湘南 BENGOSHI 雪風録 第32回

山本 有紀

 

「訴える」と言われると多くの人は動揺する。

裁判所から自分のことを「被告」と呼ぶ書面が届くとなおさらだ。心は落ち着かず、何をしていてもそのことが頭から離れない。

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会社に行くのが辛くて、体調も悪化しお休みしたらどんどん会社に行きにくくなるということがあります。

こういう場合に「辞めるんやったら(お)金を払え!」「お前の失敗で会社に損害が会社に出てるんや!」等と言い出す恐ろしい会社があります(お上品なのでおをつけました)。

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民法上の原則では、契約当事者の一方Aに、他方Bに対する債務不履行があれば、BのAに対する損害賠償請求権が発生します。

働く義務を負っている従業員が、急に仕事に行かなくなったり、求められている仕事内容に対して中途半端にしか働かなかったりすることは、従業員の会社に対する債務不履行を構成します。

そうすると会社は従業員の債務不履行により生じたマイナスについて、従業員に債務不履行を理由とする損害賠償請求ができると考えられます。

しかし、民法上の原則を会社と従業員の関係にそのまま適用してしまっていいのでしょうか。

そもそも従業員というのは会社の指揮命令の下で働いています。会社が会社それ自体ではなにもできず、従業員の働きによってプラスを得ている以上、従業員のもたらしたマイナスについても一定程度会社が負担をするのが、公平に適っているといえます。さらに、会社とその従業員1人というのは元々立場の強さに差があること、従業員は働いてお給料をもらい、そのお給料で生活していることをふまえると、会社からの損害賠償請求が容易に認められるなら、従業員に対して酷な結果を招くといえます。

ここで、そうはいっても従業員が会社に迷惑をかけたなら仕方ないのでは? と思ったあなた。

裁判例においては、会社は従業員に重過失がある場合にのみ損害賠償請求でき、それも損害の一部の請求が認められるにとどまっています。

会社をやめます、といったときに、会社が怒って、損害賠償請求をする! と言い出したということはご相談でも少なくないですが、実際に損害賠償請求が認められる場面は極めて限定的です。

具体的には、従業員が会社に損害を与えてやろうという積極的な気持ちで会社に損害を与えたり、ほとんどそれと近いほどの重大な過失があったりといった特殊な状況だったと会社が立証できなければ、従業員に対する損害賠償請求は認められません。

したがって、会社が口頭で損害賠償請求をすると脅すような場合、それに対して極端に恐れる必要はないと考えます。

もっとも、有期雇用の従業員は、「やむを得ない事由」がなければ契約期間中の退職が制限されます(ただし、契約期間の初日から1年が経過している場合には「やむを得ない事由」がなくても退職できます(労基法附則137条))。

そして、労働を強制することができない(労基法5条)以上、契約期間から1年以内に退職の意思表示をした有期雇用の従業員に会社がとりうる手段としては、マイナスに対して損害賠償請求を考えざるをえないということになります。

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損害賠償請求をちらつかせる会社ほど、適切に残業代を支払っていなかったり、お給料を途中で切り下げたり、労働法違反の行為に出ていることが多いです。

会社から損害賠償請求をすると言われたときに、退職代行等を利用して慌てて退職してしまうと、かえってご自分の権利を放棄する結果になるかもしれません。退職時の会社の言動に疑問を持たれた場合には、弁護士に一度ご相談することをおすすめします。

 

 

[ライタープロフィール]

山本有紀

1989年大阪府生まれ。京都大学卒業。
大学時代は学園祭スタッフとして立て看板を描く等していた。
神奈川県藤沢市で弁護士として働く。
宝塚歌劇が好き。

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