耳にコバン 〜邦ロック編〜 第10回

 

第10回 梅雨には魚がよくにあう。

コバン・ミヤガワ

 

おしっこをトイレに流す。

 

目が覚めて、ボクが最初にやることだ。

ボクがするわけではない。

 

じめじめしたこの季節、彼はとりわけおしっこをする。

そのいっぱいに溜まったおしっこを、毎日トイレに持って行き、捨てる。

それが日課なのだ。

 

よくもまあ、これだけたくさん出るものだと感心する。

ボクだってあんなに出ないのに。

 

彼がやって来たのは、6年くらい前のことだっただろうか。

ボクの部屋はとにかく日当たりが悪い。日中でも電気をつけなければ、1日中夜である。ボクは密かにこの部屋を「極夜の部屋」と呼んでいる。

そのせいもあってか1年中じめっとしているのだ。

 

この季節はなおさらである。

何もしていなくても、体の表面はペトペトするし、布団は何だかしめっぽい。

 

これはさすがに不快に思い、彼を買った。

彼はゴゥーンという音を鳴らしながら、休むことなく湿気を吸うのだ。

湿気を吸うだけではない。その湿気を吸った空気を綺麗にして出してくれる。

 

彼のタンクという名の膀胱が一杯になると、ピーッピーッとボクを呼ぶ。

それを聞きつけ「よぉ〜し、いっぱい出たねぇ、偉いぞ〜」と彼を褒め称え、2、3リットルはあるであろう水をトイレに捨てに行くのだ。

 

ボクはこれを「除湿機のおしっこ」と呼び、彼のことをとても気に入っている。

 

しかも、イオンとやらも出すらしい。

一体どこまで多機能なんだか。

 

彼の活躍は、尊敬の域にまで達している。

もうタメ口なんて使えないよ。

 

トイレに水を捨てに行く際は「今日もご苦労様です! おしっこ、失礼いたします!」くらい敬った方がいいだろう。

 

ボクなんかよりもよっぽど働き者である。ボクなんか、さしずめ彼のトイレの世話をする同居人くらいのもんだ。

 

今日も、彼の働きに感謝しながら、梅雨生活は続く。

 

さて、梅雨も近づきました。もう梅雨入りしてるのかな?

気がついたら梅雨入りしてるし、気がついたら梅雨が明けて、夏の足音が一気に近づく。

そんなものです。

今回はこんなじめじめした季節に聴きたくなるバンドをご紹介。

暑い夏の日にサザン、雪化粧をした冬の日に広瀬香美だとしたら、梅雨にはこのバンドだと思っている。

 

 

フィッシュマンズ

 

 

ボクが聴いて来た中で、日本の梅雨に一番マッチする「じめじめバンド」である。

 

フィッシュマンズは、1987年に結成された。その頃、日本は空前のバンドブーム。

前回、前々回紹介した「イカ天」に出場したバンドや、ブルーハーツなど様々なバンドがしのぎを削っていた頃だ。

正直なところ、フィッシュマンズは「一般的に有名なバンド」とは言えないと思う。

ピンとこない人も多いだろう。

 

だがこのバンド、近年とんでもない評価を受けている。

 

世界中の音楽を評価する、とある大きなサイトがあるのだが「世界の名盤」カテゴリにおいて、フィッシュマンズのライブアルバム『98.12.28 男達の別れ』が、なんと17位にランクインしている。

 

 

今まで、この地球上で発売されたアルバムで17位である。ビートルズやレディオヘッド、デビッド・ボウイ、マイルス・デイヴィスなど錚々たるアーティストと共に名を連ねている。

 

これがどれだけ凄いことか!

 

日本のアーティストでは第1位だ。

ライブアルバムのカテゴリでは、第1位である。日本で、ではない。世界で1番なのだ。

つまり、世界で最も評価されている日本人アーティストということになる。

近年、フィッシュマンズの再評価がえらいことになっている。

 

これだけでも少し聴いてみたくなりませんか?

