あてにならないおはなし 第35回

第35回 わたしの体験的居場所論 その10

阿部 寛

 前回(第34回)に引き続き、「わかもの相談室」での若者自主活動のひとつ、「共食の会」について、さらに詳しくお話したい。

「共食の会」発足のきっかけは、前述したとおり、父親から虐待を受け、洋服に火を点けられ火傷を負った経験があるUさん(30代女性)が、ガスや電気を使用した調理ができないこと、長らく家族と食卓を囲むことがないという現実を知ったからだった。

「Uさんといっしょにご飯を作り、食べたい」という願いと意思が、わたしたち相談員の心の中に強くわいてきたからだ。そして、「共食の会」メンバーを募集したところ、相談室を訪れる若者の多くが、独居で孤食(一人で寂しく食べる)であることがわかった。

それならばと、若者たち自身が企画・運営する「ともに食べる会」を立ち上げることにした。若者たちから意見を聞き、①日々の悩み・苦労・喜びを分かち合うミーティングをする。②メニュー・食材選択と購入、調理と片付けまですべて若者たちが行う、③振り返りの会で締めくくる、の3つを取り入れることにした。経費に関しては、相談室からわずかな資金援助があったが、基本は若者たちが自腹を切る。自主活動なので当然だ。

 

具体的にはどんな食事会なのか。イメージがつかみにくいと思われるので、ある日の「共食の会」の風景を再現してみよう。

昼食づくりの前に行われるミーティングは、毎回楽しく、その内容は多彩だ。

ミーティング・テーマは、「最近、良かったことは何ですか?」「最近、苦労したり悩んだりしたことは何ですか?」を定番とし、全員で順番に語り合う。司会・進行役は、若者たちが毎回交代で担当し、批判や助言は慎み、感動や励ましはOKだ。参加者は、仲間の体験や語りに促され、頑なになっていた心と体がじょじょにほぐれ、さまざまな思いが湧き出てくる。

人が語るには、本人の意思と勇気が必要だが、さらには仲間の話を真摯に聴く態度と、人の話をゆったりと受け止める、語りの場の雰囲気が欠かせない。若者たちのミーティングは、そのことを実証していた。

この日は、初参加のCさんがいた。他人と交わることが大の苦手、食べ物も受け付けない。ガリガリにやせ、からだ全体が緊張でこわばっていた。

 

「最近苦労したり、悩んだりしたことは何ですか?」

若者たちから「おやびん(親分の意味)」と愛唱されている「乗り鉄(鉄道マニア)」のKさんが次のように語った。

「茅ケ崎にあるアウトレットまで自転車で出かけたけど、欲しい物がなかったので帰ってきた。」

川崎市に住む彼は、往復100キロほどの距離を自転車で7時間ペダルをこぎ出かけたが、なにひとつ買ってこなかった、というのだ。「せっかく苦労して行ったんだから、何か買えばよかったのに」という声が若者たちから上がる。しかし、Kさんは、ケロっとしている。

次は、Cさんの番だ。戸惑いと恥ずかしさと緊張にあふれた表情で語り始めた。

「あのう、この前自転車に乗っていたら、いつの間にか自動車専用道に入ってしまって、出口が見つからず、延々とペダルをこいだんです。そしたら、多摩川を超えて「東京都」という表示が目に入ったので、すごく困って、怖くなったんです。それで、前来た道をそのまま逆に走れば帰れると気づいて、やっと帰ってきました。」

Cさんは神奈川県藤沢市の自宅からスタートして、往復約90キロの道のりを、猛スピードですぐ横を走り抜ける自動車に怯えながら必死で自転車をこぎ続けた。Cさんがとった驚異的な行動に、まず驚いたのはKさんだった。「すげえな、きみ」と、Cさんに向かって感嘆の声を発した。そのまなざしは、尊敬の念にあふれていた。

Cさんは、一瞬にしてヒーローとなり、みんなから一目置かれる存在となった。Cさん自身にとっては、恥ずかしくて隠し続けてきた自動車専用道暴走事件だったが、Kさんの自転車100キロ買い物エピソードにより心がほどけ、話してみたら、笑い者になるどころか、ヒーローとなった意外な展開だった。

どうふるまっていいかCさんはとても困惑しているようだった。

ミーティング後のメニュー決め、食材購入、調理、いっしょの食事、片付け、そのすべてがCさんにとって初めての経験だった。これまで長らく食べ物を受け付けなかったCさんだが、なんとカレーライスを完食したのだった。

