耳にコバン 〜邦ロック編〜 第14回

第14回 さんぽ とざん くるり

コバン・ミヤガワ

 

「さんぽ」という曲がある。
スタジオジブリの映画『となりのトトロ』のオープニングで使われているあの曲である。
「あるこう あるこう わたしはげんき」と知らない人がいない程、馴染みのある曲だ。

実は最近、この陽気で優しい素敵な曲に、少々腹が立っている。

先日、登山をしたときのことだ。
ちゃんとした登山なんて久方ぶりだった。
小学生の頃、家族で登山をした時、ヒィヒィ言いながらやっと頂上に辿り着いたと思っていた所がただの休憩所みたいな所で、それまで見えなかった山頂に続く急勾配を見た瞬間、ボクの心が完全にポッキリと折れ、途中で登山を投げ出したことがある。
山にあまりいい思い出がない。

そんなボクでも、多少は大人になった。
昔のような身軽さはないだろうが、メンタルは成長している。今度は山の頂に立ち、壮麗な景色を目に焼き付けてやるのだ。意気込みは十分であった。

いざアタック開始。
始まってすぐの急勾配。案の定すぐに息が切れ始める。足が重たくなり、リュックを背負う肩が痛くなる。
登山序盤の景色なんて、そう変わるものではない。眼前には、どこまで続くか分からない、曲がりくねった急な道。その両端には、数え切れないほど杉の木が並んでいる。上を見れば、杉の木は空を覆い隠すくらい高く伸びている。
まぁ、これぞ登山。しかしながら、やはり飽きは来るものである。
景色を見るでもなく、ただひたすら、足元をぼーっと見つつ、ヒィヒィ言いながら足を出す。

そんな時だった。
「あるこー あるこー」と口からポッと「さんぽ」が流れてきた。
歌ったというよりも、流れてきたという表現の方が正しいくらい、不意に口ずさんだのだ。
息を切らしながら「あるこー あるこー わたしはー げんきー」と頭を使わないかのように、口から止めどなく流れてきた。多分気を紛らせたかったのだろう。

途中まで歌っては止めてを繰り返しながらしばらく登った。
そして一息ついたときにふと我に返った。

「わたしはげんき」ってなんだ?

この状況、全然元気じゃないよね!?
よくボクは「わたしはげんき」なんて歌えたよね!?
いや、なんで歌詞に無理矢理元気を押し売りされているんだボクは!
絶対明日筋肉痛でどこも動かないよこれ!

疲れとともに腹立たしさがふつふつと湧き上がってきた。
そこからの道中、この「さんぽ」が孕む恐ろしさについての考察で、ボクの意識は登山どころではなくなったのだ。

そもそも何をもってして「元気」とするのか。
確かに、山に登る健康状態にあるという点では元気と言えなくもない。
しかし、登っている最中のボクの歌を書き起こすなら「あるこ〜ヒィ あるこ〜ヒィ わたしは〜ヒィ げんき〜ヒィィ」である。
荒い息継ぎの合間に歌っているようなもんである。これを録音して聴かせた時、誰がこの歌声の主を「元気そうだ!」と思おうか。どう聴いても元気そうではない。

そして何より恐ろしいのが、この状況に相応しい曲の少なさである。ほぼ「さんぽ」の独占市場と言ってもいい。
似て非なる登山においても同じことが言える。登山も散歩のうちにカテゴライズされてしまっているのだ。br />考えてみてほしい。「さんぽ」みたく相応しい曲があるかどうかを。ある程度の知名度があり、ひとりが歌い出せば、つられてみんな歌い出すような曲。
思いつかないのではないだろうか。「さんぽ」の独り勝ちなのだ。

これは早急に「とざん」の制作に着手せねばならない。
まずは歌い出しだ。「げんき」なんて間違っても使ってはならない。登山中に歌い出すのは、相当疲弊し、参っちゃっている時だ。やんわりと鼓舞しないといけない。
「たぶん だいじょうぶ」。これくらいがちょうどいい。

「のぼろう のぼろう たぶん だいじょうぶ」

これならば無理させることなく、登山する人を心豊かなまま山頂へ誘えるはずだ。

「あるくのだいすき どんどんいこう」の「だいすき」はまだいい。「どんどんいこう」はちょっと無理させてしまうかもしれない。どんどん行っちゃって足を怪我したらどうする! 山で怪我したら大変だぞ! ここは適度な休憩を促すべきだろう。

