文献
モンゴメリ著、松本侑子訳『赤毛のアン』集英社、2000年
[ライタープロフィール]
南野モリコ
映画配給会社宣伝部勤務を経てライターに。大学時代、イギリスに遊学したことをきっかけに紅茶の魅力に開眼。リプトン・ブルックボンド・ティースクールで学ぶ他、『不思議の国のアリス』『赤毛のアン』他、英米文学作品に描かれる「お茶の時間」を研究する。紅茶、日本茶はじめ世界のお茶を愛し、これまで飲んだお茶は1000種類以上。ツイッター:「モンゴメリ『赤毛のアン』が好き!」
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