僕がゲイで良かったこと 第28回

第28回 沖縄県ってほんとうに沖縄県?

平良 愛香

 

今年も8月を迎えました。平和覚え祈る月として大切にしたいと思いつつ、前号で述べたように、8月15日を過ぎても沖縄では虐殺が続いているし、この日を「終戦の日」としてしまった根拠を考えると、どうしても無批判ではいられなくなります(いつもへそ曲がりですみません)。でも、「玉音放送で天皇が敗戦宣言をした」ということがなぜそのまま「終戦記念日」と呼ばれるのか、という問いが私の中にはあります。(実際に日本政府がポツダム宣言の受諾を連合軍に通告したのは8月14日ですし、玉音放送で読み上げられた「終戦の詔書」の日付も14日になっています。逆に日本政府と連合軍代表が降伏調印をしたのはもっと遅く9月2日です)。なぜ天皇の敗戦宣言が「終戦の日」とされてしまったのだろう。

一方で、日本に侵略された国にとってはこの日が「解放宣言の日」であることも改めて心に刻みたいと思います。韓国では8月15日は「光復節」という祝日です。それが「祝日」であることの意味を、重く受け取りたいと思います。毎年8月15日は、戦争被害だけでなく、加害者となった事実を忘れない日でありたいと私は思っています。

さて、前々号で「沖縄本島って本当?」と書きました。「本」という字を使うことによって、中心(あるいは「上」)であるかのような錯覚を与えてしまうことの問題性について述べたのですが、今回は少し視点が違います。

私の父は沖縄の宮古島、平良市(ひららしと呼んだ。現在は宮古島市になっています)出身です。その両親は那覇の生まれで、父も私も本籍は那覇市垣花町です。ですから生まれた時からウチナンチュ(沖縄人)と言うことができるかもしれません。しかし父は、自分の出身地としても、あるいはその他の場面でも「沖縄県」ではなく「沖縄」という言葉を使います。それにはいくつかの理由があります。①琉球王国が薩摩(日本)に侵略され、その後明治政府によって強制的に「沖縄県」にさせられたことへの抵抗。②天皇に従う立派な日本人となりなさいという教育を受けて来たため、「日本人になる」ということへの抵抗がなかったことへの反省。③戦争で日本の国体護持のために琉球が捨て石とされた事実を知った時、「植民地としか思われていなかった」と気づいたこと。④戦後、日本が独立するために切り捨てられたことからも「植民地としてしか考えられてなかったのだ」という発見、怒り。⑤1952年~72年の20年間、「沖縄県」という名称を使うことが許されなかった経験と、基地のない沖縄を本気で求めたのに、「返還」というきれいごとの中で民意を踏みにじられたこと。総合すると、「日本の中で、全く対等に扱われていないのに対等であるかのように見せようとするカラクリを「沖縄県」という言葉に感じている」のではないかと思うのです。

それらを上記のように個条書きにして話してもらったということはないと思うのですが、父の普段の言動からそれはひしひしと感じていました。父は郵便物に住所を書くときには決して「沖縄県」とは書かず、「沖縄島〇〇市」あるいは「沖縄・〇〇市」という表記をします。当然東京に行くことも「上京する」とは言わず、「東京に行く」と言っていました。そもそも「上京」って、天皇のいる東京が「上」であるという前提ですよね。言葉の選びに慎重だった親に育てられたのだから、当然私もその影響を受けましたし、無批判に「沖縄県」という言葉は用いなくなりました。

他の都道府県の人はあまり感じないかもしれませんが、私は「沖縄県」という名称は、日本への従属を強いられている感じがしますし、近年いよいよ、「自治体は政府に従え、抵抗するな」という圧力を感じるようになって、もっと神経を研ぎ澄ませなければと思っています。新たに生まれた土地規制法(正式名称:重要施設周辺及び国境離島等における土地等の利用状況の調査及び利用の規制に関する法律)が施行されつつある中、基地に囲まれている沖縄の人々は他の都道府県の人と比べて圧倒的に多くの制限を受けることになります。にもかかわらず「ほかの県と対等に扱っていますよ」というまやかしを押し付けられているように感じることすらあるのです。(灰谷健次郎の『太陽の子』に、たしかそんなセリフがあったなあ。)連載の22回のときに、「僕は沖縄生まれ、沖縄育ちです。けれども『沖縄県生まれ』ではありません。僕が生まれた1969年は、沖縄は『沖縄県』ではなかったからです。」と書きました。けれど私が「沖縄県」を安易に用いないのは、もっと深い意味があったのかもしれません。

20年ほど前、父に「どうしたらパパは『沖縄県』と言えるようになると思う?」と尋ねたことがあります。しばらく考えたあと、父はおもむろにこう答えました。「沖縄から米軍基地と自衛隊基地が完全に撤去された時かなあ。」現在90歳になる父に学んだことは大きいなあと感じます。

 

 

[ライタープロフィール]

平良 愛香(たいら あいか)

1968年沖縄生まれ。男性同性愛者であることをカミングアウトして牧師となる。
現在日本キリスト教団川和教会牧師。

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