あてにならないおはなし 第19回

阿部寛

1984年春、横浜「浮浪者」連続暴行致死傷事件の調査研究のため、寄せ場(簡易宿泊所街)寿町へフィールドワークに出かけた。これが、その後のわが人生の分岐点となった。
今回は、この致死傷事件について、当時の新聞報道や専門家のコメントを再読しながら現時点での私自身の見解を述べたいと思う。

1982年暮れから1983年2月まで、寿町周辺で野宿していた人たちが、何者かによって連続襲撃される事件が発生していた。その一つ、2月5日夜に山下公園で野宿していた須藤泰造さん(60歳、青森市出身)が殺害された事件に関して、1983年2月12日に16歳の無職の少年が警察に逮捕された。その後の捜査で襲撃グループは合計10人(のちに15名まで膨らんだ)の中高校生・無職の少年たちであり、被害者はすべて「浮浪者(野宿者)」で、3人が死亡、多数の重軽傷者(実数不明)がいたことが判明した。犯人が、14〜16歳の少年たちであったため、前代未聞の非行事件として連日連夜、新聞・テレビ等で大々的に報道された。同様の事件は、約10年ほど前から続いていたという。
警察発表をもとにした当時の新聞記事を拾い読みしてみると、少年たちの動機については、次のような記載があった。

「おもしろ半分」「遊び」「抵抗しない、と次々」対立関係にあった「他のグループと対決前に、けんかの訓練だった」「プータロウ(「浮浪者」のこと)はくさくて汚い。地下街を掃除してやっただけ」

また、この事件に寄せられた識者たちのコメントは、以下のようなものだった。

「これまで聞いたことのない驚くべき事件。集団による一種の弱い者いじめといった残虐の心理があり…日ごろの不満、うっぷんが、このような予想もつかない事件につながった」
「人間として卑劣で残酷なことですが、それが一つの遊びになっている。……残虐になる一つの理由は、近ごろの子どもが「手ごころ」を加えることを知らないせいもある」
「最近の青少年の人格的特徴は、①自他に未分化が顕著、②自己を対象化することが難しい。…「いじめっ子」の行動がエスカレートした」

そして、「狂気の弱い者いじめ」と集約されていく。世の関心は、少年たちの性格や学校の成績、家庭環境、学校の対応などに集中していく。

一方、政治の場面では、「非行」「戦後の学校教育」や「管理教育の不備」の問題としてテーマ化され、国会や県・市議会で論議されていく。時あたかも、第2次中曽根政権の時代で「戦後政治の総決算」「日本列島を不沈空母とする」との右傾化、軍国主義化の発言が公然となされ、臨時行政調査会が国鉄・電電・専売三公社の分割・民営化による労働組合つぶしを内容とする基本答申が決定された。
そして、「浮浪者」殺傷事件は、管理教育の強化、憲法を柱とする民主教育から天皇制を柱とする戦前の教育の復活を訴える口実とされた。
また、事件発生の現場周辺では、少年たちに対しては、たまり場となっているアパート等をつぶしていくローラー作戦が展開され、被害者となった野宿者に対しては、寝床となっている山下公園、地下鉄通路、横浜スタジアムなどからの徹底排斥、公園のベンチには横木が打ち付けられ、段ボールの廃棄などが強行された。
横浜市議会では、「浮浪者は国際観光都市ヨコハマにふさわしくない」と言い放った議員がいたが、非難された形跡はない。

本事件については、加害少年たちの生活状況、「浮浪者」の実態、受験競争の場と化した学校教育、事件の背景である資本主義社会と産業構造、日雇労働者の生活実態、「学ぶことと生きることの乖離」など多様な観点からアプローチした青木悦の良書『「人間」を探す旅』(民衆社、1984年)があり、ぜひ読んで欲しい。

しかし、わたしは「浮浪者」ということばと、加害少年が語ったとされる「街のゴミを片付けた」ということばにこだわって、もう一歩踏み込んで考えてみたい。
1983年2月5日午後10時ごろ、山下公園の売店の軒下で寝ていた須藤泰造さんは、10人ほどの少年たちに襲撃され、殴られ、蹴られ、上からジャンプして踏みつけられ、肋骨がぐしゃぐしゃになるまで攻撃され、そのうえ掃除用のゴミ箱に入れられ、引きずり回された、という。しかし、少年たちの証言によれば、須藤さんは、最初にゴミ箱に入れられていた。少年たちは、野宿している「浮浪者」を「町のゴミ」「黒いかたまり」として認知して「片付けた」。「地下街はぷうたろうがいるから酒臭く汚い。退治しよう」と言った。警察や検察での取り調べのときも、家庭裁判所の審判においても、少年たちは、人間を残虐な方法で殺害したという自覚がなく、むしろなぜ逮捕され、大事になっているのかよく分からない、と証言している。
さらに注目すべき点は、加害少年たちと抗争関係にある非行少年グループ「中華連合」は、中華街周辺を縄張りとし、その構成メンバーには在日コリアンが多かった。「朝鮮野郎にやられるなんて、あったまくる」と決闘の前哨戦として「浮浪者」を襲ったということが判明した。
ヨコハマ地方検察庁は、一連事件について「集団心理による、心情的に幼児性を脱していない犯行」であり、殺意はなかったと判断し、刑事処分を求めないこととし、少年たちを家庭裁判所に送致した。横浜家庭裁判所の決定は、検察意見を上回り、9人を少年院送致、1人を教護院送致とする保護処分であった。もしも、被害者が「浮浪者」でなかったら、警察は捜査本部を設営し、徹底した捜査をしたのではないだろうか。検察も家庭裁判所も「殺意なし」とはしなかったのでないだうか。
同じ時期に、東京都町田市の公立中学校で、教師が所持するカッターナイフで生徒に切りつける事件が発生している。被害者となった生徒は、「被爆者」である加害教師に対して、執拗に差別発言を浴びせていたという。

二つの事件は、少年たちの「遊び」でも、幼児性の心理の表れでもない。弱い者を徹底的に攻撃し、殺戮して片付けるファシズムと「戦争」そのものだ。生命体としての人間は、汗、涙、唾液、体臭、垢、おしっこ・ウンコ、を日々放出することを必然とする。もしかしたら、浮浪者、障害者、高齢者、赤ん坊、幼児が攻撃され抹殺の対象となるのではないか。現にそのような事件は起きている。
戦争や差別への反省もなく、責任も取らずに来た日本国家と国民の生きざまが、二つの事件に色濃く刻印されている。

果たして、加害少年たちと被害浮浪者たちは、わたしであり、あなたではないだろうか。
少年にも浮浪者にも固有名詞と人生を取り戻したい。

(つづく)

[ライタープロフィール]
阿部寛(あべ・ひろし)
1955年、山形県新庄市生まれ。生存戦略研究所むすひ代表。社会福祉士。保護司。
20代後半から、横浜の寄せ場「寿町」を皮切りに、厚木市内の被差別部落、女性精神障害者を中心とするコミュニティスペースで人権福祉活動に取り組む。現在は、京都を拠点として犯罪経験者・受刑経験者、犯罪学研究者、更生保護実務者等とともに、ひとにやさしい犯罪学、共生のまちづくりを構想し共同研究している。

タイトルとURLをコピーしました