第34回 なぜアンのそばかすは「消えた」のか?
南野モリコ
冬が大手を振って行進してきました。乾燥が気になる筆者モリコは、お肌のお手入れに余念がありません。そこで今回は、アンと「美肌」について深読みしてみました。「ふーん、そんな見方もあるのね。そばかすなんて気にしないわ♪」と鼻歌を歌うように、気楽にお楽しみください。

『虹の谷のアン』モンゴメリ作、松本侑子訳(文藝春秋、2022年)(写真:南野モリコ/人形製作:夢野みよこ)
アンの時代の「美肌」とは?
『赤毛のアン』は、プリンスエドワード島のアヴォンリー村に住むマシューとマリラのカスバート兄妹のところに、孤児院から「男の子と間違って」アンが送られてくるところから物語が始まります。ブライトリバー駅まで迎えに来たマシューの馬車に揺られながら、アンは「窮屈でみっともない黄ばんだ灰色の交ぜ織り地」で作られた服を着ていることや、髪が赤毛であることなど、自分の風貌が気に入らないことを話します。コンプレックスの塊のようなアンですが、みすぼらしい服装と赤毛のほかに彼女が気にしているものがあります。それが「そばかす」です。
女性に詳しくないマシューも迎えに来た時、アンの「そばかす」に注視したように感じます。初対面のアンに失礼極まりない言葉を連発したリンド夫人も「ああひどい、こんなそばかす、見たこともないよ」と、まず「そばかす」についてディスっています。
なぜここまで「そばかす」が嫌われているのか、ちょっと気になりますよね。
『赤毛のアン』は、1880年代後半のカナダが舞台であり、出版されたのは1908年、北米におけるヴィクトリア時代です。坂井妙子著『レディーの赤面 ヴィクトリア朝社会と化粧文化』(勁草社、2013年)によると、「女性の美しさは目鼻立ちが整っていることよりも、顔色の善し悪しで決まる」とあります。また、ファッション誌『レディーズ・トレジャリー』(1863年)の編集者も「化粧に効果はない」と書いていたと引用しています。アンの時代、「美肌」とは「顔色の美しさ」であり、白く透明感がある以上のものが求められていたのではないかと深読みしました。
第8章で、アンから「ダイアナはどんな女の子?」と聞かれたマリラは、「ダイアナはきれいな子だよ。ほっぺは薔薇色でね」と言っています。いくらきれいな女の子でも、頬のことまで言及するのは、現代の私たちからするとやや違和感がありますよね。これもマリラが、女の子の美しさを顔色で認識していたからかもしれませんね。
アンのそばかすは「化粧水」で消えた?
赤毛とそばかすを忌み嫌っていたアンでしたが、第37章では「思い返すと笑ってしまう」と言ってのけるほどコンプレックスから卒業しています。なぜなら、「そばかすはすっかり消えたし、髪の方も、みんな親切だから、今では金褐色だって言ってくれる」からと言うのです。
赤毛については、友達にからかわれなくなったことや、むしろ金褐色という美しい名前で呼ばれるようになったことで、自然に悩みが消えたんですね。
でもそばかすは、何もしないのに気が付いたら消えていたというわけはないですよね。物語には出てきませんが、おそらく化粧水を作って毎日つけ、こつこつケアをしたから「すっかり消えた」のだと読むのが正解でしょう。
ヴィクトリア時代、化粧は華美であることからよしとされず、『赤毛のアン』シリーズにも化粧はほぼ出てきません。そばかすを気にしているアンも現代のティーンのようにコスメに憧れることはなく、もっぱら欲しがるのはパフスリーブのドレスです。
『アンの青春』で「そばかすに効く化粧水の作り方を雑誌で見つけて作った」とアンが言う場面がありますが、マリラは例によって批判的です。
それにしても、アンが「そばかすがすっかり消えた」と言うと、まるで自然に消えたかのように読み取れてしまうのが、モンゴメリ作品のマジックではないかと思います。赤毛とそばかすという一生変わるはずのないものが、気が付いたら消えていた。どんな大きな悩みごとも、時が経てば自然に解決し、そばかすでさえ魔法のように消えてしまう。「生きていれば何もかもが自然とうまくいくようになっているのよ」、そんな声が行間から聞こえてくるのが『赤毛のアン』であり、愛される理由かもしれませんね。
参考文献
モンゴメリ著、松本侑子訳『赤毛のアン』(文藝春秋、2019年)
[ライタープロフィール]
南野モリコ
『赤毛のアン』研究家。慶應義塾大学文学部卒業(通信課程)。映画配給会社、広報職を経て執筆活動に。
Twitter:南野モリコ@赤毛のアンのお茶会(彩流社WEBマガジン「彩マガ」連載中)!ID @names_stories