第44回 尖閣のこと
平良 愛香
沖縄のことを書き続けていて、ふと「そもそも『沖縄』って何?」と考えることがよくあります。領土(県土)のことなのか、住んでいる人たちのことなのか。誰も住んでいない無人島を「沖縄」に含めるのはなぜか。行政が決めたからというだけなのか。むしろ歴史が伴うのではないか。沖縄に限らず「領土問題」と呼ばれる地域は日本中に何か所もあります。二つの国が所有を主張した場合、どうすれば解決するのか、そもそも何が解決なのか。発言力のある側に従うしかないのか。
2か月ほど前、用事で石垣島に行きました。やはり「沖縄(島)とは異なる文化」を感じました。そもそも言葉が違うのですから当然のことです。(沖縄ではありがとうを「ニフェーデービル」と言いますが、石垣では「ニーファイユ」と言います。ちなみに宮古では「タンディガタンディ」、与那国では「フガラッサ」。ユネスコが「琉球方言」ではなく「琉球諸語」を認め、「奄美語」「沖縄語」「宮古語」「八重山語」「与那国語」として認定したのも納得がいきます。)
さて、石垣島ではフェリー乗り場にある「石垣市尖閣諸島情報発信センター」を見て来ました。2021年12月にオープンした施設で、予測したとおり「尖閣諸島は日本の領土である」という展示がメインでした(その他、尖閣の自然や動植物の紹介など)。当然と言えるかもしれませんが、「尖閣は自分たちのものだ」と主張する中国の言い分は掲示されておらず、むしろ「日本はいつごろから尖閣を自分たちの領土としてきたか」「中国が尖閣を日本の領土として認めていた記録」といった掲示ばかり。まったく歴史を知らない人は「やっぱりそうなんだ。領海を侵してくる中国はけしからん」と感じるでしょう。でもまてよ。本当にそうなのでしょうか。
実は僕は尖閣問題には全く詳しくありません。歴史を調べてみると、かつて無人島でありどの国も所有を主張しなかった尖閣諸島を、日本が1895年に自国の領土として組み入れた、となっています。でも1895年って日清戦争の結果、日本は台湾やその他の領土を取得しています。当時、中国は日本の領有宣言に異議を述べることが困難な状況にあったのではないかと思うのです。その10年前、1885年には内務卿山県有朋が、尖閣諸島に国標を立てようとした際に、中国との関係を考慮した外務卿井上馨の反対によって断念した、という事実があります。すなわち「尖閣は誰のものでもない」ということではなく、「中国も所有を主張する可能性」を日本は感じていたということではないでしょうか。
とは言いつつ、それから長い間、尖閣は漁民たちの大切な漁場でした。しかも沖縄の漁民と中国の漁民は漁をするのに何の問題もなかったといいます。捕る魚の種類が違っていたからです。ところがその後、中国の漁船が頻繁にやってくることを良しとしない人たちの不満から、「お金で尖閣を買って、はっきり拒絶したらいいのだ」と2012年に石原慎太郎東京都知事が募金を集めて尖閣諸島の購入計画を発表。それに対して中国政府が激しく反発したため、日本政府(野田内閣)が中国の反発を和らげて「平穏かつ安定的な維持管理」をするためとして、国有化に踏み切りました。それ以降、「領海侵入問題」が大きく取りざたされるようになります。
「領海問題」。小さな島一つであっても、それが自分の国の領土と認められると、一気に領海が広がります。自分の国が自由にできる範囲が広がると膨大な利益を得る可能性が高まります。漁獲量もそうでしょうが、それ以上にその海域に油田などが見つかろうものなら・・・。(カスピ海は「海」か「湖」かということで長年もめていました。油田やガス田があるカスピ海を「海」とするか「湖」とするかで、接する5つの国(ロシア、カザフスタン、アゼルバイジャン、トゥルクメニスタン、イラン)の海洋資源へのアクセスの権利が大きく変わってくるからです。領海問題って、「国の領土を守る」という面だけではなく、むしろ「資源の所有権の問題」の部分が否めません。とりあえずカスピ海は「海か湖か」という解決ではなく、カスピ海独自の資源へのアクセス方法を用いることにしたようなのですが。)
そういった事例を聞くと、「尖閣は日本だ」「尖閣は沖縄だ」と主張することの意義がよく分からなくなってくるのです。「愛国心」とか「郷土愛」と言ったとき、人間のいのちではなく「領土」を死守しようとすることなのかなあ、と疑問が生じるのです。べつに「尖閣諸島は日本ではなく中国だ」と言うつもりはありません。けれどこうも思うのです。「島って誰のものなの?」「土地って誰のものなの?」「国って境界線のことなの?」戦争って結構「土地の所有権」をめぐって起こります。「国」に翻弄されてきた沖縄にいると、「国」ってなあに?と考えてしまわずにはおれません。次回は沖縄独立論について書いてみたいと思います。
[ライタープロフィール]
平良 愛香(たいら あいか)
1968年沖縄生まれ。男性同性愛者であることをカミングアウトして牧師となる。
現在日本キリスト教団川和教会牧師。