シャバに出てから──『智の涙』その後 第12回

第12回 モナリザの微笑(たたかい)

矢島 一夫

公園で一人の女性とめぐり会った。昼間はアパレル系の仕事をこなし、夜は朝未明まで弁当作りの仕事をしているとのこと。

ダブルワークで無理をしても生活が窮々とする人たちは沢山いると思う。貧富の差がどんどん拡大している社会。いったい・いつ・どこで・どんな人たちが・どんな方法で格差をなくす戦いをしていくのだろうか。

若い頃は頑張りと無理をかさねることができても、年をとってから、心・体・生活にひずみが現われることもあるからね。息ぬき・気分転換することも大切だね。2人の笑顔に朝陽が覆う。そんな話をしながら軽い筋トレや縄跳びやシャドウボクシングをする彼女。ファッショナブルで、キューテカルで知的香りを周囲の人たちに放っている。長い黒髪をモナリザのようにしている彼女を、俺は、モナリザのMちゃんと称した。そして、彼女の微笑(ほほえみ)の中に戦いを観た!

かつて仕事していた公園に懐(なつか)しみと猫ちゃんや友人知人はどうしてるかとの思いで足を運んだ。その時にモナリザのMちゃんと出会った。俺が可愛がってた猫ちゃん達にMちゃんも毎朝仕事帰りや夕方に猫たちをめんどうみていたとのこと。

Mちゃんは、猫たちを蹴ったり棒で叩いたりヒゲを抜いたり焼いたりする自分勝手な「善良なる市民」らと直接戦っている。警察やMちゃんを理解して応援してくれる人たちと偕(とも)にそれらの不埒者を糾弾していたMちゃん。俺とは初対面から意気投合した。そんなMちゃんに手紙を書いた。

 

=Mちゃんから学ばせてもらった要諦(ようたい)=

人を見下すような独りよがりな態度ともの言い。そうした「心のサングラス」をはずず必要を感じる。あの「いじ悪バアちゃん」は2つの眼(まなこ)で人を見る。だが多くの人から見られていることは気づかない。

Mちゃんの姿勢と話の仕方は正しかった。スッキリした。見る眼と見られる眼。話すと話される。さらに熱が入り、答える、と、それに応える。そこに真実が無いと突っこまれる。Mちゃんの勝ち!「いじ悪バア」の負け!

でもその人、きっとMちゃんから気づかされるものがあったと思います。いい説得でしたね。命と命をかさねて生きる。そこに愛が生れる。真実が生れる。解決力が生れる。

人と人、人と言葉をもたない動植物・自然そのものと命と命をかさねて生きる。それが情理(人情と道理)に生きるということだとわたしはプリンシプルにして生きてます。情理をつらぬく。これは金で買えぬ一生の宝もの。

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このような手紙をMちゃんに書いたのは、Mちゃんから次の様な話を聴いていたからでした。

 

=公園の出来事=

2020年11月、矢島さんと出会う前に起きた出来事を話します。実は麦(ムギ)(猫の名前。以前にわたしはその猫を「チビ」と呼んでいたが、彼女が変えた名)と出会ったころから、公園に出入りしてうすうす気付いていたんだけど、人々の嫌味な雰囲気を感じていました。けど、それよりも猫たちを救うことを目的に公園に足を運んでいたわけです。だから、別に外野は関係ないと思いひたすら邪念を考えず麦や猫たちだけに集中していたのです。

にも関わらず、11月のある日、突然知らないオバさんが顔は見せないようにして、私に咳払いしたり嫌味をボソボソ言い放ち、「以前によけいな事するオジサンがいて困っていたところ、また余計なことをする人が出てきて困るのだ」と言うのでした。

私には関係なく、会ったこともない人のことをいちいち私に言うことがおかしいと思った。だから私はこう言った。「本人に言ったらどうですか?私に言ったって何の解決にもならない。私の問題なら警察に直接話を通して私と話したほうがいいと思いますよ」と言った。ババアはその後、姿を消してしまった。

そんなMちゃんに「牡丹文字」を色紙に書いて前述の手紙を添えてプレゼントした。

次のような「牡丹文字についての説明」も付けた。

ボタンの花を独自にデフォルメしたシンプルなデザイン。まわりの輪は(子持ち罫(けい))というもので、親子・家族・社会の和を意味づけています。古来の「名家」と言われている家紋はアナクロニズムであり怪物どものまつえいを意味しています。それは日本の歴史が明証しています。こんな、上意下達・封建・搾取を象徴するような時代錯誤の家紋ではなく、現代の若い人たちは独自のユニークな家紋を作り、生活の核(コア)にしてほしいという思いでわたしが考案したものです。苗字の草書体の文字は絵柄の上におくと軽いので、下部におくことで重みを持たせました。加えて、やや右肩あがりにしたのは政治・経済・文化であぐらをかく令和の怪物ども(いじわるバアちゃんもその一人)を克ち超え、Mちゃんの健勝・成功・倖せをこめたものです。他に好きな文字や言葉があればどんな文字でも書きますよ。知人・友人に話しリクエストがあればいつでも言ってください。

〈後日談〉

ちなみに、公園にいた猫は知る限り、Mちゃんとソックスと名づけた2匹は心ある人の家で各々かわいがられている。もう一匹、尻尾まがりの「チビ」は大変な捕獲作戦の末、「ムギ」という名でMちゃんの家猫になり、かわいがられている。

猫が嫌いな人は、いじめたり攻撃したりせず、猫はもちろん、猫を大切にする人のことも悪玉化しないほうがいい。なぜなら狭量と非情理さをさらすだけだから。

「くう・ねる・あそぶ」がごく普通になっている社会的風潮。これは、社会毒といえるかもしれない。モナリザMちゃんの微笑(ほほえみ)は、日々の戦いの中で輝やいている。

うちで開く漢字勉強会や食事会では足・腰・眼の悪くなった俺を、明るく、力強く、自然態で励ましてくれている。感謝!!

 

 

[ライタープロフィール]

矢島一夫(やじま かずお)

1941年、東京世田谷生まれ。極貧家庭で育ち、小学生のころから新聞・納豆の販売などで働いた。弁当も持参できず、遠足などにはほとんど参加できなかった。中学卒業後に就職するが、弁当代、交通費にも事欠き、長続きしなかった。少年事件を起こして少年院に入院したのをはじめ、成人後も刑事事件や警官の偏見による誤認逮捕などでたびたび投獄された。1973年におこした殺人事件によって、強盗殺人の判決を受け、無期懲役が確定。少年院を含め投獄された年数を合わせると、約50年を拘禁されたなかで過ごした。現在、仮出所中。獄中で出会った政治囚らの影響を受け、独学で読み書きを獲得した。現在も、常に辞書を傍らに置いて文章を書きつづけている。

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