第13回 老人かくめい
矢島一夫
公園で知り会った友人に誘われ、市営の老人福祉センターに行った。午前9時の開所だが8時すぎから男女の老人が集り始めている。
それは何台かあるマッサージ機の争奪と一番風呂が目当てであった。「湯が汚れたり大便が浮いてることもある」からだそうだ。
将棋や碁・ビリヤードもどきに興じる人、大広間ではカラオケと数人単位での飲食や雑談。一見人の良さそうな男女のご老人が、寂しさ紛れとひがな一日の時間潰しをしている。
最後部の壁にもたれ、情景をつくねんと見ている日が何日か続いた。やがて、「あなたもカラオケ唄いなさいよ」とか「こっちへ来てお茶しませんか」と声がかりがあった。
顔染みになり来所する人の種々相を耳にした。地主・社長・諸々の商店経営者・財閥・年金生活者・生活保護受給者・無職者など様々だった。ここにも在った格差の人間関係。
羽振りのいい人や言葉巧みな人の所には人が集まり、おこぼれちょうだい的な阿諛追従(あゆついしょう)が見え隠れする。そんな中でノンポリ(政治的無関心)な与太話や、くう・ねる・あそぶの話に花が咲く。弾む下ネタ談笑は今日を生きる妙薬か。
やがて2人の女性と仲良くなれた。
Aさんはよくお茶を入れてくれた。その人には次の詞(ことば)を贈った。
「伴侶と離れて独りになって、朝昼晩のめし作り、みそ汁一つ満足に、できぬ自分のもどかしさ。集う仲間の笑顔と歌に、心の傷もいやされる。すすめてくれる一服の、お茶の旨さありがたさ。ありがとう・ありがとう、良い想い出ができました。人生全てが想い出ずくり、あなたの笑顔に救われた。」
タイトルの滌煩(できはん)とは、お茶の別称です。一日に三度のお茶を飲む時、それまでの時間にあった煩わしいことを全部滌(あら)い流すという意味なのです。疲労回復・気分転換・反省タイム、ありがたい滌煩一服でした。
もう一人の女性Tさんは、90歳を越えているが立ち居ふるまいに美と品位の良さを感じられる人でした。
音大でソプラノをやっていたそうで、澄んだ歌声は全員からの拍手喝采でした。拙者(つたないもの)にお菓子をくれたり世相や家事情など語り合いました。わたしはタイトルを“道”とした詞を贈りました。
「癖がある、歌にも人にも心にも。道にもいろいろ癖がある。人によってその道は、へその曲った道になり、時には優しく平坦な、心に残る道になる。ある時には手と手つなぎ、辛抱強くのぼる道。またある時はそわそわと落ちつきのないデコボコ道。そしてそして最後には、誰もが一度は体験する行き止りの道がある。伴侶と離れ独り身で行く道迷い訪れた、仲間が集うユートピア。演歌に唱歌にエトセトラ。歌性・品性・姿勢において清く澄んだオクターヴ、耳から入り心を洗う。ありがとう・ありがとう、素的な歌をありがとう。自分の生活・思いの癖を洗ってもらった人生の、先達の歌聴きながら、家路に向う軽き足。心を込めて唄う歌。心で聴いて元気をもらい、春待つ川辺の戻り道。ハミングの出る戻り道。」
親子・嫁姑同居の家敷では、庭の手入れについても管理が儘ならないという。「職人に頼めばお金も掛かり、それは誰が払うのかということで今もめているのよ」「私はこの年だし草取りもできないのよ。兄弟親子は他人の始まりというけど寂しいわね」
そんな話を聞いたから、「わかった、任せなさい」の一言で後日訪問した。広い屋敷の庭を二日かけて除草や剪定をした。
お支払はいかほどですか、の問いに「いいですよ、生活保護を受けているからいくら稼いでも3分の2は国に取り上げられるのですからね。それがバカ臭いから働かないで老人センターや公園で日がな一日時間潰しする人が結構いるんですよ」。そういうわたしにお茶や昼食をふるまってくれた。
その時、腰掛けた縁側から目に入った部屋にわたしがTさんに贈った“道”の詞が額に納められ飾られてあった。労賃を貰うよりも、ずっと嬉しかった。
勇気と良心のカミングアウトに、
「苦労なさったのね、永いお務めつらかったでしょ」など慰撫や励ましの言葉をもらったり雑談する中で心中を吐露した。
よく耳にするんですが、敬老とか老人だから大切にするとか、言われたくないんですよ。
だから無理しているとか年寄りの冷や水なんて陰口言われても、塀の中では若者と一緒に運動を愉しみ体と心を鍛えて来たんです。
運動や起居動作にしても質と量がついていけなくなったら、かくさずそれも見せるんです。そして、「あんたもいずれこの年になった時に今の俺を思いだし、わたしより能力・体力が落ちていないように今から鍛えておけよ」と言うんです。
老人ではなく年長者としての気概と実物教材となって体現する毎日の「お務め」です。
あのジイさん凄いな、負けてられないぞと思わせる位の美しい老い方をして見せたいですね。独自の人生体験と情理を体現してね。
だから、公園の仕事やこうして庭のお手伝いができたことは、ゲートボールやカラオケにのめり込むよりずっと愉しいし、心と体の鍛錬になっているんです。
このような話ができたことは、実に塀の中で独学自育した延長線にあった喜びなのです。若者に安く見られたり、バカにされたり、老人刈りにあいたくなけりゃ、心と体の鍛錬ですね。
老人特有のショボイファッションをやめ、今日の俺みたいにたとえばマニキュアやイヤリングはどうですか? 2〜30年位逆昇った若々しい出で立ちで街を闊歩してみないか? わかるよね、自分が変われば周りもかわる! 人間と社会にとって一番大切なものは何かを、若い人たちに語り示せる様な存在になろうよ! 政治に無関心とか気分次第の自分第一の生き方は、オサラバだ!
[ライタープロフィール]
矢島一夫(やじま・かずお)
1941年、東京世田谷生まれ。極貧家庭で育ち、小学生のころから新聞・納豆の販売などで働いた。弁当も持参できず、遠足などにはほとんど参加できなかった。中学卒業後に就職するが、弁当代、交通費にも事欠き、長続きしなかった。少年事件を起こして少年院に入院したのをはじめ、成人後も刑事事件や警官の偏見による誤認逮捕などでたびたび投獄された。1973年におこした殺人事件によって、強盗殺人の判決を受け、無期懲役が確定。少年院を含め投獄された年数を合わせると、約50年を拘禁されたなかで過ごした。現在、仮出所中。獄中で出会った政治囚らの影響を受け、独学で読み書きを獲得した。現在も、常に辞書を傍らに置いて文章を書きつづけている。