僕がゲイで良かったこと 第27回

第27回 「慰霊の日」を知っていますか。

平良 愛香

 

前号、「次回は『沖縄県ってほんとうに沖縄県?』という内容で書こうと思います」と言ったのですが、今回どうしても「慰霊の日」について書きたいと思い変更しました。自由なコラムとして、自由奔放に書かせていただいています。ご了承くださいませ。

「慰霊の日」って知ってますか。沖縄県が条例で定めている、沖縄戦の痛みを覚え、恒久平和を祈る日です。毎年6月23日、沖縄では「慰霊の日」として学校や公的機関はお休みとなります。僕が小学生の頃読んだ「ドラえもん」の中に、のび太が「6月は休みが無くてつまらない」というセリフがあったのですが、「沖縄以外には慰霊の日がないのだな」ということを強く感じさせられました。この日、国立戦没者墓苑では追悼行事が営まれ、それに対抗して、近くの魂魄(こんぱく)の塔では市民による追悼集会が行われます。国立の式典のほうは総理大臣などそうそうたるメンバーが集い、追悼と平和の誓いはするかもしれませんが、自分たちが戦争を新たに作り出そうとしていることについてはおそらく全く触れないのでしょう。

一方、魂魄の塔というのは沖縄の戦後、最初に立てられた慰霊塔です。おびただしい遺体が転がっている土地を、畑として耕さなければ食べ物に困ると考えた農民たちが、「日本兵の遺体を弔うのはアメリカへの反発行為だと見られるのではないか」と米軍に脅えながらも、敵味方関係なく遺体を集めて弔った場所です。戦争を美化しない場所なのです。(ちなみに、魂魄の塔に収められていたたくさんの遺骨は、ある晩誰も知らないうちに国立戦没者墓苑にごっそり運ばれてしまったようです。国立の墓苑のほうに骨が全然ないことを「物足りない」「恰好が付かない」と思ったのかもしれません。でも観光バスガイドさんが「村はずれに放置されていました遺骨を、こちらに移して安置いたしました」と言っているのを聞いたときは本当にびっくりしたなあ。)

慰霊の日が6月23日になったのは、沖縄戦のときに日本軍第32軍司令官だった牛島満が自決をした日とされており、それによって組織的戦闘が終了した日だからです(ちなみに自決した日は22日の深夜だったという説もあり、牛島家では牛島満の命日は22日となっているそうです)。けれど悲しいことに、牛島司令官は「最後の1人まで戦え」と命じて死んだため、戦闘はそれ以降も続きました。6月23日以降もたくさんの兵士、そして住民が死んでいったのです。あまり知られていませんが、8月15日を過ぎても沖縄では戦闘は続いています。それどころか、スパイ容疑をかけられた住民20名以上が日本兵によって殺害された久米島では、そのうち10名が8月15日以降に虐殺されているのです。

沖縄にとって8月15日は一体何なのだろうと考えさせられます。8月15日を過ぎても戦争は終わっていないのですから(実際の降伏調印による終戦は9月7日)。日本の多くの人が8月15日を無批判に「終戦記念日」と呼んでいることに、僕はいつも違和感を持ちます。天皇が「日本は負けました」と宣言した日ではあるけど、それ以降も沖縄で人は殺されています。また、東南アジアなどでは敗戦を知らない兵士らが闘い続けていたし、捕虜として抑留された人たちもその後もどんどん死んでいった。8月15日はあえて言うなら「敗戦宣言日」ではあっても、無批判に「終戦記念日」とは言えないのです(もちろん「終戦日」ではなく「終戦を記念する日」という意味なのかもしれませんが、どれだけの人がこの日を「終戦日ではないけど」と意識しているのでしょうか)。それとも私がこだわりすぎ?

では、沖縄にとって6月23日は一体何なのだろう。こちらも戦争が「終わった日」ではありません。ある意味戦争は沖縄では今も続いているなあと感じます。米軍に支配されていた20年間は、米兵に暴力を受けても殺されても文句の言えない時代でした。交通事故があっても相手が米兵だとこちらに勝ち目はありませんでしたし、多くが泣き寝入りでした。いまだに米軍基地からの流れ弾は飛んで来ますし、「復帰」前も「復帰」後も米軍機が落ちてきます。2004年8月13日の米軍ヘリコプターが沖縄国際大学キャンパスに墜落したときも、沖縄県警は近づかせてもらえませんでした。基地の外だったにも関わらず、その瞬間管轄が米軍になってしまうのです。今も戦争が続いているなあと感じる中で、6月23日は「戦争が終わった日」ではなく、「本気で平和を祈り願う日」として制定された日です。わたしたちの命が損なわれたという歴史、他者の命を損なったという歴史。それを注視していないと、同じようなことが起きるかもしれない、起こすかもしれない。戦争ができる国に突き進もうとしている現在、この6月23日を特別に「平和を本気で願う日」「そのために自分ができることは何なのか本気で問う日」として過ごしたいと思ったのです。

 

[ライタープロフィール]

平良 愛香(たいら あいか)

1968年沖縄生まれ。男性同性愛者であることをカミングアウトして牧師となる。
現在日本キリスト教団川和教会牧師。

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