「起業」女子 〜コロナ禍でも前向きに生きる〜 第23回

結婚、出産、転勤、転職、さらに離婚、再婚……。さまざまな人生の転機に、生き方や活躍の場を模索する人たちは多い。しかし、自身で新しくビジネスを立ち上げるのは、容易なことではない。近年、自らの夢を叶えるべく起業した女性たちを取材。明るく前向きに努力を続ける姿は、コロナ禍における希望の光でもある。彼女たちの生の声を聞き、その仕事ぶりや日常に迫る。

目の不自由な人も、耳の不自由な人も、誰もが楽しめる映画館をめざして
シネマ・チュプキ・タバタ
平塚千穂子さん

取材・文 伊藤ひろみ
写真提供 シネマ・チュプキ・タバタ

 

2023年1月19日午後7時20分過ぎ、東京・田端にあるミニシアター、シネマ・チュプキ・タバタで『こころの通訳者たち』が上映された。これは、チュプキが製作、配給した初めての映画。耳の聞こえない人に演劇の楽しさを伝えた3人の舞台手話通訳者たちの活動を、視覚障がい者に届けるべく格闘した人たちのドキュメンタリーである。この日はすでに満員御礼、急遽追加で補助席を用意するほどだった。上映後、出演者たちの舞台挨拶が行われた。さらに、この映画のイメージソング、「ユウキノウタ」のMVが紹介されたあと、観客とともに大合唱。小さな映画館が熱気に包まれた。

この映画にも登場し、舞台挨拶にも加わったのは、この映画館のオーナー、平塚千穂子さん(50)。2016年6月、合同会社Chupkiを立ち上げ、同年9月、日本初のユニバーサルシアター、シネマ・チュプキ・タバタをオープンした。

1スクリーン、席数20。ホームシアターに近い感覚で映画を楽しめる。

 

ここで上映するすべての作品には、日本語字幕がつく。全席のひじ掛けに備えつけられたイヤホンジャックとコントローラーで、独自に制作した音声ガイドにもつなぐことができる。耳の不自由な人は字幕で、目の不自由な人は音声ガイドを使って、映画を楽しめるというコンセプトである。劇場の後方には、車いすスペース、子ども連れのママやパパも安心して映画鑑賞できる完全防音室の小部屋も設置した。さらに、11.1チャンネルのスピーカーを導入し、豊かな森にいるように優しく包まれる音響(フォレストサウンド)を実現。より臨場感を味わえるよう音にもこだわった。

各座席に設置されたコントローラー。ここで上映するすべての作品に字幕と音声ガイドがつく。

 

平塚さんは大学で教育学を専攻した。そのころから「人がイキイキ生きるにはどうしたらいいか」が大きなテーマだったという。卒業後、もともと好きだったコーヒーの世界に飛び込み、喫茶店やコーヒーメーカーで働いた。26歳のとき、勤務していた店で突然首を切られ、大きなショックを受けた。そんな折、いつしか通うようになったのが映画館。スクリーンと向き合いながら、映画の奥深さを改めて感じ、生きる希望をもらった。都内の映画館で偶然アルバイト募集の張り紙を見つけ、仕事を再開。日々映画と向き合いながら、映画で人をつなぎたいと思うようになった。

ちょうどそのころ、映画監督や映画に関わる人たちが集まる交流会に参加し始めた。彼らと新しい企画を練っていたところ、視覚障がい者に向けて、チャップリンの『街の灯』を上映したいという声があがった。しかし、当時の平塚さんは、「目が不自由な人が映画を楽しめるわけがない」、そう思っていたという。プロジェクトを推進すべく、健常者も障がい者もいっしょになって知恵を出し合った。参加者たちの熱意が少しずつ平塚さんを変えていった。

誰もが楽しめる映画館を目指して奮闘する平塚さん。

 

その経験がもととなり、2001年、シティライツというボランティア団体を設立。視覚障がい者が映画鑑賞するための環境づくりに取り組んだ。活動を続けるなか、「目が不自由な人も、耳が不自由な人も、誰もが安心して映画を楽しめるようにしたい、みんなを受け入れるような場所を作りたい」、そんな思いがユニバーサルシアター創設へとつながっていく。

理想の映画館を造るためのスタートは、物件探しから。都内であちこち探し回り、なんとか条件の合う建物が田端で見つかったが、内装工事など莫大な資金をどのように工面するかも悩みの種だった。友人たちのアドバイスや助けもあり、クラウドファンディングに挑戦することにした。すると、この志に賛同してくれる人が次々と現れたのである。1か月余りで、目標金額1500万円を達成。最終的には1880万円が集まった。「足長おじさんって、ほんとにいるんですね」

2016年3月に物件が決まったあと、資金調達、内装工事などを猛スピードで進めていき、半年後の開館にこぎつけた。アイヌ語で「自然の光」を意味するチュプキ(Chupki)と命名した。

ロビーの天井に描かれた「チュプキの樹」には、支援者の名前が刻まれている。

 

コロナ禍では、3か月ほど休館を余儀なくされたり、席数を減らして上映しなければなかったりしたが、なんとか乗り切った。ミニシアターだったので、コロナによるマイナスの影響も少なかったとか。

シティライツで活動していた2003年、会員だった男性と結婚した。彼も交通事故で目が不自由になったひとりである。彼が二人の生活を支えているので、平塚さん自身の報酬は0。「この条件だから続けられているんです」と微笑む。現在、平塚さんのほかに社員2名、アルバイト3名がチュプキで働いている。

平塚さんの人柄がそうさせるのか、悲壮感も気負いもなく、常にマイペース。「望まれてやっている仕事だから」というゆるぎない信念こそが、人を呼び、つなげ、何かを変える力になっている。

JR田端駅から徒歩約5分。これまで映画館がなかったエリアに開館した。

 

今夜、ここに集った観客たちも、このチュプキマジック、見えない力を感じているに違いない。

 

 

 

[ライタープロフィール]

伊藤ひろみ

ライター・編集者。出版社での編集者勤務を経てフリーに。航空会社の機内誌、フリーペーパーなどに紀行文やエッセイを寄稿。2019年、『マルタ 地中海楽園ガイド』(彩流社刊)を上梓した。インタビュー取材も得意とし、幅広く執筆活動を行っている。立教大学大学院文学研究科修士課程修了。日本旅行作家協会会員。近刊に『釜山 今と昔を歩く旅』(新幹社)。

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