赤毛のアンのお茶会 第33回

第33回 なぜアンはパフスリーブのドレスに憧れるのか?

南野モリコ

 

風に乗って秋がやってきました。おしゃれの季節ですね。今回は、アンと「ファッション」について考えてみました。「へえ~、こんな見方もあるのね。アンのコスプレしてみたい」などとつぶやきながら、気楽にお読みください。

 

『「赤毛のアン」をめぐる言葉の旅』上白石萌音、河野万里子(NHK出版、2022年)[写真:南野モリコ]

 

アンが流行を気にするのは「世間の厳しさ」を知っているから

『赤毛のアン』は、孤児アンがマシューとマリラ、カスバート兄妹が暮らすグリーン・ゲイブルズに「男の子と間違って」送られてきたところから物語は始まります。

彼女の明るさに心惹かれたマシューとマリラは、アンを引き取ることを決意します。しかしこの時、アンは11歳、マリラは恐らく55歳。「おしゃれ」に対する価値観も世代差があったでしょうね。

第12章で、アンが腹心の友ダイアナ・バリーの家に初めて訪ねて行った時、ダイアナのお母さんは、娘について「いつも本に夢中なんです。遊び友達ができたらもっと外に出るようになる」と、愚痴とも自慢ともつかないようなことを言います。

とはいえダイアナは、本にかじりついてばかりのインドア女子ではなく、都会に住むいとこや親戚との付き合いも多く、おしゃれが大好き。学校でも服装の趣味がいいと一目置かれている、アヴォンリー村小学校のファッション・リーダーです。

一方アンはといえば、女らしいことに人一倍、関心が強いのに、第11章でマリラが作ってくれた3着の服は、11歳の女の子が着るにはあまりにこざっぱりしすぎていて、がっかりします。グリーン・ゲイブルズにいられることになったんだから、おしゃれはひとまず我慢しよう、と心の中で自分に言い聞かせている声が聞こえてきそうです。

 

服装でも、もてなしでも、見た目の麗しさより実用性を優先するマリラは、「フリルがついた可愛い服を着たい」というアンの少女らしい気持ちを「そんな服は虚栄心を増長させるだけ」とばっさり切り捨て、パフスリーブに関しては「あんな提灯みたいな袖、ばかげている」と散々な言い方をします。

それ以外もマリラは、アンのエレガントでありたいと思う「おしゃれ心」をことごとく批判していきます。現代の日本でも、質実剛健を重んじるマリラ・タイプの母親は多いものですが、そういう環境で育った女の子は、少なからず影響を受けると思うのです。かくいう筆者モリコもそのひとりでした。

しかしアンは、マリラに何度「ばかばかしい」と嘲笑されても、美しいものに憧れる自分を変えることはありません。どうしてアンは、それほどパフスリーブを欲しがり、服装にこだわるのでしょうか?

 

 

アンが望んでいるのは、社会に順応すること

アンは、生まれてすぐ両親を続けて亡くしました。トーマス家に引き取られたものの、「子守り」として雇われただけであり、家族の一員として迎えられたわけではありません。苦労して育ってきたアンは、11歳にしてマリラよりずっと世間の厳しさを知っていたのです。

 

第2章で、ブライトリバー駅に迎えに来たマシューに、アンはこう言います。「孤児院を出る時、とても恥ずかしかったわ。この古い交織の服を着なくてはならなかったからよ。(中略)汽車に乗っている時も、人が私を見て憐れんでいるような気がしたわ」

駅で初めてアンを見かけた時のマシューは、女性が苦手なため目をそらしてしまいましたが、この時も敏感なアンはもしかしたら、「憐れみの目で見られている」と思ったかもしれません。

人は見た目ではない。それは確かにそうだけれど、実際、世の中では、人は見た目で判断される。そのことをアンは体験から知っていたのです。

 

奥田美紀著『赤毛のアン』(河出書房新社、2013年)によると、パフスリーブは、アンが生きた時代とされる1880年代後半から1890年代にかけて流行していました。作者モンゴメリの写真を見ても、その時代には袖が膨らんだ服を着ています。第25章でマシューが気付いた通り、ダイアナほかアンの友達の少女たちもパフスリーブの服を着ていました。

マリラは「可愛い服は虚栄心を増長させるだけ」と言いますが、パフスリーブは決して華美だったわけではなく、当時の少女たちが着ていた一般的な服装だったのです。

アンは、服装が一般的でない上に「赤毛」という喜ばしくない特徴も持っています。第26回「なぜアンは自分の赤毛が嫌いなのか」参照)

孤児、そして赤毛であることで世間から差別的な目で見られていたアン。せめて服装は他の女の子と同じでありたいと願ったとしても無理はないでしょう。パフスリーブへのこだわりは、アンの社会に順応したいという気持ちの表れではないかと深読みしました。

マリラが正しいと信じるものの多くは、学校や聖書の教えに由来していると思います。しかし、アンの主張は、自分の体験に基づいているからこそブレることがなく、やがてマリラさえも納得させるリアルさがあったんでしょうね。まあ、一個人の深読みですけどもね。

 

 

参考文献

モンゴメリ著、松本侑子訳『赤毛のアン』(文藝春秋、2019年)

 

 

[ライタープロフィール]

南野モリコ

『赤毛のアン』研究家。慶應義塾大学文学部卒業(通信課程)。映画配給会社、広報職を経て執筆活動に。

Twitter:南野モリコ@赤毛のアンが好き!ID @names_stories

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