スージー鈴木のロックンロールとしての日本文学 第15回

第15回 坂口安吾『堕落論』とユーミンと貧乏くささと

スージー鈴木

 

  • ロックンローラー安吾のアンガー

坂口安吾の『堕落論』。1946年に発表されたという。つまりは戦後すぐ、戦禍の跡がまだ生々しく残っていたであろう頃に、この文章は、たいそう刺激的だったろう。

今回は『堕落論』に続く『続堕落論』の中のこのあたりを拾ってみる。言葉はややお硬いが、読み取れなくはないので是非。

――日本の兵隊は耐乏の兵隊で、便利の機械は渇望されず、肉体の酷使耐乏が謳歌せられて、兵器は発達せず、根柢的に作戦の基礎が欠けてしまって、今日の無残極まる大敗北となっている。あに兵隊のみならんや。日本の精神そのものが耐乏の精神であり、変化を欲せず、進歩を欲せず、憧憬讃美が過去へむけられ、たまさかに現れいでる進歩的精神はこの耐乏的反動精神の一撃を受けて常に過去へ引き戻されてしまうのである。

いいなぁ、これ。

「便利」よりも「肉体の酷使耐乏が謳歌」されて「大敗北」したと、はっきりすっぱりと語る坂口安吾。まだまだ行くぞ、安吾は。

――必要は発明の母という。その必要をもとめる精神を、日本ではナマクラの精神などと云い、耐乏を美徳と称す。一里二里は歩けという。五階六階へエレベータアなどとはナマクラ千万の根性だという。機械に頼って勤労精神を忘れるのは亡国のもとだという。すべてがあべこべなのだ。

「『おいこら歩けよ、エレベーターに乗るのなどナマクラだ……』なんて言ってたから、戦争に負けたんだよ、馬鹿」

翻訳すればこんな感じか。実際に「馬鹿」と書いているわけではないが、「馬鹿」いう2文字が、行間から浮かび上がってくるようではないか。

――ボタン一つ押し、ハンドルを廻すだけですむことを、一日中エイエイ苦労して、汗の結晶だの勤労のよろこびなどと、馬鹿げた話である。しかも日本全体が、日本の根柢そのものが、かくの如く馬鹿げきっているのだ。

あ、「馬鹿」が出てきたわ。

言いも言ったり、書きも書いたり、坂口安吾! 私が当時若者なら、すべてを捨てて、安吾に心酔したと思う。

この連載も15回を数えたが、今回の『続堕落論』は、これまでの中で、もっともロックだ。

そして感じるのは、「安吾ロック」の向かう先は、安吾のアンガー(=怒り)の矛先は「この国は貧乏くさいんだよ」「貧乏くさいの、やめようぜ」ということだったのではないか、ということである。

「『耐乏』『酷使』『勤労精神』『エイエイ苦労』、そういうの、日本人好きだったよな。でも、そういう貧乏くさい感覚こそが、戦争大敗の原因で、この日本をボロボロにしたんじゃないのか――馬鹿」

そう書いている、いや、そうシャウトしているように感じたのだ。

貧乏くささを嫌った日本二大アーティスト

  • あの頃のユーミンのフォーク観

日本ポップス史の中で、同じく「貧乏くさいの、やめようぜ」と、もっとも早く、もっとも大きな声で歌ったのは、ユーミンだろう。

83年に刊行された自著『ルージュの伝言』(角川書店)で、70年代のフォークに関して、はっきりすっぱりと語っている。

――関係ない話かもしれないけど、四畳半フォークって言葉、私が考え出したんだよ。有閑階級サウンド、中産階級サウンドっていうのも私が命名したの。

つまりは当時大人気のフォークは「四畳半」っていう感じに貧乏くさくって、逆に自分の音楽は、それとはまったく違う「有閑階級」「中産階級」の音楽だと宣言しているのだ。なかなかに坂口安吾的である。同書からの次の引用を読めば、話はさらに分かりやすくなる。

――私、吉田拓郎って名前しか知らなかったもの。興味なかったしね。だんだん騒がれ出して、女拓郎とかいわれるようになって、なんだこれは、と思っていろいろ聴いてみたんだもの。でも、私のやったことは、やっぱり彼らがやったこととはまったく別だと思ったよ。拓郎やかぐや姫なんかと私はちがう、って思った。

