第39回 わが個人的識字論について(つづき)
阿部 寛
第38回に続いて、統合失調症を抱えるKさんがミーティングや識字の場で発したことばと文章をてがかりに、語ること、書くこと、表現することの本質的な意味を探ってみたい。
それに先立ち、精神障害者とことばについて、ひとつのエピソードをご紹介したい。2014年2月、わたしは大阪識字・日本語教室コーディネーター学習会に招かれ、「悩み・苦労が編み出した学びの方法~「ぼちぼち」の識字と人権学習~」というテーマで、活動報告をし、大阪のコーディネーターのみなさんとディスカッションをした。その際の質問の多くが、「精神障害者の識字は成り立つのか?」「いっしょに勉強していてトラブルはないのか?」「怖くはないのか?」というものだった。さらに、かつて識字教室には精神障害者も参加していたが、いまはひとりもいない、と言う。
わたしは、彼らから出された質問と意見にさほど驚かなかった。なぜなら、わたしたちにも身に覚えのある反応だったからだ。
わたしたちが立ち上げた「地域人権学習会ぼちぼち」は、識字と当事者ミーティングと人権学習を柱とする集まりである。創立当初は、被差別部落のこどもたちの勉強会であったが、精神障害を持つ女性たちの「コミュニティスペース・アジール」のメンバーが多数参加するようになり、さらに、ヴェトナム難民、ブラジル移民経験者、東京大空襲被害者などが加わった。各自が生きた時代も、国家も、民族も、年齢も、ジェンダーも、経験知も異なる人たちが集い、学びあう場所だ。「日本語(共通語)」の読み書きの修得が、必ずしも、相互理解を深めるとは限らない。また、各自が共通の時間感覚を保持するわけでもなく、独自の時間と生活世界を生きている。
日本社会の行動準則として機能する「世間」(私的利害関係ネットワーク)は、「個人」と「社会」とは異なるもので、共通の時間感覚を基盤とし、強烈な同調抑圧が働くため、識字やミーティング、学習会、居場所づくりをするときは、要注意だ。
それゆえ、互いの意思疎通を図るには、多様な回路を創造しなければならず、言語に限らず、感情・表情、身体表現(身ぶり手ぶり)を総動員し、さらには柔軟な時間感覚を意識的に備えていくことが重要だ。
臨床哲学者の鷲田清一は、感情・思考・言語・表現の関係性と機能について、次のようなことを述べている。
「たいていの思考というものは、なにかよくわからないままぼそっと口にすることで、あるいは文章に書き起こすなかで、おずおずと形をとってくる。言葉には思考をまとめるはたらきがあるのだ。おなじことが感情や気分についてもいえる。 ・・・(中略)・・・
表現というのは感情のたんなる表出なのではない。それはみずからの感情をまさぐることであり、そこからさらに感情を見つめなおし、吟味し、推敲し、再構成してゆくことである。感情に流されないということである。
(鷲田清一『パラレルな知性』(晶文社)所収)
確かにその通りだと思う反面、この整序の仕方には違和感も覚える。ことばは、怒りや悲しみ、喜びや感動など抑えきれない感情のあふれ出しによって与えられるのではないか。
しかも、ことばは、感情を分解し、発酵する場と、受取ろうとする他者がいてはじめて与えられるのではないか。
識字で誕生することばは、まさに「詩」だと実感することがある。Kさんの「ひまわり」は、ゴッホの描いた「ひまわり」に出会い、全身に発した衝撃と感動を見事に表現している。Kさんは、それまで続け字(記号も混在するくずし字)の候文(そうろう文)で書き続けていたが、この時ばかりは楷書体の現代文で表記した。過去の時間を生きていた彼が、識字のテーマ「ひまわり」を見た瞬間にスウィッチが入り、ゴッホのひまわりを鑑賞したときの衝撃的な時空間にまるでワープしたかのようであった。
J.L.ボルヘスは、「詩という謎」という文章で次のように語っている。
「詩は、そして言語は、意思疎通の手段であるばかりか、情熱や快楽の源泉でもあり得る。 ・・・(中略)・・・ 自分の身に何事かが生じつつあることは感じていました。単に私の理性にとってではなく、わたしの存在の全体に、わたしの血肉に、その何事かは生じたのでした。
つまり詩は、1回限りの新しい経験であると言えるでしょう。私が一編の詩を読むたびに、その経験が新たに立ち現れる。そして、それこそが詩なのです。」
(J.L.ボルヘス『詩という仕事について』(岩波文庫)所収)
識字やミーティングの場において、Kさんの発することばや表現は、わたしたちに何をもたらしてきたのか。