「のぼるのだいすき すいぶんとろう」

これだ。歌い出しはこれにしよう。

そんなことを考えていたら、気づけば山頂近くになっていた。
なんだかんだいい具合に気が紛れました。
序盤が一番キツかったです。

頂上に到達し、少し歩くと展望台があった。
その日は天気も良くて、展望台からは周りの山々と、ふもとの街並みが一望できた。
正直、その見晴らしでパーッと疲れが飛んでいったように思えた。登った甲斐があったってものだ。

その風景を見ていると、ある曲が脳内再生された。
前々から、この曲を聴くたびに、開けた空と青青とした緑の風景が思い浮かんでいた。
展望台からの風景は、まさしくそれだったのだ。

くるり「ワンダーフォーゲル」

くるりっていうステキな名前のバンドがいる。ついつい口に出したくなるこの響き「くるり」。
日本を代表するオルタナティブロックバンドだ。

ボクにとって、思い入れのあるバンドの1つである。

高校1年生の時だったと思う。まだまだ知らない音楽ばかりで、YouTubeや、毎週毎週CDを5枚ずつレンタルして音楽を聴き漁る日々。
レンタルショップの〈Jロック〉のコーナーを歩いていると、夜の京都タワーが写っているジャケットが目に入った。その下には「くるり」と書いてある。それがバンド名なのか曲名なのか分からなかった。しかし、そのインパクトにやられ、借りてみることにした。
それが、くるりの『ベスト オブ くるり/TOWER OF MUSIC LOVER』というベスト盤の2枚組アルバムだった。

 

 

とりあえず聴いてみようとiPodに入れて、1枚目のアルバムの1曲目。

「ワンダーフォーゲル」

たまたま音量がマックスになっていて、大音量で「ジャジャッ! ジャジャッ!」とイントロが流れてきた。
一瞬ビクッとしたのと同じあの瞬間から、今現在に至るまで、ボクはくるりの虜である。

あの印象的なイントロ。まるで爽やかな風が、気持ちよく吹き抜けていくような爽快感。
何だか青々した緑の匂いがして、空は雲ひとつない青空。部屋の四方の壁が崩れ落ち、突如として自分の部屋が雄大な自然の一部に変貌したようだった。

ちょっと歌詞を見てみよう

僕が何千マイルも歩いたら
手のひらから大事なものがこぼれ落ちた
思いでのうた口ずさむ
つながらない想いを 土に返した
土に返した

今なんで曖昧な返事を返したの
何故君はいつでも そんなに輝いてるの
翼が生えた こんなにも
悩ましい僕らも 歩き続ける
歩き続ける

つまらない日々を 小さな躰に
すりつけても 減りはしない
少し淋しくなるだけ

ハローもグッバイも
サンキューも言わなくなって
こんなにもすれ違って
それぞれ歩いてゆく

ワンダーフォーゲルには「渡り鳥」と「野外活動」の2つの意味があるそう。そのどちらもが上手く歌詞の中に散りばめられている。

改めて歌詞をまじまじ眺めてみると、高校生の頃には分からなかった部分がたくさん理解できるように思う。大人になったことを実感させられますね。

毎日をひたすらに歩いていく。そのうち、これまで持っていた何かを手放しながら、それでも歩いていく。
一期一会の毎日。山ですれ違い様に挨拶を交わしたあのマダムも、「この先つらいですかぁ?」と尋ねてきたあのおじちゃんも、もう会うことはないんだろうなーなんて思うとちょっぴり切ない。それでも毎日は続くのだ。
ちょっと切ないけど、それでも勇気をくれる。

それがワンダーフォーゲル。爽快感と少しの切なさ。もう山にピッタリなのだ。

今回は「さんぽ」と「とざん」と「くるり」についてでした。

運動の秋、紅葉の秋。山に行った際にはくるり、是非いかがでしょう。
他にも個人的に『アンテナ』というアルバムがオルタナロックの大名盤だと思っております。

 

 

[ライタープロフィール]

コバン・ミヤガワ

1995年宮崎県生まれ。大学卒業後、イラストレーターとして活動中。趣味は音楽、映画、写真。
Twitter: @koban_miyagawa

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