それにしてもちょっと口が悪いな(笑)。でも、よく読んだら、ユーミン、間違ったことなど、何一つ言ってはいない。

さて私は、70年代後半のユーミンのありようを、当時小学生ながら、うっすらと憶えている。日本人の生活よりも、ちょっと豊かで、手の届きそうで届かない世界を描く人、というイメージ。

そして80年代後半のユーミンのありようは、当時大学生なのだから、こちらはもう、はっきりと憶えている。

バブル経済の波にも乗って、日本が豊かになって、ドライブしてリゾートに行って、ちょっといいワインを飲んで、ちょっといいホテルに泊まる――。

ユーミンの描く歌詞世界が、日本人の実生活のレベルと、ようやっと一致し始めた結果、アルバムがいとも簡単に100万枚売れちゃう人、というイメージだった。

  • 貧乏くささと戦うリベラルに

それからの「失われた30年」を経て思うのは、80年代後半の「バブルユーミン」「キラキラユーミン」の時代が、単純に懐かしい、異常にうらやましいということだ。

ユーミンが売れに売れていた時代、彼女の音楽に対しては、「資本主義的」「プチブル(ジョア)的」という批判が、ずっと付きまとっていたように思う。あと「OLの恋愛の教祖」的な、ちょっと表面的な取り扱われ方も。

ただ最近の、排外主義、差別主義、「貧しい者たちが夕暮れ、さらに貧しい者を叩く」的な、つまりは、ちっとも穏やかじゃない、あまりにも貧乏くさい世情の中にいると、私の中で「安吾アンガー」が燃えたぎるのを感じるのだ。

「そういう貧乏くさいの、やめようぜ、馬鹿」と。

そして同時に、ユーミンの歌詞世界と日本人の実生活とが一致したあの時代が、懐かしく、うらやましく思えてくるのだ。

誤解を怖れず言えば「資本主義的」「プチブル的」なんて最高じゃないか。

あと「OLの教祖」も悪くないな。だって制服着せられて、コピー取りにお茶くみばかりだったかもしれないけれど、彼女たち、一般職とは言え、非正規ではなく、正社員だったんだよ。

「清貧」――私のいちばん苦手な言葉です。「一億総中流」――今から考えたら、いい言葉です。

最後に言っておきたいのは、排外主義、差別主義と戦う側、つまりは貧乏くささと戦うリベラルの側こそ、ドライブしてリゾートに行って、ちょっといいワインを飲んで、ちょっといいホテルに泊まっていてほしいということだ。

いや、実際はそうでなくても、そういうユーミン的なムードの中にいるフリだけでもしてほしい。少なくともハッピーに、スマートに、まるでスーッとエレベーターに乗るように。

だって、あなた方が、つまり我々が戦っているのは、ユーミン的なムードの対義語としての「貧乏くささ」なのだから。

例えば、選挙運動のバックにユーミンをかければどうですか? 曲は――『幸せはあなたへの復讐』(88年)とか。「あなた」を「貧乏」に替え歌して。

[ライタープロフィール]

スージー鈴木(すーじーすずき)

音楽評論家、小説家、ラジオDJ。1966年11月26日、大阪府東大阪市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。音楽評論家として、昭和歌謡から最新ヒット曲までを「プロ・リスナー」的に評論。著書・ウェブ等連載・テレビ・ラジオレギュラー出演多数。

著書…『沢田研二の音楽を聴く1980-1985』(日刊現代)、『大人のブルーハーツ』(廣済堂出版)、『サブカルサラリーマンになろう』(東京ニュース通信社)、『〈きゅんメロ〉の法則 日本人が好きすぎる、あのコード進行に乗せて』(リットーミュージック)、『弱い者らが夕暮れて、さらに弱い者たたきよる』(ブックマン社)、『中森明菜の音楽1982-1991』(辰巳出版)、『幸福な退職 「その日」に向けた気持ちいい仕事術』『サザンオールスターズ 1978-1985』『桑田佳祐論』(いずれも新潮新書)、『EPICソニーとその時代』(集英社新書)、『EPICソニーとその時代』(集英社新書)、『平成Jポップと令和歌謡』『80年代音楽解体新書』『1979年の歌謡曲』(いずれも彩流社)、『恋するラジオ』『チェッカーズの音楽とその時代』(いずれもブックマン社)、『ザ・カセットテープ・ミュージックの本』(マキタスポーツとの共著、リットーミュージック)、『イントロの法則80’s』(文藝春秋)、『カセットテープ少年時代』(KADOKAWA)、『1984年の歌謡曲』(イースト新書)など多数。

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