シャバに出てから──『智の涙』その後 第15回

第15回 アフエア

矢島 一夫

(ある日の出来事・仕事・問題)

アパートの隣室のOBちゃんは面白くて心根はいい奴だった。現役のやくざを気取りながらも寄る年波で体が思うように動かない。だから朝から焼酒くらってカラオケに夢中。飽きると道路側のエントランスで椅子に座りチビリチビリ呑むのを楽しむ。

公園の仕事が終り自室に帰る時、「いいね、朝からごきげんだね」と声をかけたわたしに、「おお、おつかれさん、みんながあくせく働らくこの時間に飲んで楽しむ。これがいいんだよな」とOBちゃんは笑った。

そして、「俺だって内装外壁の仕事は若い時から体が利かなくなるこの歳までやった。資金や土地を持ってる人間とか小利口な奴らは財産を増やして善人ぶってるじゃねえか。俺なんか建設業で自立しようと思い市役所に相談したが、見積書をチラッと見ただけで相手にされなかったぜ。高齢で体も不自由なざまだし、で結局生活保護を受けることで片付けられた。働らけどわが暮らし楽にならざりだ。だから長年の仕事でごつくなったこの手を見るたびに、この手で人を殴ったり役人に盾つくやくざもんでいようと考えたんだ。」

そして呑んでるそばを女性が自転車に乗って通ると聞こえよがしに「ああ俺はサドルになりてえな」と言って笑った。女性の自転車にスピードが加わった。

ああ~問題はそもそもどこにあるのか!

わたしは、「酒もいいけどよ、俺より7つも若いんだ、俺がいつも付いているから少しずつ鍛え直してみようぜ、いいガタイしてるんだからこのまま人生くすぶらせるのは勿体ないよ」と言った。そのうち、呑む時間帯には河川敷を散歩したり公園で軽いストレッチや筋トレをやるようになった。思想や哲学を学ぶ楽しさも話す。

だが酒と女には敗けた。少し障がいがあるようなMR子がOBちゃんの部屋に来る様子から事態は変った。2人のデカダンスの日々は、OBちゃんの下半身は車椅子に乗せる日々へと変った。それでもOBちゃんは意地と度胸があって車椅子が入れない公園のいくつかを入れるように市とかけ合った。駅のエスカレーターも車椅子で乗降できるようにした。コーヒー店や大型スーパーでは入場を拒まれるたびに、「これは身体障害者に対する差別じゃねえか、ふざけろ! 俺が歩けた時には、お客様は神様ですみたいなツラしやがって、電動車椅子は入店させないなんて許せねえ差別だ、一番偉い者(やつ)を呼んで来い!」と理詰めに話した。側で付き添いのMR子も、「そうよ、いいかげんにしなさいよ。昨日今日買物に来てんじゃないんだから……」と頑張った。

「時間やスペースの確保、サプルメント的に誘道する事で車椅子のお客さんと一般のお客さんがフレンドリーに買物を楽しむことだってできるでしょ!」と俺もおだやかに添えた。

三人寄れば文殊の智恵とは言い得て妙か? OBちゃん達は街角のコーヒー店も大型スーパーにも電動車椅子で楽しめるようになった。それまでは拒まれていたTJ線の電車で遠出する際にも車椅子での移動と行く先での職員介助が可能になった。OBちゃん頑張った!

