第8回 江戸川乱歩『人間椅子』とさだまさし『風に立つライオン』
スージー鈴木
新潮文庫『江戸川乱歩傑作選』という短編集を手に取ってしまった。少し毛色の違うものを読みたくなったのだ。今回は、その中に収録されていた『人間椅子』。
私はこの文字列を、いわゆる「イカ天」に出場していたバンドの名前として先に知り、そして今からしばらく前に、NHK BSで放送されたドラマ『シリーズ・江戸川乱歩短編集』で見て、内容まで知っていた。
小説としての発表は1925年とのこと。そう、今年は「人間椅子100周年」という記念すべき年なのだ。
あらためて文字で読んで、内容の奇想天外さに驚く。「よくこんなことを思い付いたな」と驚かされる。楽しいなぁ。
話は、家具職人である「私」が「人間が中にもぐり込める椅子」を作るところから始まる。
――無論、そこ(註:椅子の中にある空洞)には、巌丈な木の枠と、沢山なスプリングが取りつけてありますけれど、私はそれらに、適当な細工を施して、人間が掛ける部分に膝を入れ、凭(もた)れの中へ首と胴とを入れ、丁度椅子の形に坐れば、その中にしのんでいられる程の、余裕を作ったのでございます。(中略)私はシャツ一枚になると、底に仕掛けた出入口の蓋を開けて、椅子の中へ、すっぽりと、もぐりこみました。
と、この段階で、江戸川乱歩という人のとんでもない発想に腰を抜かしてしまう。私たち凡人は、まだまだ修行が足りない。
そしてホテルに納入されたその椅子に自分が入り、外国人の女性の身体を、椅子の中から革ごしに感じることに夢中となる。
しかし椅子は、日本人の女流作家・佳子の家に売られてしまう。けれども「私」は、ホテルのときと同様に、椅子の中から佳子と触れ合うのを楽しむ。
そうしているうちに、次第に佳子に恋愛感情を持った「私」は、彼女に手紙を書く。そして佳子はその手紙を読む。手紙の内容は、以上の「人間椅子」の話を「創作」として批評してほしいというものだった――。
以上の私の拙い書きっぷりでは、ラストまで読んだ読者が呆気に取られてしまう感じが、伝わらないだろう。
要するに、椅子の中に入って、女性と触れ合って、佳子に好意を抱いたことが、事実なのか、単なる創作なのか、曖昧に終わってしまうのだ。ちなみに、最後の手紙とは、こんな感じ。
――突然御手紙を差上げます無躾 ( ぶしつけ )を、幾重にもお許し下さいまし。私は日頃、先生のお作を愛読しているものでございます。別封お送り致しましたのは、私の拙い創作でございます。御一覧の上、御批評が頂けますれば、此上の幸はございません。(中略)原稿には、態(わざ)と省いて置きましたが、表題は「人間椅子」とつけたい考えでございます。
そして、奇妙にエロティックな物語を、あくまで事実という前提でドキドキしながら追ってきた読者は「そう来たか!」「やられた!」と感服してしまう。よく出来ている。認めざるを得ない。100年前の作品なのに、楽しいなぁ。

日本を代表する2人の「オチ・マエストロ」
■さだまさし『風に立つライオン』のラストは何を歌っているのか
さて、音楽界において「そう来たか!」「やられた!」と思わせる音楽家は、私にとってはさだまさしである。歌詞のオチ(落語でいう「サゲ」)が、それはもう見事なのだ。
私とさだまさしとの出会いは早かった。何といっても、私が生まれて初めて買ったシングルが彼の『案山子』(77年)なのだから。
曲のラストに唸った最初の曲は、やはり『雨やどり』(77年)だろう。ご存じ、雨やどりで出会ったカップルが結ばれるという歌。最後は、こう締められる。
――気がついたら あなたの腕に雨やどり
若きさだまさし(25歳)が「上手いこと言うたった!」とほくそ笑んでいる姿が目に浮かぶ。私はまだ小5だったが「そう来たか!」「やられた!」と、小5は小5なりに感じ入ったものだ。
