耳にコバン 〜邦ロック編〜 第9回

第9回 猫に唄えば

コバン・ミヤガワ

 

彼がやって来たのは、ボクがまだ小学生の頃。

 

ある日、ヒョッコリ家の庭に顔を出した。

毛がワサワサと長く、尻尾の短いキジ猫。

 

実家の庭にはよく猫が来る。近所に猫好きのおばさんが住んでいたせいか、家の庭は猫の通り道になっていた。

彼は何をするわけでもなく、庭のバルコニーに寝そべり、一日中気持ちよさそうにグータラするのだった。庭に長居する猫なんて今までいなかった。ボクらを見るなりサッと逃げて行く。それが猫という生き物だ。

ところが彼は、ボクらを見ても逃げ出さない。近づこうとすると距離は取るが、決して庭から出て行こうとはしなかった。

 

そんな生活がしばらく続いた。ボクらと小さな居候。今まで金魚しか飼ったことがなかったので、ボクはちょっぴり嬉しかった。

そのうち「さすがにお腹が空いただろう」と母が残った魚やご飯をあげるようになり、その頃から彼を「ニャゴタン」と呼ぶようになった

またしばらくすると、今度は「ニャゴロー」に呼び方が変化していた。

 

「そういえば、何か名前付けてやらんといかんねぇ」とボク。

「ニャゴローよ、ニャゴロー」と母。

「ゴローはオスっぽいやん。本当に男の子やろか?」

「この顔はオスやわ、絶対にオス。凛々しい顔しちょる」

 

よく見ると確かにイケメンなのだ。イケ猫とでも呼ぶべきか。

 

後に男の子だと分かるのだが、性別不明のまま彼は「ニャゴロー」になった。

彼もまんざらじゃないらしく「ニャゴロー」と呼ぶと、ふりむくようになった。

 

夏のある日、台風がやって来た。宮崎は台風がよくやって来る。

外はかわいそうだということで、玄関まで入れてやることにした。

いよいよ本格的に飼うことになりそうだった。ニャゴローを飼うことに消極的だった父を「ちゃんと面倒みるから!」と説得し、ニャゴローは家族の一員になった。

 

そのうち玄関からリビングまで、そして家全体へとニャゴローの活動範囲は拡大していった。

 

そんなこんなで、ニャゴローは病気をすることもなく今も元気にすごしている。

家にやって来た時「3歳くらいですね」と動物病院の先生に言われたから、今や18歳とか19歳になる。もう爺さんである。

 

耳は遠いし、いつの間にか歯もなくなってしまったが、今も幸せそうにグータラ生きていることだろう。グータラこそ、長寿の秘訣なのかも知れない。

父は「食っちゃー眠りよる」と口癖のように言っている。

あれだけ消極的だった父も、ニャゴローとは仲が良く、お腹の上にニャゴローをのせ、2人仲良く眠ったりしている。

 

ニャゴローの話はいくらでもあるが、今回はこの辺で。また書くかも知れません。

 

 

今回は猫にまつわるバンドをご紹介。

突然だが、日本における猫の名前の代名詞といえば?

 

「たま」じゃないだろうか。

 

「たま」といえば猫が思い浮かぶ。サザエさんの磯野家にいる白い猫もタマである。

諸説あるらしいが「宝玉」の意味を込めた名前らしい。

 

そんな「たま」というバンドがいた。

 

前回紹介した、ブランキー・ジェット・シティ同様「三宅裕司のいかすバンド天国」(通称、イカ天)というテレビ番組で一躍有名になったバンドだ。

ボクより年上の方は、知っている方もいらっしゃると思う。

 

1989年、イカ天に登場し、1990年にメジャーデビューを果たす。

番組のインタビューでバンド名の由来について「猫は名前がなければ『たま』って呼ばれる。うちらにも名前がなかったから『たま』にしたんです」と述べている。

 

このバンドがとても異色なバンドだったのだ!

 

イカ天の映像を観たことがあるのだが、まず衝撃だったのは、その風貌だ。ギターボーカルの知久寿焼は特徴的なマッシュルームヘアーとちゃんちゃんこに下駄。声も相まってなんだか音楽の精みたいな人物だ。ドラムの石川浩司は坊主姿にタンクトップで山下清みたいだった。ドラムセットにはなんと風呂桶が置かれている。

 

なんじゃこのバンドは!

