スージー鈴木のロックンロールとしての日本文学 第11回

第11回 森鴎外『ヰタ・セクスアリス』と岡村靖幸『靖幸』の関係

スージー鈴木

今回は森鴎外の『ヰタ・セクスアリス』。一文字目の「ヰ」を変換するのに時間がかかったことを付記する。

この連載では『雁』に続いての森鴎外作品だ。森鴎外がフィクションの形を取りながら、自身の性遍歴を綴るという、実に奇妙な一冊。中には、寄宿舎内での同性愛を表した部分もあり、なかなかにあけすけな筆致である。

ただ、令和の時代に、明治の文豪が語る性遍歴、それも極めて抑制的に綴られるのが面白かろうはずもない。文庫本でたった123ページだったが、退屈に耐えかねたことも付記しておく。

そこで読み方を変えてみる。これは面白い小説を書くという目的のために性遍歴を綴ったのではなく、性遍歴を綴ること自体が目的だったのではないかと捉え直して。

あけすけに、かつ抑制的に性遍歴を文字にすることの衝撃。この作品を掲載した文芸誌『スバル』が発売禁止処分を受けたのだから、その衝撃たるや、そうとうなものだったのだろう。

では、当時47歳の森鴎外がなぜ、そんな物騒なことをしでかしたのか。

ひとつには、性を語ることが、当時の日本であまりにも禁忌になっていたことがあろう。加えて、その反作用として一部の「自然主義文学」が、あまりにも極端な性原理主義になっていたこともありそうだ。

――金井君(註:森鴎外自身のメタファーのような主人公)は自然派の小説を読む度に、その作中の人物が、行住坐臥造次顛沛、何に就けても性欲的写象を伴うのを見て、そして批評が、それを人生を写し得たものとして認めているのを見て、人生は果してそんなものであろうかと思うと同時に、或は自分が人間一般の心理的状態を外れて性欲に冷澹であるのではないか、特に frigiditasとでも名づくべき異常な性癖を持って生れたのではあるまいかと思った。

「自然主義の連中が、とにかくエロエロセックスばかり書きやがり、それを批評家が、そうだそうだエロエロセックスこそが人生だともてはやすのを見て、俺は、おいおいほんまにそうなんか、そして自分が不感症なんやないかと思い始めた」ぐらいの意味だろう。

まとめれば「エロなんて、それこそが特別、エロこそがすべてなどと祭り上げるのではなく、もっと平熱で書けばええんちゃうの?」という問題意識を持った結果として、この作品を書いたのではないだろうか。

ただ「平熱のエロエロセックス」が、面白いかどうかは別問題で、森鴎外も、自身による「平熱エロエロセックス物語」(=『ヰタ・セクスアリス』)がつまらなかった、という感想を表明するような、自虐的なエンディングにしているのだけれど。

この並びのなんと神々しいこと!

  • 「1989年のヰタ・セクスアリス」の衝撃

日本の音楽シーンにおいて、エロエロセックスをあからさまに歌ったのは、岡村靖幸が初めてだったと言っても、異論は少ないだろう。

とりわけ、1989年のアルバム『靖幸』の衝撃たるや、そのちょうど80年前(1909年)に発表された『ヰタ・セクスアリス』がもたらした衝撃と張るのではないか。

そんな「1989年のヰタ・セクスアリス」としての代表曲を1曲挙げるとすれば、『どんなことをして欲しいの僕に』だ。中で語られるセリフがふるっている。

――ねえ 君のパンツの中で泳がせてよ 綺麗な水飛沫をあげながら バタフライしたいよ

当時23歳の若き音楽家が、こんなエロセリフを「普通のポップ音楽」の中に放り込んだ。そして私含む当時の岡村靖幸ファンは、こういうのをギラギラ欲情しながら聴いていた、のでは決してなく、半笑いで「しょうがねーなー」(ビートたけし風アクセントで)と言いながら聴いていたのだ。