そういえば、こちらは中1だったが、『親父の一番長い日』(79年)のクライマックスも忘れられない。こちらは曲のラストではなく「中盤の最後」というような位置で炸裂する。
娘との結婚を申し込んだ男に、娘の父親がこういう言い放つ。
――わかった娘はくれてやる そのかわり一度でいい うばって行く君を 君を殴らせろ
結婚なんて、まったく現実的ではない中1だけれども、「そう来たか!」「殴っちゃうんか!」と中1は中1なりに感極まったものだ。
しかし、「さだまさし流オチ」の中の最高傑作といえば、『風に立つライオン』(88年)ではないだろうか(注:事前学習なしの丸腰で聴かなければ、オチの迫力が体感できないので要注意)。
歌詞は、ケニアのナイロビで医療活動に従事する男性が、自分に手紙をくれた、日本にいる元恋人に書く返事という設定。
歌の途中では、元恋人や日本に未練がありそうな素振りなのだが、曲の最後、いや「最后」にトラップが潜ませてある。
――最后になりましたが あなたの幸福を 心から遠くからいつも祈っています おめでとう さようなら
ラストの「おめでとう さようなら」で、私のように鈍感な聴き手は、一瞬つまずくのである。「何だよ、これ」と。ある意味、対極の意味を持つ2つの言葉が並列しているのだから。
そして少しばかり考えて、「あ、これは元恋人が、新しい誰かと結婚することを手紙で報告したという話なのか! だから『おめでとう さようなら』なのか!」と気付き、ポンと膝を打つのだ。
「そう来たか!!」「やられた!!」――一瞬つまずいて考えた分「!」が1つ増える。「さだまさし流オチ」の最高傑作。
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この連載のために、日本文学の名作を読み続けているが、ラストが、何というか、ふわーっと終わるのが多いような気がする。
江戸川乱歩やさだまさしみたいに「そう来たか!」「やられた!」と思わせる見事なオチなど、文学的ではない、洗練されていないという観念があったのではないだろうか。
しかし私は、見事なオチを愛でる者である。もっと言えば、オチによって作品を記憶する者である。エンタテインメントとは、そもそもそういうものなのではないか。
――以上の私の文章とかけて、イライラしている人と解く。その心は――江戸川乱歩やさだまさしに比べて「落ち着かない(オチ付かない)でしょう」。
[ライタープロフィール]
スージー鈴木(すーじーすずき)
音楽評論家、小説家、ラジオDJ。1966年11月26日、大阪府東大阪市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。音楽評論家として、昭和歌謡から最新ヒット曲までを「プロ・リスナー」的に評論。著書・ウェブ等連載・テレビ・ラジオレギュラー出演多数。
著書…『大人のブルーハーツ』(廣済堂出版)、『サブカルサラリーマンになろう』(東京ニュース通信社)、『〈きゅんメロ〉の法則 日本人が好きすぎる、あのコード進行に乗せて』(リットーミュージック)、『弱い者らが夕暮れて、さらに弱い者たたきよる』(ブックマン社)、『中森明菜の音楽1982-1991』(辰巳出版)、『幸福な退職 「その日」に向けた気持ちいい仕事術』『サザンオールスターズ 1978-1985』『桑田佳祐論』(いずれも新潮新書)、『EPICソニーとその時代』(集英社新書)、『EPICソニーとその時代』(集英社新書)、『平成Jポップと令和歌謡』『80年代音楽解体新書』『1979年の歌謡曲』(いずれも彩流社)、『恋するラジオ』『チェッカーズの音楽とその時代』(いずれもブックマン社)、『ザ・カセットテープ・ミュージックの本』(マキタスポーツとの共著、リットーミュージック)、『イントロの法則80’s』(文藝春秋)、『カセットテープ少年時代』(KADOKAWA)、『1984年の歌謡曲』(イースト新書)など多数。