第17回 老人とロック
コバン・ミヤガワ
街角にひっそりと佇む掲示板が好きだ。
一体、誰が管理しているのか分からないような、自治会や町内会の小さな掲示板。ほとんどの場合、手入れは行き届いておらず、塗られたペンキはボロボロに剥がれ落ちている。あの雰囲気に、個人的にはたまらない哀愁を感じて、道すがら見つけると、ついつい立ち止まって見てしまう。
貼られている掲示物も、身近な生活が感じられて心地いい。猫を探しているとか、インコが逃げたとか。近くの少年野球チームの勧誘。ピアノ教室の案内、小さなお祭りのチラシなど、地域の生活が少し垣間見える感覚が好きなのだ。
さらに細かくいうと、そのチラシが雨に濡れてインクが滲んでいれば100点満点である。
先日、いつものように歩いていると、通りがかった自治会の掲示板にチラシが一枚貼ってあった。いつからそこに立っているのか、白いペンキはもうほとんど残っていないような古い掲示板だった。なんともボク好みじゃないか。そこには楽しそうに笑うお年寄りの写真とともに「会員募集 入ろう老人クラブ」と書いてある。書いてあったのはその文章と連絡先だけだった。
ボロボロの掲示板に貼られたチラシから、怪しいにおいが放たれていた。よく電柱とかに貼っている「マダムのお相手をする簡単なお仕事です」のチラシくらい怪しかった。
「ほぉ、老人クラブなんてあるのか」としばらくこの謎の団体について考えながら歩いていた。
何をするクラブなのか。「老人」が集まるクラブなのか「老人」のために何かをするクラブなのか。もう少し具体的な名称だったら分かりやすいのに。
例えば「老人太極拳クラブ」ならば、公園かどこかに集まって太極拳をする集団なのだと分かるのだが、こうもザックリしていると、尚更怪しい。
ああも実態が掴めないと、変な方向に想像は膨らむものである。もしかしたら近くに住む老人たちが、裏で世界を牛耳ることを企む秘密結社かもしれない。たまたまチラシを見つけた、稀有な老人だけが入ることを許される組織なのかもしれない。あの写真の笑顔も虚像なのかもしれない!
ボクの頭は老人クラブのことでいっぱいだった。
ところで、人は一体何歳から「老人」なのか。枠組みとしての「高齢者」のことなら65歳以上と言えるが、老人という言葉だけだと、白い髭をたっぷり蓄えたような、もう少しご年配のイメージがある。こと高齢社会の現代において、高齢者=老人という構図は少々無理があるように思える。
そもそもの話「老人」という言葉もまた、どこかザックリしているものだ。「老いた人」という意味なのだろうが、だからといって一度老いたらそれ以上老いないわけではない。子供の「成長」さえポジティブに捉えた「老い」に過ぎないのだから。
極論、人間は生まれてから死ぬまで老い続けるわけで。何がどうなったら「老人」なのか。そのラインが気になる。
もしかすると「老人」と「未老人」の境界線はこの老人クラブの入会規定に書いてあるのかもしれない。ますます老人クラブへの謎が深まるばかりである……
ボクは秘密結社の可能性も捨ててはいないが。
さて今月は、老人=長生き=長寿! ということで音楽活動を40年以上続けている日本トップの長寿バンドをご紹介!
サザンオールスターズ! サザンですよサザン!
1977年に結成してから、幾度かの休止を経験しながらも、40年以上も邦ロックの第一線を走り続けている国民的バンドである。
桑田佳祐、もう65歳ですって! あんなにパワフルで若々しいのに、一応高齢者とは! 衰え知らずの桑田佳祐を見るとなおさら、一概に高齢者=老人とは言えないわけである。
そういえばボクがまだ小さい頃、父の運転する車のプレイリストは、小田和正、ユーミン、そしてサザンだった。いつの間にかボクの脳にはサザンの曲と、桑田佳祐の歌声がインプットされていたのだ。物心ついた時から、サザンの曲は知っている気がする。それくらいボクの深層の部分に根付いているバンドだ。
そんな国民的バンド、サザンオールスターズ、どうしてここまで国民から愛されているのか。今回は「ボク的サザンのススメ」として、サザンの曲の魅力をひとつお届けしたい。
みなさん、サザンの曲と言えば何が思いつきますか? 「勝手にシンドバッド」「TSUNAMI」「涙のキッス」「真夏の果実」などなど……枚挙にいとまがないことだろう。
耳に残るキャッチーなメロディー、桑田佳祐の唯一無二の歌声。その素晴らしさは言うまでもない。しかし「ボク的サザンの楽しみ方」は、歌詞なのだ。歌詞の言い回し、ここにサザンがオンリーワンな理由があると思う。
例えば上に挙げた「TSUNAMI」のAメロ。
風に戸惑う弱気な僕
通りすがるあの日の幻影(かげ)
本当は見た目以上
涙もろい過去がある
止めど流る清(さや)か水よ
消せど燃ゆる魔性の火よ
あんなに好きな女性(ひと)に
出逢う夏は二度とない
気になる日本語がないだろうか。
「通りすがる」という言葉。普通なら「通りすぎる」という言葉を使うはず。
「止めど流る」は「止めても流れる」もしくは「止めどなく流れる」という意味だろう。
「消せど燃ゆる」は「消しても燃える」と使うはず。
どこか、昔の言葉とでも言おうか、古い言い回しが目立つ。
もう1曲「希望の轍」では、
夢を乗せて走る車道
明日への旅
通り過ぎる街の色
思い出の日々
恋心 なぜに切なく胸の奥に迫る
振り返る度に野薔薇のような Baby love
遠く遠く離れゆくエボシライン
oh my love is you
舞い上る蜃気楼
巡る巡る
忘られぬメロディライン
oh my, oh yeah,
Gonna run for today oh, oh, …
気になるのは「なぜに」や「離れゆく」「忘られぬ」の部分だ。「なんで」や「離れてく」「忘れられない」と言うのが一般的だろう。
ここに魅力の一端が見られる。独特の古臭い言い回し、これらは桑田佳祐のことばの感性の成せる技なのだ。「通りすぎる」と歌ってもいい所をあえて「通りすがる」と歌う。確かに、あそこにイ行の音が入ると少し窮屈になるようになる気がする。「なんで」を「なぜに」と歌うことで、次の「切なく」との一体感が生まれている。
このように、あまり聞き慣れない言葉をあえて使うことで、歌と歌詞にまとまりを与える。日本語の美しさを最大限に輝かすことができる、桑田佳祐の圧倒的センスなのだ! 日本語の歌詞の途中に英語を多用するのも、曲としての一体感を求めているからではないだろうか。
このように歌詞の「語感」を感じる。メロディーと歌詞の一体感を楽しんでみる。これもまた長寿バンド、サザンオールスターズの楽しみ方の1つである。
[ライタープロフィール]
コバン・ミヤガワ
1995年宮崎県生まれ。大学卒業後、イラストレーターとして活動中。趣味は音楽、映画、写真。
Twitter: @koban_miyagawa
HP: https://www.koban-miyagawa.com/