スージー鈴木のロックンロールとしての日本文学 第4回

第4回 武者小路実篤『友情』とオフコース『Yes-No』と恋愛至上主義について

スージー鈴木

  • 約100年前のラブレター合戦に驚く

今回は武者小路実篤『友情』を取り上げる。また新潮文庫だ。記号は「む-1」。

今回は全体で140ページというボリューム。前回、前々回と比べて、段々と長いのを読了できたことが、何となく誇らしい。

『友情』の文庫本を買ったのは、伊勢佐木町にある「弘集堂本店」。「こうしゅうどう・ほんてん」と読むそうだ。「神奈川県書店商業組合」のサイトにある説明文が冴えている。

――「この地に明治23年に創業して、現在5代目が引き継いで皆様に愛される店としてがんばっています。いまでこそ…書店という屋号が多いですが本店とは本のお店です」

「本店」は支店に対する本店ではなく「本の店」だったのか!

さて、『友情』が発表されたのは、その弘集堂本店創業の29年後の1919年。「みんな行く行くベルサイユ」、パリ講和会議の年だ。おおよそ約100年前ということになる。

前回の第3回まで取り上げてきた短編について「あっけない」という感想を書いてきたが、今回、140ページまで来るとさすがに読ませる。また100年も経っているにもかかわらず、文体も実に読みやすく、するすると内容に引き込まれていった。

ただ、「読ませる」と書いたものの、前半は正直かったるい。ざっくりいうと、主人公「野島」が、「杉子」に恋をするけれど、告白できなくてモジモジウジウジするというだけの話だ。

「好きだ……でも言えない……モジモジウジウジ……」物語という、一時期のトレンディドラマ界を覆っていたモジモジウジウジ物語が、100年以上前からあったという事実に驚いた。この前半は、いわばトレンディドラマの源流だろう。主人公の名前が、脚本家・野島伸司に通じるのも、偶然の一致ではないのかもしれない。

しかし後半は、ご存じの人も多いかもしれない。一気にスピードアップして、杉子と、野島の友人「大宮」とのラブレター合戦になり(何とラブレターの文面が、そのまま小説となっている)、結果、野島の思いは叶わなったというのがオチ。つまりタイトルの「友情」とは、杉子をめぐる恋愛によって引き裂かれる野島と大宮のそれということなのだろう。

この畳み掛けるようなラブレター合戦が実に読ませる。当時の文学界とすれば、かなり新しい手法だったはずだ。

恋愛至上主義とはI LOVE YOU至上主義ということ

  • 「オフコース文学」としての『友情』

さて、ここで思うのは、100年前の段階、1919年=大正8年の段階で、小説の中とはいえ、男性が、好きだと言えずモジモジウジウジするとか、逆に男女が、ラブレター(恋文)の中で、赤裸々に好意と伝え合うとかは、相当なインパクトがあっただろうということだ。

武者小路実篤という名前から分かるように、いいとこのお坊ちゃんで、学習院から東大に進んだハイソインテリだから察知できた、西洋的個人主義的恋愛観の先取りだったのだろう。

「海の向こうでは、男でも恋愛にモジモジウジウジしてるんだ」

「海の向こうでは、男女が赤裸々に好きだ・嫌いだなどと言ってるんだ」

「つまるところ、海の向こうの若者は恋愛至上主義なんだ」

モジモジウジウジな恋愛至上主義、つまり「女々しい恋愛至上主義」を武者小路実篤は大胆に並行輸入したのだ。

また、表現の方法論としても、田山花袋『蒲団』(1907年)のように「自分を捨てた女が使っていた蒲団の中で涙を流す」という、日本的に湿った「自然主義文学」のスタイルではなく、タイトルもカラっと『友情』とし、何とも清廉潔白なスタイルで書き切った。このあたりに、武者小路実篤という人の新しさがあったのだろう。

感じたのは、この『友情』が「ニューミュージック文学」だということだ。先に触れた田山花袋「蒲団」(1907年)を70年代前半の「四畳半フォーク」のような文学とすれば、70年代後半、もう少しカラッとした洋楽的サウンドに乗せて「優しさ」を歌う自作自演音楽=「ニューミュージック」のような文学だったのではと考えるのだ。

さらにいえば「男だって、もっと女々しい恋愛至上主義者でいいんだ」という時代への提案からは、「オフコース文学」とでもいえるのではないか。

  • 「女々しい恋愛至上主義」は今どこへ?

