僕がゲイで良かったこと 第34回

第34回 遺骨の2つの話 その1

平良 愛香

 

前回、沖縄島南部の戦争の遺骨が含まれている土砂が辺野古・大浦湾の埋め立てつまり戦争の基地建設に用いられることの悲しみ、怒りについて書きましたが、遺骨の話としてもう一つ、どうしても看過するわけにはいかないことがあります。琉球民族遺骨返還請求訴訟のことです(琉球人遺骨返還請求訴訟とも言う)。

1928~9年、今から約100年前、京都帝国大学の金関丈夫助教授は沖縄島の今帰仁(なきじん)村にある百按司(むむじゃな)墓から遺骨を盗み、「研究材料」として大学に持ち去りました。

2017年に新聞報道でその事実を知った子孫や市民が京都大学に確認をしようとしましたが、一切答えがなく、2018年12月4日、松島泰勝龍谷大教授を原告団長に、祭祀継承者である第一尚氏「(だいいちしょうし)の子孫など5名が京都地裁に遺骨の返還を求めて提訴しました。原告の要求は、①遺骨をみせてほしい、②遺骨を元の場所に戻してほしい、③琉球の伝統的な方法で遺骨を弔わせてほしい、という三点です。

私もずっとこの裁判を支援してきましたが、全く誠意を見せてくれない京都大学に憤慨しつつも、その背後にある「先住民に対する差別意識」「植民地主義」をひしひしと感じました。実は世界中で、先住民たちの遺骨や副葬品などが「侵略者」「支配者」たちによって盗掘され、「研究」の対象とされてきました。それは明らかに、「先住民は劣った民族であり、脳の発達なども遅れている」という偏見のもと、それを「人類学(のある分野)」で証明することによって「自分たちこそ優秀な民族である」ということを立証しようとしていたことにほかなりません。現在世界中で、「それは偏見と差別によるものだった」という反省から、遺骨の返還が始まっています。

アイヌ民族の遺骨が北海道大学やその他の大学の研究室から(一部ですが)返還されたことは記憶に新しいでしょう(ただし直接の子孫であると証明できないものは「村のお墓に収めたい」と言っても聞き入れてもらえておらず、いつでも研究材料としてまた使えるよう「ウポポイ」に保管してあるようです。本当の返還にはまだほど遠いのが現状です)。

琉球民族遺骨返還訴訟では、実の子孫が「祖先の骨を返してくれ」と言っているのに、「研究材料だから」という口実で(実はかなりずさんに扱われていたようにも思える。そうでなければ見せてくれてもいいのに)、一切取り合わない、という京都大学の対応でした。大学側は「盗んだのではなく、ちゃんと県警に許可をとった」みたいなことを言ったりもしますが、どうやら「許可」を出したのは、当時沖縄に派遣されていたヤマト(日本)の警察のようで、百按司(むむじゃな)墓が「今帰仁上り」という巡礼の対象とされてきた歴史的な場所だということもおそらく知らなかったと思われます。まあ、沖縄を植民地だと考えていた日本の警察にしてみれば、帝国大学が沖縄の土地で何をしても構わないと思ったのではないでしょうか。

さらに、沖縄には骨神(フニシン)という考え方があります。遺骨を大切にする文化と信仰です。私自身はキリスト教徒なので、遺骨そのものが神であるとか尊いものだという感覚はありませんが、それを大切にしている人たちの感情は沖縄に育った者としては痛いほどよく分かります。「モノ」ではないのです。けれどヤマト(日本)の研究者の一部の人たちは、遺骨を「研究材料」と言い切ることに何のためらいも見せません。それどころかこの裁判の最中に、日本人類学会会長から京都大学総長に送られてきた「要望書」には「国内の遺跡、古墓等から収集され保管されている古人骨は、その地域の先人の姿、生活の様子を明らかにするための学術的価値を持つ国民保有の文化財として、将来にわたり保管継承され研究に供与されるべきである」と記してありました。子孫が返してほしいと言っている「先祖の遺骨」を、まるで持ち主がいないかのように「古人骨」と呼んで「国民保有の文化財」にしてしまう感覚、そして「遺骨は遺族に返すなよ」と通告して来る感覚は、権力者の発想でしかないと感じるのです。それでも裁判所は、「研究材料」という言葉に絡めとられてしまったのでしょうか。第一審の京都地裁は、原告と話し合うよう京都大学や日本人類学会などに「アドバイス」はしましたが、大学も学会もそれに応じず、結果的に原告棄却(2022年5月)。第二審大阪高裁も原告棄却(2023年9月)でした。

ただ、原告団は判決文を慎重に精査した結果、上告しない判断をしました。大阪高裁の判決の「付言」として、先住民族である琉球民族の遺骨には「ふるさとで静かにねむる権利がある」と記載されたことを大切に受け止めたからです。「琉球民族が先住民族である」と法的に明言されたこと。これはとても大きなことです。遺骨はまだ戻ってきていません。けれど尊厳を一つ取り戻した、私はそのように感じています。

 

ライタープロフィール]

平良 愛香(たいら あいか)

1968年沖縄生まれ。男性同性愛者であることをカミングアウトして牧師となる。
現在日本キリスト教団川和教会牧師。

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