 

世界中の人たちは、フィッシュマンズのどこに惹かれているのか。探って行きたい。

まず「音」に関して。

フィッシュマンズの音楽は、レゲエが根幹にある。初期の作品は特にレゲエの匂いが強い。

レゲエを基調としながら、様々なポップミュージックと溶け合い、唯一無二のフィッシュマンズ・サウンドを作り上げている。

 

レゲエとはジャマイカ発祥の音楽だ。

レゲエと聞くと、やっぱり思い浮かぶのはボブ・マーリーですね。

日差しが強く、海や空が広がり、ドレッドヘアーの人たちがカッコよく歌っている。そんなイメージ。高温多湿の日本とはまるで別世界。

 

しかし、フィッシュマンズの音楽は違う。どこかしっとりしていて、艶やかなのだ。

外を歩きながら聴くと、心にスッと滲み入る。「これはまさしく日本の音楽だ!」そう思わせてくれるのだ。

 

次に「歌詞」。これもまた魅力あふれる歌詞なのだ。

一番有名な曲であろう「いかれたBaby」の歌詞を見てみよう。

 

悲しい時に浮かぶのはいつでも君の顔だったよ
悲しい時に笑うのはいつでも君のことだったよ
人はいつでも見えない力が必要だったりしてるから
悲しい夜も見かけたら君のことを思い出すのさ

窓の外には光る星空
君は見えない魔法をかけた
僕の見えない所で投げた
そんな気がしたよ
素敵な君はBabyいかれた僕のBaby
夜のスキマにKiss投げてよ
ゆううつな時もBabyいかれた君はBaby

 

誰かを想った恋愛ソング、それは理解できる。

しかしどうだろう。僕らが想像するラブソングとは少し違うように思う。どこか違和感がある。

 

よくよく見てみよう。

この歌詞には「好き」、「愛してる」とか「君に会いたい」といった、ラブソングによくあるワードは出てこない。

 

ここなのだ。この歌詞は「いかに言葉少なく愛を歌うか」という、いわば「引き算」によって作られている歌詞なのだ。

かといって言葉足らずになっておらず、ちゃんと情景が思い浮かぶ。

 

彼女への愛、感謝、思いの丈を彼は一言で表している。

それすなわち「いかれたBaby」なのだ。

「いかれているくらい素晴らしい女性」であると同時に「いかれるくらいに君が好きなんだ」とそう聴こえる。

 

いや、そう聴こえさせてしまうほどの圧倒的センス! 感服である。

 

フィッシュマンズの「音」と「歌詞」が僕にとって「梅雨」なのだ。

傘をさし、ポツポツ雨音をさせながら聴くフィッシュマンズ。

雨上がりの濡れた路面を、ピシャピシャ歩きながら聴くフィッシュマンズ。

 

ムシムシした湿気と、濡れたアスファルトからこみ上げる、あの匂いが鼻をくすぐるみたいに、フィッシュマンズの音楽は、じわーっと体に滲み入る。

 

泣きそうな程、たまらなく刺さる瞬間がある。

 

こんなに素晴らしいバンドが、そこまでメジャーシーンで活躍できなかったのはなぜか。

それは、80年代から90年代の音楽シーンが関わってくると思う。

 

先ほど述べたように、80年代後半から90年代初頭は、まさしくバンドブーム。それと同時にシティポップの時代でもあった。ピチカート・ファイブやフリッパーズ・ギターといった、いわゆる「渋谷系」音楽の人気が高かった時代でもあった。

 

フィッシュマンズはその間をまさしく魚のようにゆらゆら彷徨っていたのではないだろうか。

「どっちの音楽なのか」と、リスナーはどう捉えていいのか分からなかったのかもしれない。

 

近年評価が高まったのは、あらゆる時代、あらゆるジャンルの音楽が、流行とは関係なく、一気に聴けるようになったからだと考える。

ある意味「時代を置いていったバンド」と言えるのではないだろうか。今の世界からの評価が物語っている。

 

残念ながら、ギター、ボーカルの佐藤伸治は1999年にこの世を去ってしまう。しかしフィッシュマンズは、様々なアーティストを迎え、いまだに楽曲のアップデートを続けている。

 

フィッシュマンズが気になったそこのあなた!

なんとデビュー30周年の今年7月に、ドキュメンタリー映画が公開されますよ!

 

是非観てみてください。ボクはかならず観ます。

 

梅雨のじめじめしたこの季節のお供にフィッシュマンズ、いかがでしょうか。

 

 

[ライタープロフィール]

コバン・ミヤガワ

1995年宮崎県生まれ。大学卒業後、イラストレーターとして活動中。趣味は音楽、映画、写真。
Twitter: @koban_miyagawa
HP: https://www.koban-miyagawa.com/

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