「起業」女子 〜コロナ禍でも前向きに生きる〜 第21回

結婚、出産、転勤、転職、さらに離婚、再婚……。さまざまな人生の転機に、生き方や活躍の場を模索する人たちは多い。しかし、自身で新しくビジネスを立ち上げるのは、容易なことではない。近年、自らの夢を叶えるべく起業した女性たちを取材。明るく前向きに努力を続ける姿は、コロナ禍における希望の光でもある。彼女たちの生の声を聞き、その仕事ぶりや日常に迫る。

ついにたどり着いたパティシエールという「天職」
レ・パティスリー・ド・ユミ オーナー
斉藤友美さん

取材・文 伊藤ひろみ
写真提供 レ・パティスリー・ド・ユミ

 

自分の会社を持ちたいと願う人にとって、起業のための資金調達は、乗り越えなければならない大きなハードルのひとつだろう。

2021年7月、斉藤友美さん(50)はパティシエールとして、レ・パティスリー・ド・ユミを興した。起業した当初はカフェのキッチンなどを借りて、お菓子を作っていたが、次第に自分の厨房を持ちたいと思うようになった。そのためにはまとまった資金を準備しなければならない。それを工面するために、クラウドファンディングという手法を選んだ。公開日わずか4日後に目標金額225万円を突破。お菓子作りへのこだわりとその技術の高さが伝わったからだろうか。多くの支援者たちの熱いエールを受け、最終的には、350万円という支援金が集まった。その結果、こだわりの厨房設備を整えることができたのである。

「至高の焼き菓子を全国に届けたい」と第2の人生をパティシエールとしてスタートした

 

斉藤さんは父の仕事の関係で、1歳から5歳までパリ、中学1年の秋から高校3年の夏までは、メキシコで暮らした。日本の幼稚園に通っていたときは、協調性がないと指摘されショックを受けたり、小学校では、自己主張が強すぎると言われたりと、異なるカルチャーに戸惑うこともしばしばだった。だが、海外生活で得たものは、マイナスばかりではなかった。

美食家の祖父の影響で、祖母は料理の腕を磨き続けた。そんな家庭で育った母もまた料理上手。外食はせず、お総菜もお菓子もすべて母が手作りした。味覚が決まるであろう時期にパリでの暮らしたことも、彼女の舌に大きな影響を与えた。しかし、この恵まれた環境を、なかなか自身の仕事に生かせなかった。

大学卒業後、現代美術を扱う画廊に就職し、経理業務などに携わった。そのころは、画商に興味があったからだ。しばらくして、肌に合わない職場だと気づいた。だが、就職氷河期で簡単に希望する転職先が見つかるとは思えなかったこと、一度辞めると転職を繰り返す友人たちが多かったことなどを思うと、次への一歩が踏み出せなかった。何より「辞めてどうする?」という父の言葉が強く胸にささり、気持ちも萎えた。

画廊を卒業するのに10年かかった。今度は一般的な事務の仕事をしたいという思いが強くなり、官庁の非常勤職員として政府広報の仕事に携わった。その後、印刷会社などでも働いたが、長くは続かなかった。

そのころ、料理の才が秀でていた母は、フランスで修行を重ね、フランス料理研究家として、とりわけ日本女性初のショコラティエ―ルとして活躍するようになっていた。事務の仕事をしていた時代にも、バレンタインデーのシーズンなどには、多忙な母の仕事を手伝うこともあった。「手に職を持っている人は強いな」と母の背中を見て思った。

すでに40歳を迎え、容易に転職もままならない年齢にさしかかっていた。結局、母の元で仕事を再開。焼き菓子作りを担当した。料理やお菓子作りという共通項はあるものの、母娘という濃密な関係が、ときに重くのしかかった。

4年後、母から巣立つ決断を下す。パティシエールとして、結婚式場での仕事を見つけた。だが、肝心な点で斉藤さんの琴線に触れなかった。その結婚式場で提供されるお菓子が、どれもおいしくなかったからだ。皮肉にも、改めて感じた。「母が作るものはなんておいしいんだろう」と。

実家を離れ、独り暮らしを始めた。生活のためにOLに戻る傍ら、一から勉強し直すことを決断し、製菓学校へ入学した。今までは母から習った経験のみ。だが、学校へ入って初めて、そのおもしろさにはまり、1年間通い続けた。

その後、コロナの真っただ中に退職を決意。起業準備にとりかかった。現在住んでいるアパートの1階の部屋は、厨房に改装するのにぴったりだった。大家さんと交渉し合意も得た。さらに、友人たちからの協力を得て、その費用を調達するため、クラウドファンディングを選んだのである。予想以上の反応にびっくりするやら感謝するやら。その厨房でひとり、マドレーヌ、フィナンシェなどを焼き、全国へ届けている。

住まいと同じ場所に厨房を作るという理想をかなえた。応援してくれた人たちのおかげと感謝している。

 

おいしさの秘密は「甘さの黄金比率」。素材を吟味するのはもちろん、小麦粉、砂糖、卵をどんなバランスにするかがプロの腕の見せ所だという。「もうひとつ食べたい、そう思ってもらえるようなお菓子にしたい」と語る。

お菓子の世界へ踏み出すのに、恵まれた環境にあった斉藤さん。だが、ここへたどりつくまでに長い時間がかかった。なりたくないと思っていたOLも経験し、見たくないものも見、味わいたくない苦労もなめてきた。「どうしたら天職に出会えるのか」との問いに、笑顔で返してくれた。

「気づいたらこうなっていたんです」

左から、焼き菓子、マドレーヌ、フィナンシェ。各6個入り2500円〜(送料別)。ネットでの販売のみ

 

 

 

 

[ライタープロフィール]

伊藤ひろみ

ライター・編集者。出版社での編集者勤務を経てフリーに。航空会社の機内誌、フリーペーパーなどに紀行文やエッセイを寄稿。2019年、『マルタ 地中海楽園ガイド』(彩流社刊)を上梓した。インタビュー取材も得意とし、幅広く執筆活動を行っている。立教大学大学院文学研究科修士課程修了。日本旅行作家協会会員。近刊に『釜山 今と昔を歩く旅』(新幹社)。

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