結婚、出産、転勤、転職、さらに離婚、再婚……。さまざまな人生の転機に、生き方や活躍の場を模索する人たちは多い。しかし、自身で新しくビジネスを立ち上げるのは、容易なことではない。近年、自らの夢を叶えるべく起業した女性たちを取材。明るく前向きに努力を続ける姿は、コロナ禍における希望の光でもある。彼女たちの生の声を聞き、その仕事ぶりや日常に迫る。
中東諸国と日本をつなぐ架け橋に
yamaki-do 代表
山﨑真理さん
取材・文 伊藤ひろみ
写真提供 yamaki-do
アメリカ世界同時多発テロが起こったとき、山﨑真理さん(40)は大学生だった。国際社会や多文化共生などについて学ぶかたわら、アフガニスタンやパレスチナの難民キャンプに飛び込み、現地で活動をした。「私にも何かできることがあるはず」、そう信じて。
卒業後、イオンに入社した。流通業界の現場に立って汗を流す日々。惣菜担当の販売主任を任されるようになった。入社1年後、大学時代の同級生と結婚した。
学生のときから海外で働きたかった山﨑さんにとって、ひとつチャンスが訪れた。当時海外の店舗で勤務ができるのは10年程度日本で経験を積んでからだったが、入社4年目の山﨑さんに白羽の矢が立った。派遣先は香港。食品部門をサポートし、売り上げ増をはかるというミッションだった。現場でオペレーションする香港人たちに日本企業のマニュアルを伝えたり、衛生や安全の意識を向上させたりしなければならない。職場環境だけでなく、考え方の違いもあり、予想以上にてこずった。「国際貢献」「海外支援」などと言葉で語るのはたやすい。だが、現場で奮闘する人間にとっては、毎日が真剣勝負。ましてや、今回は民間企業の代表として、重責を担う立場である。思うように進まない毎日に、がっかりしたり、腹を立てたり、立ち止ったり。女性の意識が変われば、社会も変わると信じてきた山﨑さんが、ひとりの日本人女性としての無力さも痛感した。社会を変えるためには、それを支える社会の仕組みも必要だと気づいたのである。
単身で飛び込んだ香港勤務。約1年の赴任期間を経て帰国し、国内勤務に戻った。このころ、プライベート生活でひとつの区切りをつけ、独り身に戻った。
再び海外へ出るきっかけとなったのは、在クウェート日本大使館で経済担当専門調査員の職を得たことだった。現地のインフラ整備など、長年に渡り、日本が貢献してきたことも多い。さらなる日本とのつながりを模索したい、そんな希望を胸に現地に乗り込んだ。
産油国だからだろうか。モダンな高層ビルが立ち並び、大学生さえも高級車を運転するお国柄。そんな豊かなクウェート人たちたちがいる一方、外国人労働者たちの生活は貧しい。イスラムの教えにのっとり、時間になればお祈りし、時期がくればラマダンを行う。彼らにとって、お祈りは、天国へ行くための大切な時間だと教えられた。意思疎通もさることながら、こうした価値観の違いに戸惑った。クウェートでは、「毎日、想定外のことしかおきなかった」という。
帰国後、今度はJICA(国際協力機構)で働くことになった。前職の経験を活かし、湾岸諸国担当の専門嘱託となった。クウェートはもちろん、サウジアラビア、UAEなどのほか、パレスチナの支援事業にも関わった。中東諸国には、海外留学する若い世代も多い。彼らを積極的に政府が後押ししている国もある。欧米の先進国を目指す学生が多いが、日本へ熱いまなざしを向けている人たちもいる。コロナ禍前は、サウジアラビアから年間約500人の留学生が来日していた。また、クウェート人たちの日本人気も高く、2019年には、年間3500人近くの訪日旅行客を迎えている。だが、日本の受け入れ支援が思うように進まず、コロナの感染拡大が懸念されたこの2年、その動きがぱったりと止まってしまった。
35歳を過ぎたころから、自分の市場価値が下がり始めていると気づいた山﨑さん。これまで自分の力で新たな道を切り開いてきたが、今後もそれができるかと迷いが生じ始めた。在クウェート日本大使館、JICA(国際協力機構)と任期付きの契約社員としての勤務だったこともあり、先の見通しが立ちづらいことへの焦りもあった。
「やるなら今しかない!」 40歳を目前にひかえ、新しい選択をした。祖母が経営していたヤマキ商店から、その名を受け継ぎ、yamaki-doと名付けた。2020年6月、コロナ禍でのスタートとなった。
主な事業内容は、日本と中東地域でのビジネスのスタートアップや起業家のビジネスマッチング、外国人材のキャリアコンサルティンクなど。中東からのインバウンド向け産業ツアーの実施も目指しているが、コロナが落ち着くまで、まだしばらくは動きづらいだろう。日本で学びたい留学生なども、積極的に呼び込み、支援したいと話す。今のところ、ひとりできりもりしているので、自宅が仕事場を兼ねている。
起業するにあたり、ITのスキルを磨いたり、都の職業訓練校で学んだり、セミナーや交流会などにも積極的に顔を出した。今後、カフェなど飲食ビジネスへも広げられるよう、調理師免許も取得した。得意の英語を生かし、『英語で楽しむ陰ヨガ』や、『英語ディクテーションの会』なども催している。
「となりの外国人をサポートしたい、中東諸国と日本をつなぎたい」。山﨑さんの夢が広がる。
[ライタープロフィール]
伊藤ひろみ
ライター・編集者。出版社での編集者勤務を経てフリーに。航空会社の機内誌、フリーペーパーなどに紀行文やエッセイを寄稿。2019年、『マルタ 地中海楽園ガイド』(彩流社刊)を上梓した。インタビュー取材も得意とし、幅広く執筆活動を行っている。立教大学大学院文学研究科修士課程修了。日本旅行作家協会会員。近刊に『釜山 今と昔を歩く旅』(新幹社)。