Kさんは、初登場以来、つねに面白い存在であった。常にニコニコ笑顔を絶やさず、楽しそうにふるまっていた。そのことが、識字やミーティングの場をなごませた。精神疾患を発症するには、人それぞれの生存の危機があり、Kさんはその格闘の中で、生き残りの経験知と技(生存戦略)を獲得してきた。
ひとはみな、不自由と時間と規律を強制する社会への過剰適応を迫られる「生きづらさ」を抱えている。さらには、その「生きづらさ」が、その個人の属性であるかのような非科学的専門知によって「障害」や「病気」の定義と評価を下される。
資本の論理によって貫徹された労働(賃労働)への可能性によって、人びとは細分化され、分断されている。学校制度、矯正施設、病院、企業、仕事、家庭、地域社会、世間など、あらゆる社会資源が総動員されて、お互いが金銭と「座席」(社会的役割・ポスト)の争奪戦を展開してる。
Kさんをはじめ、精神障害を抱えながら生き抜いてきた学習仲間たちは、日々の悩み・苦労・喜びを語り、綴りながら、生き抜くなかで獲得した本質的経験知と技を惜しみなく情報公開する。まさに、「学び直し」とは異質の「学びほぐし、生きほぐし」の共有の場として、識字とミーティングを捉え、実践している。
学習仲間のひとりOさんに起きた出来事を紹介しよう。
統合失調症を抱えるOさんは、幻覚・幻聴、とりわけ幻臭に悩まされていた。得体の知れない者にたばこの煙や毒ガスを部屋にまかれ、身の危険を感じていた。そのため、しょっちゅう転居を余儀なくされ、貧乏を強いられた。彼は、人生の中で何度か危機的状況に遭遇していた。
人間は、絶望的な危機に直面すると、もう一つの世界(物語)を編み出し、そのなかに避難し、未来へ向かって生きようとすることがあるという。幻覚・幻聴は、そのような生存戦略の現われであるらしい。それゆえ、わたしたちは、いのちの守り神である「幻覚・幻聴」に対して、畏敬の念をもって接しなければならない。「浦河べてるの家」では、「幻聴さん」と敬称をつけて、幻覚・幻聴に対して丁寧な接待をしていると聞く。幻覚・幻聴と激しく戦い続けるOさんに対して、わたしは平和外交を心がけるように助言を続けた。
すると、約一年後、Oさんの身に不思議なことが起こった。心身不調のため、「ぼちぼち」を休んでいた彼が、近所のコンビニで夕食用の弁当を買っていたときだ。
「きょうは、ぼちぼちの日じゃない。みんな待っているよ~。」
そんな幻聴が聞こえてきた。Oさんは、弁当を携えてバスに乗った。愛用のデイパックを背負わず、弁当1個を手に会場に現れたOさんは、事の次第を仲間たちに説明した。
すかさず、統合失調症の大先輩Lさんが、Oさんに声をかけた。
「Oさん、すごいね。ついに幻聴さんを味方につけたね!」
経験とユーモアにあふれたLさんならではの一言だ。
Kさんがゴッホの「ひまわり」と出会った時の衝撃と感動の文章は、Oさんの幻覚・幻聴との和解や平和外交と、深いところでつながっている。
わたしたちは、ミーティングや識字に取り組んでいるとき、自身の過去から現在に至る出来事や体験をたどりながら、ライフストーリーを語り、綴っている。
物語を語り、聴くという営みには「場」と語り手と聴き手が登場する。ここでは、ストーリーという出来事の時系列的配列とは異なる、それを裏からまとめ上げ、構築している仕組みのようなものがある。これをプロット(plot)という。精神病理学者であり、臨床哲学者である木村敏は、「プロット(フランス語ではintrigue)は、物語の筋立てという意味のほかに「陰謀、策略、秘密の計画」などの意味ももっている」という。
「ストーリーが「それから」どう展開されてゆくか、その機微のうちに含んだダイナミクスであるだろう。そしてそれは、ストーリーに登場する一つひとつの出来事に、そこに過去からの因果関係よりは未来へ開かれた推進力を設定し、物語に内的な生命力を与えているのではないか」と木村は述べている。
木村による「物語としての生活史の未来先取性」の指摘は、識字やミーティングを「生きほぐし」として実践する者にとって、大いなる理論的基盤を与え、励ましとなる。
[ライタープロフィール]
阿部 寛(あべ ひろし)
1955年、山形県新庄市生まれ。生存戦略研究所むすひ代表。社会福祉士。保護司。 20代後半から、横浜の寄せ場「寿町」を皮切りに、厚木市内の被差別部落、女性精神障害者を中心とするコミュニティスペースで人権福祉活動に取り組む。現在は、京都を拠点として犯罪経験者・受刑経験者、犯罪学研究者、更生保護実務者等とともに、ひとにやさしい犯罪学、共生のまちづくりを構想し共同研究している。