僕がゲイで良かったこと 第25回

第25回 近くて遠い沖縄

平良 愛香

 

沖縄ってどこ?という話を始めたのに、なかなか本題に進めずすみません。

九州島から台湾島までの間にある島々の中で、与論島から北の約30島が薩南諸島と呼ばれて鹿児島県に属します。そして、南の158島が琉球諸島、沖縄県です。その境目は北緯27度線ということになっていますが、実は北緯27度52分(鹿児島県徳之島と同緯度)にある硫黄鳥島という無人島も沖縄県の所属となっています。また、人口1000人以上の伊平屋島も島の半分は27度線の北にあるので、27度線が厳密な県境、というわけではありません。ただ、沖縄が日本から切り離された歴史を語るとき、この27度線というのはとても大きな意味を持つのです。

1952年4月28日、連合国からの独立を手に入れるために、日本は沖縄や奄美などを切り離しました。翌年奄美は日本に復帰しましたが、そのときの線引きが27度線であり、それから1972年まで沖縄は米軍の統治下におかれたのです。27度線というのは「日本から切り離された線」であり、沖縄にとっては特別な意味を持つ27度線なのです。2013年の4月28日に当時の安倍晋三首相が「主権回復の日」という式典を催しましたが、沖縄にとって4月28日は日本から切り捨てられた「屈辱の日」であり、式典に対して強い反発の声が上がりました。当然のことです。沖縄を切り捨てておきながら、反省もせずお祝いするなんて言語同断! 多くのウチナンチュがそう感じたのも当然ではないでしょうか。

沖縄島最北端の辺戸(へど)岬から、鹿児島県最南端である与論島が見えます。すなわち、1973年以降、沖縄から「日本」が目の前に見えるのに、その間には見えない国境線が引かれたのです。毎年4月28日には辺戸岬と与論島で同時に火を焚き、のろしを上げました。それが両方の島から見えるのです。1963年から69年までは毎年この日には与論島と沖縄島から船を出し、海上集会が開かれていました。歴史に翻弄されたために「切り離された」ということを忘れないためです。「切り離された仲間たちがいる」ということを忘れないために、そして「政策によって分断されている」という怒りと悲しみを忘れないために。沖縄って遠いですか? でも、ただの物理的距離ではなく、「日本が独立を手に入れるために切り離された」のであって、実は肉眼で見える距離にあるということをも知っていてほしいのです。

とは言っても、「沖縄は日本に近い」ということを強調したいわけではありません。「日本から切り離されても仕方がないほど、はるか遠くの、最果ての異国」であるかのように見られることに、大きな戸惑いと不満があるのです。日本が「肉眼で見えるほどの近くの沖縄を切り離した」ということは是非覚えていてもらいたいと思います。

一方、沖縄県最西端の与那国島からは条件が合えば台湾の高い山々が見えます。何しろ110キロしか離れていないのですから。2012年には姉妹都市締結30周年記念として、台湾の花蓮港から与那国島の久部良港に72名の青年達が水上バイクで乗り入れましたし、その7年後2019年にも85名が来港しています。水上バイクで来られるなんて、近いと思いませんか? 沖縄は「どこからも遠く離れている場所」ではなく、日本も台湾も肉眼で見えるところにある、掛け橋のような場所でもあるのです。

「掛け橋」という言葉が出てきたところで、「万国津梁(ばんこくしんりょう)」についてもお伝えしておきたいと思います。

現在沖縄県立博物館に「万国津梁の鐘」という鐘が置かれています。もともと首里城正殿にあった鐘で、正式名称を「旧首里城正殿鐘」と言います。この鐘に233文字の銘文が彫られているのですが、そこに「万国津梁」の4文字が刻まれています。内容は「琉球王国は南の海にある蓬莱の島で、船を万国の掛け橋にして貿易によって栄える国である」というもの。実は琉球って、小さな島国ではありましたが、万国との掛け橋となった国でもあるのです。もちろん「万国との貿易によって栄える」という意味はありますが、同時に、万国とのお互いの信頼の上で成り立っている国だった、ということも言えるでしょう。ぽつんと独りぼっちの国だったわけではなく、むしろ「信頼」「平和」を基礎とした、ある意味世界の中心とさえ言える国だったと、僕は言いたいなあ、と思っています(あら、思い入れを込めすぎかしら)。

でも、この「万国津梁の鐘」は、世界中にあるさまざまな鐘とは異なり、かなり黒ずんでいます。どうしてだか推測できますか? これは沖縄戦の銃弾や戦火の中でなんとか残ったものだからです。首里城は沖縄戦のときに徹底攻撃を受けました。その土台の下が陸軍の指令壕だったからです。「万国津梁の鐘」はそのために黒焦げになりました。それでもよくまあ残ったなあ、と。現在、沖縄県の第一知事応接室には、この銘文が書かれた屛風が置かれており、知事の記者会見のときにテレビなどに映ることがよくあります。今度機会があったら見つけてみてくださいね。

 

 

[ライタープロフィール]

平良 愛香(たいら あいか)

1968年沖縄生まれ。男性同性愛者であることをカミングアウトして牧師となる。
現在日本キリスト教団川和教会牧師。

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