あてにならないおはなし 第40回

第39回 わが個人的識字論(つづき)

阿部 寛

 

2006年5月、地域人権学習会「ぼちぼち」での識字の時間は、「友だち」がテーマだった。参加者が、このテーマについて思い浮かぶことを書き、読み合った。そのとき書かれた、熊本県天草出身の宮崎由穂さんの作品は、秀逸だった。

困った時、黙って見ていてくれたり
自分のことのように心配することは
できないのだと知っていたり
相談すると、一緒になって困ってしまう
そんな友達が欲しい

友達を、失いたかったら
困った時、助けるつもりで手を出して
相手を、ますます困らせたり
相談に乗って、耳を傾けるだけで
良いのに、いろいろ助言して
ますます混乱させたり
自分の最善と思う方法を、相手が
ためさないからと不機げんになったり
そんなことを、何回か、くり返すと
友達は、確実に去っていく

精神疾患の病名をいくつも抱えながら、生き抜いてきた彼女ならではの、ひと付き合いのわきまえであり、哲学である。

宮崎さんは、女性の精神障害者の居場所兼就労支援施設「アジール」のメンバーであり、「ぼちぼち」には2004年3月から参加している。彼女は大変な読書家で、また、論争させたら誰もかなわない。その物言いは、遠慮会釈なく、ときには人を傷つけもするが、決して悪意はなく、純粋である。そのため、職員からも、メンバーからも信頼されている。

彼女の「友だち」論は、自身の他者介入傾向(要するにお節介なのだ)への戒めであり、職員や専門職への明確な批判かつ要請でもある。

宮崎さんの「ともだち」の定義を読むと、ひとつの風景を思い出す。

「ぼちぼち」のメンバーであり、「アジール」の仲間でもある二人、荒木さんとよし子さんとの間でくり広がられた、次のような場面である。

 

荒木さんとお兄さんは聴覚障害をともに持ち、互いの意思疎通がとても難しい。二人のコミュニケ―ション手段は、PCや携帯のメールだ。メールでは、話者の表情、話し声のトーンや強弱、感情の起伏や喜怒哀楽という対話の重要な要素が不明で、お互いの思いがすれ違う。さらに、そのすれ違いを埋めようと努めるほどに、誤解が増幅する。

その日も兄との対話がすれ違い、パニックとなった荒木さんは、「はなしやぼの(アジールが運営するカフェ)」に泣きながら駆け込んできた。この日の荒木さんの様子は、いつにも増して激しい怒りと絶望があふれていた。

ウェイトレスとしてその場に居合わせたよし子さんは、荒木さんの様子を見ながら何とかしてあげたいと思ったが、なにも思い浮かばない。そしてよし子さんは、荒木さんのそばに寄りそって、こう話しかけた。

「ごめんね~。わたし、何にもしてあげられない」

こう言って泣きじゃくるよし子さんに、荒木さんは、

「わたしのために、泣いてくれる人がいる。うれしい~」

と、大声で叫び、よし子さんをぎゅっと抱きしめた。

 

この二人が織りなした風景は、水俣病患者の相談支援にあたる水俣病センター相思社の職員・永野三智さんが患者の苦しみを前にして何もできない「無力」を嘆いたときに、石牟礼道子さんが、永野さんに語ったことばを想起させる。

「悶(もだ)え加勢すれば良かとです。
むかし水俣ではよくありました。
苦しんでいる人がいるときに、その人
の家の前を行ったり来たり。
ただ一緒に苦しむだけで、その人は
すこぉし楽になる」

「悶え加勢」。いのちや魂が体内に宿り、身悶え共振する身体表現。

問題解決を図る制度や方法のことばは、ひとの間に距離をつくり、線を引く。そこには、身悶えや痛みはなく、悩みはその人限定の問題となって、制度的解決策が探られる。

 

宮崎さんのことばはさらに、横浜の簡易宿泊所街「寿町」でわたしが出会った、次のことばとも通底しているように感じる。

「良くしようとするのはやめたほうが良い」

横浜の簡易宿泊所街の寿福祉センター職員として、アルコール依存、薬物依存、「登校拒否」を通して「生き方」を考え続けた村田由夫さんの名言である。

「自分が正しいと思ったときはダメな人間になっていると思うのよ」

寿町で「わが ままに」生き、死にきった「自由人」・中西清明さんの口からぽとりとこぼれたことば。このことばは、解放教育に取り組む教師たちの、被差別の子どもへの対応方法をめぐっての激しいやり取りを目の当たりにして、中西さんが「先生、こどもを愛して!」という思いを込めた一言だった。

「神様、わたしにお与えください
自分に変えられないものを
受け容れる落ち着きを
変えられるものは、変えていく勇気を
そして、二つのものを見分ける賢さを」

AA(Alcohlics Anonymous。匿名のアルコーリックたち)ミーティングの締めくくりに唱和されるニーバーの「平安の祈り」。わたしは、この祈りのことばを何度も、何度も呪文のように唱え、救われた。

 

ことばは、ひとを選ぶのだろうか。
いのちと魂の棲み処を探してさまようことばたちが、あるひとの心根を嗅ぎ分け、入り込み、住みつくのだ。ひとがことばを選ぶのでは、決してない。

 

[ライタープロフィール]

阿部寛(あべ・ひろし)

1955年、山形県新庄市生まれ。生存戦略研究所むすひ代表。社会福祉士。保護司。 20代後半から、横浜の寄せ場「寿町」を皮切りに、厚木市内の被差別部落、女性精神障害者を中心とするコミュニティスペースで人権福祉活動に取り組む。現在は、京都を拠点として犯罪経験者・受刑経験者、犯罪学研究者、更生保護実務者等とともに、ひとにやさしい犯罪学、共生のまちづくりを構想し共同研究している。

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