ブランキーみたく、王道のロックバンドみたいな風貌とはまるで違う。

どこぞの田舎者だった。

 

当時の司会や審査員も「危なっかしい」と色物バンドみたいに扱っていた。

 

ところが彼らの音楽にはボクを含め全員が度肝を抜かれた。

 

まずなんと言っても知久寿焼の歌声だ。

たまの曲を聴いたことがなくても「あ、この声聴いたことある」と思う方がいるかもしれない。たまの解散後も、知久は様々なメディアに楽曲提供を行っており、テレビCMなどでその声をよく耳にする。

 

ボクも最初の印象は「この声、テレビで聴いたことある」だった。あの特徴的な声、一度聴くと耳に残って離れない。唯一無二の知久ボイスである。

 

曲はどうかというと、これがまた不思議な音楽なのだ。

前衛的でありながら、ずっと昔の日本を彷彿とさせる。

 

古い香りのする曲ばかりではなく、代表曲「さよなら人類」などポップな曲もある。

概ね、キーボードボーカルの柳原陽一郎が作詞作曲を担当した曲は、ポップな聴きやすい曲に仕上がっている。知久の「前衛さ、古さ」を感じさせる曲と柳原の「ポップさ」。この絶妙なバランスでたまは成り立っていると思う。

 

初めてたまを見た審査員の評価は「変わっている」とか「涙が出た、でも笑いも出た」とか「おおっぴらに好きとは言えないバンドだ」など様々だった。

あまりにも奇抜で、前例のないバンドだったのだ。

 

また、審査員の1人は「取り替えのきくバンドはいくらでもいる。しかし、たまは取り替えが効かないバンドだ」と評した。

まさしく唯一無二なのだ。

そして今日に至っても、たまの再来と呼ばれるようなバンドは現れていないように思う。

 

ボクの第一印象は「なんだか大正時代っぽい」であった。

風呂桶を叩く山下清のせいもあるだろう。ビートルズやロックが出てくるずっと前、大正や昭和の始めの雰囲気を感じた。あくまでも勝手な大正時代のイメージとの比較だが。

和洋折衷の建物、アスファルトのない路面、街には着物姿の人もいればモガもいる。文明と自然の間とでも表現すべきか。ボクは、たまを聴くとそんな風景が思い浮かぶ。

 

どうしてここまで「古さ」を覚えるのか考えてみた。

審査員のコメントを聞いていると、1つすごく当を得ているコメントがあった。

 

「優れた作品というのは、それがどうやって生まれたのか考えさせず、ぽっかり生まれたように見える。それがすごいことなんだ」

 

このコメントにはハッとさせられた。

 

芸術というのは、それ以前の芸術の上に成り立っている。

「影響を受けない」ことはありえない。

 

「ロック」という枠組みで言えば、ビートルズに影響されていないバンドなんか1つもない。

曲やスタイルを見れば、ある程度のジャンルが分かり、さらには「お、この人はあの人に影響を受けているな」など、いろんなことが見えるものである。

 

これは全く悪いことなどではない。音楽という大きな川の流れの中にいれば当然のことなのだ。

それが音楽であり、芸術なのだ。

 

しかしたまにはそれが見えない。もちろん影響を受けていないことはないだろう。しかし何に影響されたのかまるで分からない。

ビートルズを知らない少年たちがバンドを組んだ! そんな雰囲気さえある。

 

大きな川の上をふわふわ浮かぶ綿毛のようなバンド。

流れなんて気にせず、ぽっかり生まれたバンド。

それがボクにとっての「たま」なのだ。

 

だからこそ「古さ」や「懐かしさ」を感じるのだろう。

 

気になった方や「たまってバンドいたなぁ!」と思った方は、1枚目のアルバム『さんだる』をオススメしたい。

 

 

「さよなら人類」や「らんちう」などが収録されている。「たまらしさ」を感じる名盤である。

 

 

[ライタープロフィール]

コバン・ミヤガワ

1995年宮崎県生まれ。大学卒業後、イラストレーターとして活動中。趣味は音楽、映画、写真。
Twitter: @koban_miyagawa
HP: https://www.koban-miyagawa.com/

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