第36回 5月15日を知ってますか
平良 愛香
コラムに私が連載を始めて28回目(2023年8月)のときに「沖縄県って本当に沖縄県?」という文章を書きました。日本に翻弄されてきた琉球、あえて言うなら日本に「侵略」されて「沖縄県」と名付けられた沖縄の歴史と現状を見た時、無批判に「沖縄県」と使いたくない、という話や、父が郵便物に現住所を書くときには決して「沖縄県」とは書かないいくつかの理由を述べました(改めて読みたい方は探してみてください)。
幼少時代は「立派な日本人になる」ということを目標としていた父。そのために「ウチナーグチ(沖縄の言葉)」を捨てて「日本語」をマスターした父。(なので父の話す日本語はNHKのアナウンサーのように正確です。「とんでもございません」と僕が言ったら「それは間違った日本語だ。とんでもないことでございますが正しい」と直されるほどです)。
この父が牧師になり、アメリカに留学した際、黒人教会と出会い、「キリスト教というのは体制に従う教えではなく、抑えつけられているマイノリティたちが勇気と力を得て抵抗するための教えなのだ」と気づいて沖縄に戻ってきた。父が沖縄の民衆のために立ち上がったのはそういった経緯がありました。
けれど、沖縄に立つ牧師となった父も、日本を「祖国」と呼んだことがあります。沖縄が米軍に支配されていた時代、当時の最高権力者であったアンガー第5代高等弁務官の就任式(1966年11月2日)に沖縄の牧師として呼ばれた父は、「新高等弁務官が最後の高等弁務官となり、沖縄が本来の正常な状態に回復されますように」「高等弁務官をしてこれら市民の人権の尊厳の前に深く頭を垂れさせてください」という祈りをしたことで大変話題となりました。ただあまり知られていませんが、その祈りの最初にこういう一文があったのです。「過去二十年、戦争と、戦争の脅威により世界の多くの人々が家庭と愛する者たちから引き裂かれ、私どもの郷土、沖縄も祖国から切り離される憂き目を体験してまいりました。」
米軍に苦しめられ、人権もいのちも蹂躙されていた当時の沖縄にとって、この祈りの言葉は本音であり、悲願でした。すべての決定権は米軍にあるものの、米軍は沖縄の民衆が軍に抵抗して日本に頼らないようさまざまな策を練りました。円を使わせず、日本からの輸入品には高い関税をかけ、行政として沖縄という地名すら正式に用いさせてもらえませんでした。(代わりに「琉球政府」を用いることを命じた)。そんな時代に、沖縄の人々は米軍の支配に抵抗するために、禁止されていた日の丸さえ掲げて「復帰運動」のデモに参加したのです。日本を「祖国」と呼んで望郷の対象としたのはある意味自然なことだったと言えるでしょう。しかも日本は新たな憲法を持ち、戦争を放棄すると宣言したというではないか。一刻も早く日本に戻って、米軍基地から解放されたい。これが沖縄の願いでした。
しかしやがて、「復帰しても基地はそのままであり、自衛隊まで配備される」ということが分かってきました。戦勝国であるアメリカに支配されているというのは、まだ筋が通るかもしれない。けれど「復帰」後は46都道府県と同等の一県になるはずなのに、圧倒的にたくさんの米軍基地が日本政府によって沖縄県に押し付けられる。この不条理に人々は気づき始めたのです。日本の植民地のような扱いにされてしまうのではと感じた沖縄では「反復帰運動」も始まりました。佐藤栄作首相が国会で沖縄返還協定の演説をしているときに、抗議の意味で爆竹を鳴らして捕まった青年たちもいました(その一人である本村紀夫さんは私の友人でもあるのですが、今年3月11日に75歳で大腸ガンで亡くなりました。本当に沖縄のことを考え、憂い、胸を痛めている涙もろい人だったなあ・・)。
かくして迎えた1972年5月15日。沖縄の施政権は米軍から日本に移ったのです。話によると、日本のメディアには「青空の下で日の丸を振って復帰を喜ぶ沖縄県民」という写真が載ったらしいのですが、その日の沖縄は大変な土砂降りだったそうです。いつどこでそんな写真を撮ったんだろう・・・。
沖縄の中にも毎年5月15日を祝う人たちもいます。けれど私は毎年この日が来るたびに、「選択を間違ったのではないか」と考えさせられるのです。日本に「侵略」され、基地を押し付けられている沖縄にとって、本当に日本は「祖国」なのだろうか。(もっと言うなら、1952年4月28日、沖縄が日本から切り捨てられたことを沖縄では「屈辱の日」と呼ぶけど、何を「屈辱」と呼ぶのかも問われてきますね。)
私の中には、日本を「祖国」だとは思えない自分がいます。そして「今からでも私たちは軌道修正すべきなのではないのだろうか」と考えています。国会で鳴らされた爆竹はどんな音だったのだろう。そこで響いたであろう音を想像していたら、その音が耳から離れなくなりました。
[ライタープロフィール]
平良 愛香(たいら あいか)
1968年沖縄生まれ。男性同性愛者であることをカミングアウトして牧師となる。
現在日本キリスト教団川和教会牧師。