KさんとCさんの自転車をめぐるなんとも不器用で、常軌を逸した振る舞いが、Cさんのこわばった心身をほぐし、結果としてCさんの食欲を促進させたのかもしれない。ここには、意図も目的もない行動であればこそ、自然と呼吸が始まり、分解と発酵が生じたようなふしぎな力が働いていたように思う。

 

わたしには、20歳代後半に、「食」にまつわるつらい経験がある。自律神経がバラバラ状態になり、電車に乗ると腹痛と激しい鼓動が止まず、ついに電車に乗れなくなった。大学への通学も出来なくなり、家に閉じこもるようになった。昼夜逆転の生活になり、生活のリズムを整えようともがけばもがくほど歯車が合わず、自分自身をひどく責め立てた。しまいには、食事ものどを通らなくなった。

「このまま食べなかったら、死んじゃう」とひどくおびえ、消化によく、ごく少量で栄養価の高い食材を探し求めた。

樋口清之『梅干と日本刀』という本を探し当て、これだけを食べれば飢えもせず、十分な栄養を摂取できるという日本の伝統的食文化に従って、発酵食品を中心にとにかく体内に流し込んだ。当時書き続けていたわたしの日記『根拠地』には、当初日々のくらしの様子や読書記録が綴られていたが、次第に自己批判の内容ばかりになり、自身で耐えられなくなって、毎食のメニューを書き留めるようになった。

「ごはん、みそ汁、納豆、梅干、わかめ…」そして、その単調すぎる文字の連続にさえ恐怖を覚え、その記述も途絶えた。以来、空白のページが延々と続いた。

それからどれほどの時間が経っただろう。日記のまっさらなページを遡ってめくっていくと、食事のメニューがあり、自分自身に向けた容赦ない非難のことばが続く。読みながら、当時のことがよみがえり、涙がボタボタと流れ落ちた。

「生きなきゃ、絶対死んじゃダメ」と必死でもがき、叫んでいるわたしがそこにいた。いったいいつのころからだろうか。食べ物の味がしだいにわかり、美味しいと感じられるようになったのは。「食べ物をおいしいと感じられる日は絶対来ない」と絶望した日々が、いまは信じられない。自宅でひとりで静かに食べているとき、食堂で好きな食べ物を選んでいるとき、友人・知人と楽しく飲み食いしているとき、ふと不思議な感覚が訪れることがある。「今、わたしは、食べている」。

 

そして、わたしの目の前で、「食」にまつわる悩みや苦労をたくさん抱えた若者たちが、語り合い、調理し、おいしそうに食べている。
そこにわたしも参加し、日々の悩みや苦労を若者たちと分かち合い、泣いたり、笑ったりしている。

おいしいね〜。しあわせだ〜。

 

今回、若者たちとの「共食の会」の創設とその活動について書き、わたしの「食」にかかわる悩ましい個人的体験とを重ね合わせて振り返ってみて、気付いたことがある。

「食」にまつわる苦悩に限らず、「わたし」という身体総体を取り巻く生き延びる上での様々な不自由や不公正や阻害要因について、悩むことと考えることを放棄しなかった。治療ではなく、研究をし続けた、ということだ。

そして、「わかもの相談室」において、援助対象ではなく、ともに悩み考え続ける若い仲間たちと出会い、当事者研究をスタートさせた。そういうことじゃないだろうか。

「悩み・苦労を手放すなよ。悩みのセンスを磨こうよ。」

これまで、わたしは口癖のようにそう言い続けてきた。そのことばの真意を、あらためてかみしめている。それは、「よりよく生きるための共同闘争の理論と実践」と表現してもいい。悩みと苦労とを決して手放さない、主体的で、共同的な、怒りと対話と相互承認の「生」のプロセスそのものなのだ。

 

 

[ライタープロフィール]

阿部寛(あべ・ひろし)

1955年、山形県新庄市生まれ。生存戦略研究所むすひ代表。社会福祉士。保護司。 20代後半から、横浜の寄せ場「寿町」を皮切りに、厚木市内の被差別部落、女性精神障害者を中心とするコミュニティスペースで人権福祉活動に取り組む。現在は、京都を拠点として犯罪経験者・受刑経験者、犯罪学研究者、更生保護実務者等とともに、ひとにやさしい犯罪学、共生のまちづくりを構想し共同研究している。

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