取材・文 伊藤ひろみ
顔写真・商品写真提供 ノムノムコーヒーアンドバレル
結婚、出産、転勤、転職、さらに離婚、再婚……。さまざまな人生の転機に、生き方や活躍の場を模索する人たちは多い。しかし、自身で新しくビジネスを立ち上げるのは、容易なことではない。近年、自らの夢を叶えるべく起業した女性たちを取材。明るく前向きに努力を続ける姿は、コロナ禍における希望の光でもある。彼女たちの生の声を聞き、その仕事ぶりや日常に迫る。
キッチンカーで淹れる極上の一杯
ノムノムコーヒーアンドバレル 代表
鍬田綾乃さん
飲食店や外食関連企業は、新型コロナウイルス感染拡大により大きな影響を受け続けている。緊急事態意宣言やまん延防止等重点措置に伴う営業自粛や時短要請などは、売り上げや利益にも直結する深刻な問題。2021年9月以降、かなり落ち着いてきているとは言うものの、感染対策を徹底しながら、微妙なバランスの中での営業を迫られているのが実情だろう。
そんなコロナ禍で奮闘しているのは、ノムノムコーヒーアンドバレルの鍬田綾乃さん(49)。キッチンカーでコーヒーや軽食を販売している。スタートしたのは、パンデミック前の2019年11月。くしくも、起業して3〜4か月が過ぎたころ、コロナ感染拡大が深刻になった。

コーヒーとの出会いが新しいビジネスへとつながった鍬田さん。
もともとはイベントを手がける企業で企画業務を担当した。仕事はきつかったが、働き甲斐もあり、結婚、第一子出産後も仕事を続けた。二人目の子どもを産み育休を取った後、職場復帰するのに迷いが生じた。2人の子どもを育てながら、フルタイムでハードな仕事をこなすのは無理なのではないかと。30代半ばになり、体力的にも無理がきかなくなってきている。ここでいったん仕事は辞めよう——現状を冷静にふまえて出した答えだった。
やがて3人の母となった。子育てしながらでも楽しめる何かをと、アロマテラピーを習い始めた。趣味として飛び込んだ世界だったが、好きが高じ、講師の資格を取った。やがて自宅やカルチャーセンターなどで教えるまでになったが、このまま続けることにどこか不安も感じていた。
そんな鍬田さんのキャリアを大きく転換させるきっかけとなったのは、2019年1月のこと。友人に誘われ、初めてカンボジアを旅した。町の活気や現地の人々のパワーに圧倒され、すっかりその魅力に惹き込まれてしまう。「カンボジアの熱気にあてられたんです」と、はにかむ鍬田さん。さらに、ここで出会ったコーヒーが、その後のビジネスにつながっていく。
コーヒー豆は大きくアラビカ種とロブスター種に分かれる。前者は比較的高い場所で栽培される品種で、後者は標高約500m以下の低地栽培のもの。カンボジアで栽培しているのは、主にロブスター種だった。世界的に評価が高いアラビカ種に比べ、ロブスター種は苦み成分が強いなどと敬遠されがち。カンボジアの人々が手間暇かけて育てている品種は、コーヒー市場で買いたたかれているのが実情だった。品種にこだわらず、工夫次第でおいしく味わうことはできないだろうか。少しでも農家の人たちを助けることはできないだろうか。カンボジアの旅でそんな思いを抱くようになった。

コーヒーはすべてハンドドリップ仕立て。 (下左)チョコココナッツラテ、(下右)ほうじ茶ハープブレンド・ローズ&グローブ
そんな折、雑司ヶ谷にある大鳥神社との接点も起業へと舵を切る大きなきっかけとなった。偶然にも、宮司さんの妻とはママ友つながり。彼女から境内でくつろげる場所を作りたいという相談を受けていたところだった。何か手立てはないものかと調べていているうち、キッチンカーのことを知った。友人への情報提供と思っていたが、意外な流れに。なんと鍬田さん自身がひと肌脱ぐことになったのである。

出店場所のひとつ、大鳥神社にて。移動、調理、販売など、ひとりですべてを切り盛りしている。
カンボジアで出会ったコーヒー、キッチンカーという販売スタイル。偶然ともいえる出会いが鍬田さんの中でつながり、新しいビジネスへの道へと突き進む。
まずは車の調達から。自動車販売の仕事をしている親戚の協力で、手ごろな車両を手配してもらった。内装は夫の助けを借りることができた。おかげで、鍬田さんは、何を売るか、どう売るか、そのことに専念できたことはありがたかったという。資金不足が心配だったが、なんとか自前でスタートできた。また、キッチンカーの販売セミナーなども受講し、基本的なノウハウも身に着けた。
現在、週4日ペースで、大鳥神社、目白台公園のほか、その他イベントエリアなどで出店している。もともとはおいしいコーヒーを売りたいという思いから始めたが、紅茶、ほうじ茶など飲み物のバリエーションも増やし、ホットドッグやカレーのランチメニューも扱うようになった。

ホットドッグやスパイシーカレーなどランチメニューも扱うようになった。オンラインでも対面でも多くのファンに支えられている。
店舗を構える飲食店とは異なり、キッチンカーならではのよさ、難しさがある。許可はいるものの、出店する場所はオーナー次第。営業時間も休日もフレキシブルに設定できる。自由裁量の幅が広い分、どこで何をどのように売るかが悩ましい。鍬田さんひとりで何役もこなしながら、自分なりのスタイルを模索する日々が続いている。出店先などで出会った同業者から貴重な情報を得ることも少なくないそうだ。
メニューの横には、「コーヒーはハンドドリップでお作りします。時間帯によってはお時間をいただく場合があります。ゴメンナサイ」との表示。おいしいコーヒーを提供したいという強い思いがあるものの、それを伝える苦労も垣間見える。そんな中でも、散歩の途中にたまたま立ち寄り、ファンになってくれるお客さんも増えつつあるという。
くしくもコロナ禍で注目が高まるビジネススタイル。だが、集客と収益に結びつけるのは、容易ではない。出店する先々で、いかにリピーターを増やすかが勝負。今後は、新しい場所への出店も検討しているという。
起業に向けて一気に加速したキッチンカーは、次なるステップへと走り始めている。
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[ライタープロフィール]
伊藤ひろみ
ライター・編集者。出版社での編集者勤務を経てフリーに。航空会社の機内誌、フリーペーパーなどに紀行文やエッセイを寄稿。2019年、『マルタ 地中海楽園ガイド』(彩流社刊)を上梓した。インタビュー取材も得意とし、幅広く執筆活動を行っている。立教大学大学院文学研究科修士課程修了。日本旅行作家協会会員。