湘南 BENGOSHI 雪風録 第42回

生まれも育ちも大阪である。

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土曜の昼は新喜劇からの漫才、昔は藤井隆氏が新喜劇に出ていた。そのままだらだらテレビを見続けて頭が痛くなってきた頃に土曜はダメよが始まり小枝不動産で締める。土曜はダメよの中の、家族の中に一人他人が紛れ込んでいてそれを見抜けるか?というコーナーが好きだった。日曜はもっとだらだらテレビで漫才を見続けた後、やすとも(海原やすよ・ともこ)がコストコあたりに行って買い物しまくる番組を見る。あーこのゲストあんま買い物せえへんなあとかやすともは毎週こんな買って家で食べきれんのかなあ、いやスタッフにあげてんやろなど言いながらこのテレビを見続ける。やすともの漫才は、大阪と東京を競わせるスタイルのネタで、(大阪に暮らす私の目から見て)とても面白かった。やすともは実際の姉妹で、そのおばあちゃんは海原お浜・小浜という漫才師であり、大阪に暮らすおばあちゃんたちはやすとものことを「あすこの子」ぐらいの親近感でそもそも捉えている上、やすともが買い物しながら話している内容は大阪でおばあちゃん・おかあさん・娘が3人で買い物に繰り出しているときに話している内容と一緒だから、みんなやすともをいとこか何かのように勝手に思い込んでいる節がある。大阪人がやすともに寄せる親しみが結実して、彼女らの司会で西と東を比較する番組までゴールデンタイムにやっていたと記憶する。

こんな番組は東に来てみれば全然やっていない。しかし大阪人はあまりにもやすともを見すぎて東京との比較の中で自分たちを捉えることに親しんでおり、勝った負けたと言いながら、そしてうっすら負けていることがわかっているような気持ちもしているけれど、大阪は人懐っこい、飴ちゃんをくれる、虎柄を着ている、など人柄の点で捨てたものではなく、そういえば梅田は東京の他の駅に照らしてもとても大きいらしいという話で、やっぱ大阪は大阪でええとこあるよなーと、毎回新喜劇と同じくらいベタなオチをつけてあーおもしろかったな寝よ、となれる。やすともいつもありがとう(発音に注意)。

なお時には大阪VS京都や、大阪VS京都VS神戸、等の構図が取り上げられることもあり、この場合争いは双方情け容赦なく、熾烈で人情味はない。

そして大阪が東京と比肩するポイントの一つが、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(通称ユニバ。これも発音に注意)と東京ディズニーランド、遡っては1970年の大阪万博と1964年の東京オリンピックである。

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ひとたびあの頃の万博の話を大阪人に向ければ、遠足で行った、私は何回言った、どんなかっこしていった(大抵チューリップハットと言う)、月の石なんやようわからんかった、親戚のお姉さんがパビリオンで働いてた…等と嬉々として話しだし、挙句、こんにちは〜赤ちゃん〜♩と歌い出す。

一定より年が上の大阪人にとって、万博は共通のコードで、自動的に嬉しい楽しい大好きのスイッチが入ってしまう恐ろしい代物である。もちろんその真ん中には太郎の作ったあの太陽の塔が、天を貫いて屹立している。

高度経済成長期、赤子が年200万人近く生まれてくる1970年の日本、そして大阪(人口は年々増えていた)、人口減少に転じている今の大阪とは全然勢いが違う。そやけど東京でオリンピック2回目やったんやから大阪も万博2回目やらなあかんねん。

そして、今の大阪で2回目の万博が開かれる事実は、前提事情がどう変わろうとも大阪と東京を競わせようという話のみならず、太陽の塔に投影されたかつての元気のもはや失われた日本全体の行く末を、ぐにゃぐにゃのミャク様に見届けてもらおうという、知ってか知らずかこれは一つのオマージュに違いないと私は踏んでいる。ミャク様は目がいっぱいあってここから起こることを見届けてやろうという魂胆は感じるけれど、あくまで視点の定まらない傍観者の目で民草を導くリーダーシップはない。

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ところで、1970年の万博は、国立民俗学博物館に結実した。2025年のこの万博はカジノに結実しようとしている。それもものすごく皮肉がきいていて、インスタントで、大阪のことが哀しくてものすごく愛しい気持ちがする。

この祭りで一体誰が得するの。いや色々考えてたら祭りなんかできへんというあれか。伯母からインド館で撮ったAI写真が送られてくる。かつて1970年の万博を楽しんだ大阪人が2025年の万博を楽しんでいる。いっぱいお金使お。冷静に考えたら絶対いらんやろけどミャクさまの被りもんとか買お。

 

[ライタープロフィール]

山本有紀(やまもとゆき)

弁護士

所属事務所: 湘南合同法律事務所

所在地: 神奈川県 藤沢市藤沢551-1 日進ビル7階

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