そんな或る日のこと。MR子が「矢島さん便所が詰った時に使うスポイトがあるでしょあれ貸して」と飛び込んできた。「どうしたんだ」と聞くと「OBちゃんが喉に肉が詰っちゃったの」と言った。「何をバカな事言ってるんだ、すぐに救急車だ」と119番に至った。それから一ヶ月、植物人間と化したOBちゃんは還らぬ人となった。

MR子はOBちゃんが入院した晩にOBちゃんの持ち金を全て懐にして消えた。市役所のロビーで折り鶴をしていたMR子は「めぐまれない子にあげるんだ」と言っていたが、その優しさとかいがいしさを見ているだけに哀しかった。彼女の悪さを良さから逆転することも試みた。

「人間は誰でも日ごとに年をとる。明日は今日よりちょっと年をかさねている。とすると今日は明日よりちょっと若いことになる。今日のこの若さ大切にして自分のいい思い出にのこる日にしよう。」

そんな会話をした日もあったのに、自転車の空気を抜いたり、ガス栓を止めてしまったり、俺の可愛がってた植木の「金の成る木」(弁慶草)から50円や5円玉をかっぱらって行ったMR子。

OBちゃんの所へ来る道すがら地蔵さんや神社の賽銭箱を漁って来ると自慢気にうそぶく。「かわいそうな捨て猫を数10匹もめんどうみてる、自分の食う物も買えない時だってある。金がなけりゃある所からもらってくりゃいいんだ」と言ってケロッとしていた。自分第一で、何をやるべきかやっちゃいけないのかがわからなくなっている心のありよう。

金が無いと生きてはいけない社会なのは事実だ。だが金は何のために使うのか。そのために金をどうやって稼ぐのか。稼げる場所は何処にあるのか。稼ぐ能力がどの程度か。めしをどうやって食うのか。

かつてそれを考えるリテラシーも無かった俺は、そのくせ社会の「くう・ねる・あそぶ」の風潮にインフルエンスされていたからいろんな悪(みにく)いことをやってしまった。自分の置かれている事情と社会的な条件が交互作用して、罪を犯すまでに追い詰められてゆくことは確かだ。人間の弱さと社会事情の悪さ(弱肉強食・搾取と抑圧・資本主義ゆえの競争原理)が、格差を生み犯罪となって現にあらわれている。MR子はそれを体現していた。

OBちゃんは生前、部屋での雑談でこう言った。「俺の人生何だったんだ、朝早くから夜おそくまでシャカリキで働いたんだぜ、今のこったものは壊れた体と生活保護だとよ。それでも働けと言われ、収入があれば何割か国が取り上げちゃうだ。馬鹿くさくてやっていられるかってんだ。だからみんなが働いてる時間にこうして酒呑むのは、ザマアミロ浮き世のバカは起きて働けってんだ」と小気味よくまくし立てていたっけ……。

MR子は、その後知人達の話では、「精神病院よ」とか「刑務所らしいよ」との消息であった。良くも悪くも自分の手と足で道を造ることを復習させられた思いがする。2人をたすけられなかった苦味を抱えながら、これを書き殴った。

つまるところ、MR子は世間にある「どう生きようとわたしの勝手でしょ」の病の極みで、世間から消えるはめになった。シャカリキに生きてきたOBちゃんは、花も実もならない社会にケツをまくり、何でも上等だと開き直りつつ、あたり前の「市民」的生活の中で自滅した。

これらは特別な例ではないと思う。資本主義的社会が生み出した有形・無形の害悪の具現した例なのだ。

あなたはいま、どうしている?

 

 

[ライタープロフィール]

矢島一夫(やじま・かずお)

1941年、東京世田谷生まれ。極貧家庭で育ち、小学生のころから新聞・納豆の販売などで働いた。弁当も持参できず、遠足などにはほとんど参加できなかった。中学卒業後に就職するが、弁当代、交通費にも事欠き、長続きしなかった。少年事件を起こして少年院に入院したのをはじめ、成人後も刑事事件や警官の偏見による誤認逮捕などでたびたび投獄された。1973年におこした殺人事件によって、強盗殺人の判決を受け、無期懲役が確定。少年院を含め投獄された年数を合わせると、約50年を拘禁されたなかで過ごした。現在、仮出所中。獄中で出会った政治囚らの影響を受け、独学で読み書きを獲得した。現在も、常に辞書を傍らに置いて文章を書きつづけている。

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