言い換えると、微熱でも高熱でもなく平熱で聴いていた。つまり私たちが楽しんでいたのは、岡村靖幸による、森鴎外同様の「平熱エロエロセックス物語」だったのである。

話は飛ぶが、日本において、エロエロセックスの扱い方を極端にしたのは、明治維新ではないか。というのは、古典落語なんかを聴いていると、江戸時代の人々は、もっと、あっけらかんと平熱でエロエロセックスを取り扱っていたとという感じがするからである。

それが「脱亜入欧」によって、キリスト教的(禁欲的)倫理観が持ち込まれ、エロエロセックスが禁忌なものになってしまった。逆にその強い反動として、自然主義文学が日本では「蒲団の上で女の残り香を嗅ぐエロエロ文学」になってしまった。

という極端なバランスの中、1909年に47歳の森鴎外が起こし、ちょうど80年後の1989年、23歳の岡村靖幸が受け継いだ(なんて意識など、岡村本人にはまずなかっただろうが)「平熱エロエロセックス運動」「平熱エロエロセックス主義」――。

そして令和の今。これまでに比べて、性の語られ方が少しずつオープンになってきたと感じる。

性加害や性被害について、いたずらに秘匿されるのではなく、しっかりと冷静に報道されるようになったし、また、性教育や、例えば生理の話を、もっとオープンに平熱で取り扱おうという動きもある。

いいことなんじゃないか、と思う。

というのは、「エロエロセックスがそんなに大層なものかよ」、と強く思うからだ。ま、私自身、年を取ったことも影響しているだろうが。

秘匿すべきもの、逆に高熱で語られるべきもの。そんなに大げさかつ極端に取り扱うべき大層なものかよ、という気分。もっとオープンに、そしてもっと平熱に。

最後に、渋谷陽一『音楽が終わった後に』(ロッキング・オン)から、1975年、若い時分の渋谷(この年24歳)が、当時大人気のクイーンの追っかけ(当時風にいえば「グルーピー」)に向けて書いた文章を引用して締める。

――ホテルにおしかけ、寝るチャンスを待つ、あるいは個人的に会えるように走り回るというのは、やっぱりどっちかといえばつまらない事だと思う。だって僕達は会って話すとか、セックスとかの持つもどかしさに絶望して音楽に向かったはずではないか。

47歳の森鴎外、23歳の岡村靖幸、24歳の渋谷陽一を経て思うのは、エロエロセックスについて、息を吸って吐くように普通に、そして平熱で書こう・歌おうということだ。

それが令和のヰタ・セクスアリスになる。

[ライタープロフィール]

スージー鈴木(すーじーすずき)

音楽評論家、小説家、ラジオDJ。1966年11月26日、大阪府東大阪市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。音楽評論家として、昭和歌謡から最新ヒット曲までを「プロ・リスナー」的に評論。著書・ウェブ等連載・テレビ・ラジオレギュラー出演多数。

著書…『大人のブルーハーツ』(廣済堂出版)、『サブカルサラリーマンになろう』(東京ニュース通信社)、『〈きゅんメロ〉の法則 日本人が好きすぎる、あのコード進行に乗せて』(リットーミュージック)、『弱い者らが夕暮れて、さらに弱い者たたきよる』(ブックマン社)、『中森明菜の音楽1982-1991』(辰巳出版)、『幸福な退職 「その日」に向けた気持ちいい仕事術』『サザンオールスターズ 1978-1985』『桑田佳祐論』(いずれも新潮新書)、『EPICソニーとその時代』(集英社新書)、『EPICソニーとその時代』(集英社新書)、『平成Jポップと令和歌謡』『80年代音楽解体新書』『1979年の歌謡曲』(いずれも彩流社)、『恋するラジオ』『チェッカーズの音楽とその時代』(いずれもブックマン社)、『ザ・カセットテープ・ミュージックの本』(マキタスポーツとの共著、リットーミュージック)、『イントロの法則80’s』(文藝春秋)、『カセットテープ少年時代』(KADOKAWA)、『1984年の歌謡曲』(イースト新書)など多数。

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