中2のとき、『Yes-No』を聴いて驚いた。

――♪君を抱いていいの 好きになってもいいの

それまで聴いていた歌謡曲、いやフォーク、ニューミュージックの中の男は、いきなり女性をガバっと抱く――のは、さすがにレアだったにしても、「好きだ」とはさすがに直接告白していた。「好きになってもいいの?」と女性に聞く女々し過ぎる男なんて、さすがにいなかったのだから。

そして『Yes-No』以外も含めて、「俺」ではなく「僕」、「お前」ではなく「君」、そして「好き」と「嫌い」と「恋」と「愛」で構成される、オフコースの恋愛至上主義的な歌詞世界にも驚いた(『生まれ来る子供たちのために』という傑作メッセージソングもあるが)。私の生まれた東大阪には、決していなさそうな登場人物ばかりで、物語が動いていく。

そんなオフコースは当時、女性ファンの比率が高かったと記憶するが、男性ファンも一定比率いた。高校生になって、同級生男子のオフコースファンたちが、『君が、嘘を、ついた』(84年)の歌詞について激論を交わしていたのを思い出す。

当時タモリは、オフコース、ひいては、さだまさしも含めたニューミュージックを「女々しい!」といって批判していたのを思い出す。しかしオフコースファンの男子は、そして白状すれば、ちょっと聞きかじった私も、「女々しくてもいいじゃないか……」と心の中で思っていたのだ。

そして、呆れるほどの年月が経って。

あれからの人生。私は「女々しい恋愛至上主義者」として生きてこれたのだろうか。この問いへの「Yes-No」判断は難しいが、直感的には、もっと女々しく、もっと恋愛至上主義者として生きてこられたのに、という気がしてならない。

逆にいえば、それくらい学校、会社、ひいては日々の生活で、「男たるものモジモジウジウジするな」「ほれたはれたなんかよりも勉強だ、仕事だ」というマッチョな圧力に囲まれ続けてきた人生だったと思うのだ。

そして今、けたたましく・ものものしく・いさましく何かを言っている風の男が、喝采を浴びがちな世の中に――。

もうオフコースのデビューから半世紀以上、そして『友情』から一世紀以上も経っているのに、どうしたことなのだろう。

最後に。武者小路実篤によるもっとも有名なフレーズ「仲良きことは美しきかな」を「君を抱いていいの 好きになってもいいの」と読ん――でいいの?

[ライタープロフィール]

スージー鈴木(すーじーすずき)

音楽評論家、小説家、ラジオDJ。1966年11月26日、大阪府東大阪市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。音楽評論家として、昭和歌謡から最新ヒット曲までを「プロ・リスナー」的に評論。著書・ウェブ等連載・テレビ・ラジオレギュラー出演多数。

著書…『サブカルサラリーマンになろう』(東京ニュース通信社)、『〈きゅんメロ〉の法則 日本人が好きすぎる、あのコード進行に乗せて』(リットーミュージック)、『弱い者らが夕暮れて、さらに弱い者たたきよる』(ブックマン社)、『中森明菜の音楽1982-1991』(辰巳出版)、『幸福な退職 「その日」に向けた気持ちいい仕事術』『サザンオールスターズ 1978-1985』『桑田佳祐論』(いずれも新潮新書)、『EPICソニーとその時代』(集英社新書)、『EPICソニーとその時代』(集英社新書)、『平成Jポップと令和歌謡』『80年代音楽解体新書』『1979年の歌謡曲』(いずれも彩流社)、『恋するラジオ』『チェッカーズの音楽とその時代』(いずれもブックマン社)、『ザ・カセットテープ・ミュージックの本』(マキタスポーツとの共著、リットーミュージック)、『イントロの法則80’s』(文藝春秋)、『カセットテープ少年時代』(KADOKAWA)、『1984年の歌謡曲』(イースト新書)など多数。

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