耳にコバン 〜邦ロック編〜 第27回

第27回 スパイダー・ゴーゴー

コバン・ミヤガワ

 

「スパイダー」と聞けば、思い浮かぶのは「スパイダーマン」なわけである。

 

サム・ライミ版の映画『スパイダーマン』は、体内で作られた糸が手首から出る設定なのだが、これはおかしいわけである。

蜘蛛のパワーを手に入れた主人公が、様々な敵と戦うスパイダーマン。蜘蛛の糸を使って、ニューヨークの摩天楼を飛び回るシーンは一度は憧れる。

 

でも本当に蜘蛛のパワーを手にしたのなら、糸は手首ではなくお尻辺りの「糸いぼ」と呼ばれる器官から出るはずである。

一度ズボンを脱ぎ、天の橋立を見るように脚の間から狙いを定め、プシュッと糸を飛ばす必要がある。つまり全身タイツは、一度全部脱がないといけないので効率が悪い。上下別のタイツを着るか、もしくは、お尻に穴の空いた全身タイツを着る必要がある。

想像するだけであまりにマヌケだ。そんなスパイダーマン誰も憧れない。「親愛なる隣人」どころではない。

糸の設定はともかく、サム・ライミ版の『スパイダーマン』は、主人公の内面や葛藤、ヒーロー映画には珍しかった普段の姿を多く描く点で素晴らしい。昨今人気を博している、ヒーロー映画の元祖と言えるだろう。

 

元祖ヒーロー映画が「スパイダー」なら、日本における元祖ロックンロールもまた「スパイダー」である。

「スパイダース」

ロック黎明期の1960年代に活躍した日本のバンドである。

スパイダースを語る上で「GS」という言葉を避けては通れない。GSとは「グループサウンズ」の略だ。

今でこそ「バンド」と聞けば、エレキギターとベースとドラムと……と想像できるが、いわゆる「バンド形態」がまだ浸透していなかった時代、そういったグループを一様にGSと呼称していた。

もう1つ現代のバンドと異なる点は、バンドで作詞作曲をしなかったという点だ。海外のバンドをコピーしたり、作詞作曲は別の人が行なったり。あくまでバンドとしては演奏するだけだった。しかし作詞作曲を全くしなかったのかと言われると、そんなこともないので、これがややこしいところだ。

ざっくりと1960年代後半のロックバンド、そう思っていただいて構わない。

そんなGS初期に結成されたのがスパイダースだ。スパイダースのことは知らなくても、メンバーは知っているはずだ。ボーカルはあの堺正章。そう、孫悟空のマチャアキである。もう1人が井上順。ギターはかまやつひろし(ムッシュかまやつ)と井上堯之。などなどすごいバンドなんです!

 

そんなスパイダースのすごさは、なんといっても日本の「最先端」バンドだったという点だ。1960年代といえば、世界的にロックンロールが広まっていった時代だ。ビートルズを発端として、新しい音楽が次々と現れた時代。しかし、情報は潤沢に手に入らなかった時代。

スパイダースは海外の最新音楽をいち早くコピーし、さらには、一体どんな機材を使ってその音を表現しているのか、マイクの種類、アンプの種類にいたるまでロックの最先端を担う者たちを徹底的に調べ上げ、バンドに組み入れる。

このこだわりこそが、日本の最先端ロックバンドだった所以である。昔の歌謡曲はどこか「古い」というイメージがあるが、スパイダースの曲は、不思議と古いと感じたことはない。最先端を常に走っていたからなのだろう。

 

海外の音楽を徹底的に研究したスパイダースだが「日本らしさ」というものも忘れてはいない。

例えば1965年にリリースされた、ムッシュかまやつ作詞作曲の「フリフリ」を聴いてみると、ドラムが常に「タン・タン・タン、タン・タン・タン」と独特なリズムを刻む。日本の伝統的な、三三七拍子のリズムによく似ている。主に8ビートや16ビートで成り立っている海外のロックでは、奇数リズムの曲に出会うことは少ない。「日本のロック」をリズムで表現しているのだ。これはリーダーでドラムの田辺昭知のこだわりだ。

もう1つ「越天楽ゴーゴー」という曲なんかは、好例である。日本の古典的な雅楽である「越天楽」をオマージュした作品だ。ミステリアスなギターの音が、新しくも日本の伝統を感じさせる。日本古来の「雅楽」と、最先端の「ロック」の見事な融合である。とはいえ「越天楽ゴーゴー」の評判は良くなかったようだ。

スパイダースが一躍人気者になったのは「夕陽が泣いている」という曲なのだが、ロックというより、歌謡曲に傾倒した作品になっている。時代の最先端の音楽なら人気が出るとは限らないものである。

そんなスパイダースが1966年に発表したアルバムが『ザ・スパイダース・アルバムNo.1』である。全曲、スパイダース自身の作詞作曲のアルバムであり、これぞ「邦ロック初のアルバム」と言えるのではないかと思う。

 

 

いや待ってくれ! はっぴいえんどはどうなんだ!と思ったそこのあなた!!

「日本初のロック」というワードが出るたびに、この議論がなされてきたことだろう。

確かに「はっぴいえんど」も、邦ロックを語る上で欠かせない存在であることは確かである。

スパイダースの活動期間は1961〜1970年。はっぴいえんどは1969〜1972年である。スパイダース解散間際に、はっぴいえんどが結成されている。

 

この議論に関しては「言語」と「ルーツ」という2つの点から考えてみたい。

「日本語」ロックの草分け的存在は間違いなく、はっぴいえんどである。はっぴいえんどは「日本語」をどうやってロックに組み込むかにこだわったバンドなので、カタカナや英語が極端に歌詞の中に出てこない。繊細な言葉遣いに合うように、曲調も優しい曲が多い雰囲気。

一方のスパイダースは英語を用い、曲の持つグルーヴ感や、リズムを最大限に引き出している。

 

次に「ルーツ」を考えてみると、スパイダースが影響を受けたのは、ビートルズやローリング・ストーンズといったブリティッシュ・ビートである。海外の「ロック」の影響を色濃く受けたスパイダースの楽曲は、紛れもない「ロック」そのものである。一方、はっぴいえんどは個人的に、どちらかといえば「フォーク」の音楽性を強く感じるのだ。もちろんロックであることに違いないのだが。

つまり「日本語のロック」のはっぴいえんど。「日本人のロック」のスパイダースなのである。

 

日本人がやるロックンロールがどのようなものか、その魂をもって、スパイダースは日本の最先端を、海外に置いていかれないように走っていたのだ。

その魂の熱は、間違いなくはっぴいえんどにも届いていたことだろう。

 

 

[ライタープロフィール]

コバン・ミヤガワ

1995年宮崎県生まれ。大学卒業後、イラストレーターとして活動中。趣味は音楽、映画、写真。
Twitter: @koban_miyagawa
HP: https://www.koban-miyagawa.com/

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