僕がゲイで良かったこと 第37回

第37回 阿波根昌鴻さんに学んだこと1

平良 愛香

 「阿波根昌鴻」って読めますか?正しくは「あはごんしょうこう」です。沖縄のガンジーとも呼ばれ、沖縄のたたかいに大きな影響を与えた方です。(ときどき「あわごん」とフリガナがついていることがありますが、「あはごん」が正解です。ちなみに歌手の阿波根綾乃さんは「あはねあやの(本名同じ)」です。)

阿波根昌鴻さんは1901年生まれ、米軍に占領された伊江島で、農民たちと共に非暴力の土地闘争を行いました。カメラを入手して米軍による強制的な土地摂取や被害を記録したり、「乞食行進」と呼ばれる行脚や陳情を展開したりして、沖縄全体に伊江島の窮状を訴え、沖縄における「島ぐるみ闘争」の一翼を担うようになります。この阿波根さんが後のたたかいに特に影響を与えたのは、徹底した非暴力抵抗運動でした。

「相手(米兵)と話すときは、座って話す」「人数も相手より多くしない」「手に物は持たないで話す」「手を耳より上に挙げない」「人の命を育む農民のほうが人間としては上なのだから、大声で相手を威圧するのではなく、教え諭すつもりで米軍に話す」

そういったルールで米軍と向き合い、一時期は島の2/3以上の土地が米軍基地だった伊江島から、少しずつ基地を返還させて35%までに基地を縮小させました(それでもまだまだ膨大ですが)。

この阿波根さんに直接会って、多くの人が非暴力抵抗運動を学びました。辺野古やその他の多くの沖縄での基地建設阻止行動は、阿波根さんに倣って非暴力で行われています。「座って話す」「手にはものを持たない」「耳より上に手を挙げない」・・・。そこではいろいろなエピソードがありました。

2004年当時の辺野古での座り込みはとても印象深いものでした。沖縄防衛施設局(現在は沖縄防衛局)から車両が出発すると、施設局前や監視のために道路で待機していた人から「その車に何人乗っているか」「何時頃辺野古に到着しそうか」という連絡が座り込みの現場に届きます。現場では徐々に緊張が高まりますが、防衛施設局の車が到着するころには、車に乗っている人数と同じ数のメンバーが選ばれて車を迎えに行くのです。

やがて到着した車両。お迎えメンバーはそのまま車の前に座り込み、車を進められないために仕方なく降りて来た施設局職員に「まあ、座って話しましょうや」と促してみんなで(防衛施設局の職員も一緒に!)路上に車座になります。こちらが座ってしまうと、職員も座らざるを得ないのでしょう。

「皆さんは今回は何をしに来たのですか?」「なるほど辺野古に基地を作るために測量に来たのですね」「でも私たちはそれを受け入れるわけにはいかないんです」「この海は私たちの命を育んだ海なので、戦争のために埋め立てるわけにはいかんのです」「ここに基地ができたら、『この基地はお父さんたちが頑張って作った』と言ってあなた方は子どもや孫たちに自慢できますか?むしろ『お父さんはここに基地をつくる仕事をしてたけど、結局作らないことになったよ』と言ったほうがずっと子や孫たちに自慢できるんじゃないですか」「私たちを説得するために来たのでしたら、説得できなかったと上司に言いに帰ってください。今度はもっと上の人に来てもらってください」「まあ、暑いですから冷たい麦茶でも召し上がってください(と言って麦茶を振る舞う)」。

そういった路上の車座でのやりとりを、数100メートル離れたところでじっと見守る100~200名の座り込みの仲間たち。防衛施設局の車があきらめて引き返すと、みんな大喜びで仲間たちを迎える。そんな非暴力抵抗の日々でした。防衛施設局の人がいない間は、海沿いの座り込みテントで時間を過ごします。昼寝をする人、ヨガを始める人、読書をする人、編み物をする人、辺野古の海がいかに自然豊かな海であるかというレクチャーを受けることもありましたし、三線教室が始まることもありました。ときどきは「防衛施設局や警察の人たちが無理やり私たちの座り込みを崩そうとするときが来るかもしれないから、そのときのために練習をしましょう」と言ってスクラムを組む練習もしました。簡単にはほどけないけれど怪我をしない腕の組み方を工夫したり、騒いで抵抗したりする練習もしました。警察役の人たちももちろん座り込みのメンバーです。みんな汗だくでスクラムを崩そうとし、こちらも崩されまいと本気で固まる。「キャー、やめてー!」「触らないでー!」と叫びながら、いつしか大笑いになっていたりする。

当時の座り込みは、気は張っていましたがのんびりしてて、のどかで、そして楽しいものでした。いつまでもこうやって海を守りたい、平和を守りたい。非暴力でのたたかいを貫いていきたい。そう感じる日々でした。

けれどある日、その均衡が崩れます。2004年8月13日金曜日、沖縄国際大学のキャンパスに米軍のヘリコプターが墜落しました。それをきっかけに、辺野古の座り込みは決して「のどか」なものだとは言えなくなったのです。(続く)

[ライタープロフィール]

平良 愛香(たいら あいか)

1968年沖縄生まれ。男性同性愛者であることをカミングアウトして牧師となる。
現在日本キリスト教団川和教会牧師。

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